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今までの日常 その2

 私が指定したファミレスは高校時代から利用している馴染みの店だ。しかしチェーン店を馴染みの店だというのは些か安っぽくて程度が知れる気がしてならない。

 このファミレスの良いところは私のマンションに近いことだ。

徒歩十分。

最寄りの駅から二分。

それに加えて値段もリーズナブルだしね。

誰かと食事するときはほとんどと言っていいほど利用している。例えば京子とか香奈とかその他の後輩とか。

で、今回は香奈の場合だった。

店の中に入ってすぐに「いらっしゃいませー」と声をかけられる。

私は待ち合わせであると伝えると店員さんが下がったので香奈を探す。場所は禁煙席。香奈は未成年だし私はタバコを吸わないから自然とそうなる。

キョロキョロと辺りを見回すと香奈の姿を見つけたので、そちらへ向かう。

「ああ、佐々木センパイ。遅かったですね。まだ注文してないんで、早めに決めてください」

 そんな言葉で慇懃無礼に私を出迎えたのは私の高校の後輩であるところの葉山香奈だった。

現在三年生。

元テニス部の部長だ。

「ああ、ごめん。ちょっと野暮用があって遅れちゃった」

 これは嘘だ。スマホのゲームに熱中してしまい時間を忘れてしまったのだ。

「そうなんですか。まあ十分くらいなんでいいですけど。今日はセンパイのおごりでいいんですよね」

「そうだよ。ていうか、いつもおごってるじゃない」

「あれ? 二回ほど財布忘れて自分が払ったことありますよね?」

「……そんなことはいいじゃない。さあ何食べる?」

「いや、良くないですけど……自分は若鶏のから揚げ定食で」

 メニューを見開きながら香奈が選んだので私はテーブルのチャイム(正式名称はベルスターと呼ぶらしい)を押した。私は食べたいものが既に決めていたので、メニューは見なかった。 

程なくして店員さんがやってきた。

「若鶏のから揚げ定食とオムライス、あとドリンクバーを二つお願いします」

 店員さんが注文を繰り返し、立ち去るのを見送りながら、私は香奈のほうを見る。

 褐色の肌、艶やかな黒髪。部活を引退してから伸ばしているので、今では肩口まで揃っている。大きな瞳に形の良い唇。そして中性的な容貌。今は制服姿だから女子だと分かるが、ユニセックスな服装だったら男子に見えたり女子に見えたりしてどっちつかずになるだろう。

「……なんですか、じろじろ見て」

 ジト目でこちらを見つめ返す香奈。おっとまるで値踏みしているように見ていたのか。

「なんでもないよ。ただ最近ますます美人になってきたね」

 私がそう笑顔で返すと、ぷいっと目線を外して、「いきなりなんなんすか」と怒ったように言う。どうやら照れているらしい。

 私はそれを見てにっこりと微笑んだ。可愛いなあ。

「ニコニコ笑わないでください。ところで何か用事があって呼び出したんですか?」

「用事? そんなものないよ」

「…………」

「睨まないでよ。久しぶりに後輩と久闊を叙したいと思ってさ」

「難しい言葉使って誤魔化さないでくださいよ。ようするに暇だったから誘ったんでしょう?」

 流石に長い付き合い(二年くらいだけど)だから私のことを随分知っているようだ。

「ごめんごめん。でも最近会ってないし」

「最近と言っても二週間前に会ったばかりですよね。それに、これでも受験生なんですから一応勉強しないと――」

「推薦決まったでしょ。私の大学に」

 さらりと言うと香奈は大きな瞳をさらに大きく見開いた。口もパクパク開いたり閉じたりしている。もし漫画だったら頭の上にクエスチョンマークとエクスクラメーションマークが大量に描かれるだろう。

 やっぱり人の驚く顔って面白いなあ。

 香奈みたいな美人なら尚更だ。

「……どうして、知ってるんですか?」

 やっと混乱が解けたのか、恐る恐るといった感じで香奈は尋ねてきた。

 どうしよう、まだネタバラシは早いかな?

「まあまあ、どうでもいいじゃない。それよりドリンクバーに行こうよ」

「どうでも良くないです! 何故知ってるんですか! 私だって一昨日知ったのに――」

「とりあえず落ち着きなよ。そんな大声、周りに迷惑だよ。しょうがないなあ、飲み物持ってきたら話すよ」

「……分かりましたよ。その代わりちゃんと聞かせてくださいよ」

私の提案に香奈は不承不承としたように頷いた。

私たちは立ち上がり一緒にドリンクバーに向かった。私はコーラを選んだ。ボタンを押すとシュワシュワの泡がコップの中に注がれる。横目で見ると香奈はウーロン茶を選んだようだ。

「さあ、話してくれますよね」

 テーブルに戻るやいなやすぐさま香奈は聞いてきた。詰問と言っても過言ではない。ていうかちょっと恐い。後輩のクセに。

「香奈は一昨日知ったって言ってじゃん。でも私は昨日知ったんだよ。いや、知ったというより聞いたというのが正しいかな」

「……誰から聞いたんですか?」

 やっぱり種明かしはされるよりする方が楽しい。

してやったりという気になれるからだ。

「テニス部の顧問の山田先生」

「あっ」

「そして香奈の担任でもある山田先生に報告したじゃない。そこから私に伝わったのさ」

 山田先生は私の高校時代の部活の顧問でもある。今どき珍しい熱血な人物なのでめんどくさがり屋の私はよく指導されていたのだった。今でも繋がりがあり、香奈のことを定期的に報告してくれるのだ。

「というより個人情報が駄々漏れじゃないですか。私にプライバシーはないんですか」

「そのくらいだったら別にいいじゃん」

「加害者が決めて良いことではないです」

「人を犯罪者みたいに言うんじゃないよ。まったく不義理な後輩だよ」

「不義理って――」

「どうして、私の大学を受けたのかな?」

 文句を言われる前に機先を制す。

「そ、それは――」

私の問いに一瞬躊躇して、それから何かを言おうとしたとき。

「お待たせしました。若鶏のから揚げ定食です」

 店員さんが見計らったように料理を運んできた。そのタイミングの悪さに内心驚いた。

「先に食べていいよ」

「……どうせすぐ来るんで待ってますよ」

 その言葉通り、二分もしないうちにオムライスが運ばれてきた。

「とりあえず、食べよっか! いただきまーす!」

「……いただきます」

 気まずい雰囲気の中(まあ狙ったけど)私たちは食事をし始めた。

「で、さっきの続きだけど、どうして私の大学を受けたのさ。確か模試の結果が良かったって言ってたじゃん。九月のときだけど。香奈のレベルだったらもっと上の大学行けるはずだよ」

 食べながら私は香奈に疑問を投げかける。疑問と言っても正解はなんとなく分かっていたから疑問というよりは確認だった。

 そう、確認。

 窓を開けて空を見て、なんとなく天気は分かるけど、一応テレビの天気予報でも見ようかなと思う程度の確認。私の中には既に解答があった。

「…………」

 香奈の箸は止まったけど、言葉は出てこなかった。

「怒ったり茶化したりしないから、正直に言いなよ」

 優しい声音で促すと、香奈は不承不承といった感じで恥ずかしそうに口に出す。

「……佐々木センパイと根室センパイの大学に行きたかったからです。またあなたたち二人の後輩になりたかったからです」

「……へえ」

 意外だ。てっきり京子のことだけ言うと思っていたら、私のことも言うとは。

 ちなみに根室センパイというのは京子のことだ。

根室京子。私の一番の親友で元相棒だ。

「まさかそこまで慕ってくれてるとは思わなかったよ。慕ってるのは京子だけだと思ってた」

「……慕ってなかったらこうやって食事したりしませんよ。お二人は私の尊敬するセンパイですから」

「香奈、大丈夫? 変なものでも食べたの?こんな素直なの初めてじゃない。いや、卒業式以来かな?」

 本当に驚きだ。デレないツンデレって(あだ名として広めようとしたけど阻止された)性格な香奈にしてはなかなかにレアな物言いだった。

「私だって、素直じゃないの自覚してますから。それにちょっと嬉しかったんです」

 そう言うと香奈は勢いよくウーロン茶を飲み込む。

「嬉しかった? 今日の夕食代が浮いたからなの?」

「違います。佐々木センパイが私のことを気にかけてくれたことですよ」

 そりゃあ可愛い後輩だからね、と軽口を言いかけたけど言わなかった。何故なら香奈は真剣な表情で私を射抜くように見つめていたから。

「あんなことがあったのに、どうして私なんかを気にかけて、気にしてくれるんですか」「香奈、君はまだ気にしてたんだね」

でも――

「あの話はしたくないね」

 重くて硬い拒絶。

それでも、香奈は私の心の中に踏み込もうとする。

「じゃあなんで、テニスを辞めたんですか!大学で続けなかったんですか!」

 あーあ、言われちゃった。

 なんだか嫌だな。香奈がまた大声出して勢いよく立ち上がったせいでこっちに視線集まってるし。

「香奈、落ち着いて。店の中だし、そんな興奮して話さないの」

「……すみません。でも知りたいんです。センパイがなんでテニスを辞めたのか。あなたの後輩として、知っておきたいんです」

 座りながらそんな弱い声で言われると、なんだか自分が悪いことをしているようで、心の奥が痛んでしまう。

 でも、本当のことを言う訳にはいかない。私自身整理がついてないんだもの。

「佐々木センパイと根室センパイは凄かったですよ。インターハイで個人のダブルスで好成績を収めたじゃあないですか。マスコミにも注目されたし、何より結果を残した。私から見ても素晴らしいペアでしたよ。なのに何故ですか?」

 今日はかなり珍しいことが続くなあ。香奈が恥ずかしがらずに誉めるなんてめったにない。

「私はそんなに凄いことはしてないよ。私は小さい頃からテニスやってたから、中学や高校から始めた人よりアドバンテージがあったしね。誉めるなら京子だけだよ。京子は中学から始めたのに私より強くなるんだもん。才能だけじゃなく努力もしているし」

「謙遜しないでくださいよ。私からしたら二人とも雲の上の存在ですから。それより答えてくださいよ。どうしてテニスを辞めたんですか?」

 容赦なく追求してくる香奈に対して、私は本当の理由と建前の理由のどちらを話すか悩んで――

「別に理由なんてないよ。強いて言うなら自分の限界を知ったからかな」

 建前の理由を選んだ。

「限界、ですか? インターハイでの最後の試合のことを言ってるなら、それは――」

「いや、それ以前にも自分が強くならなくなっているって分かっちゃうことがあった」

 私は建前の、いや嘘の理由を話始める。考えながら話しているので、たどたどしくなってしまう。しかし、それが信じやすくなっているのだと感じた。

「ショットの打ち分けが上手くできなくなった。今まで追いついていた球に追いつけなくなった。コースが甘くなったり、京子とも連携が機能しなくなった。まあいろいろ理由があったけど、全盛期の自分からどんどん衰える感覚が所々に出てきたんだ」

「……そんなこと、ないですよ……センパイは今のままでも強かったんですよ? もったいなくなかったんですか?」

「もったいない? じゃあ私はいつまでテニスをすれば良かったのかな?」

 私は――怒るフリをした。自然と早口になる。

「大学まで? 社会人まで? それともプロになって引退するまでかな? もうピークは過ぎたんだ。過ぎたんだよ。それにだったら辞めてもいい時期っていつかな?」

「……センパイ、それは――」

「香奈はまだ分からないと思うよ。この前の試合を見てもまだ、ピークはきてないし。これから凄いテニスプレイヤーになると思うしね。そうそう、私の大学のテニスサークルは真面目にやってないし今からでも別の――」

「別の大学は行きません。センパイ達の大学に行きます」

 私の声を遮って香奈はぴしゃりと言った。

「センパイの大学って地元の中だと一番就職率が高いですから。それに先に言ったじゃあないですか。センパイ達の後輩にもう一度なりたい。それが私の本音です」

 そう宣言すると香奈は残っていたウーロン茶をグビグビグと飲んだ。飲む干すと香奈は真っ直ぐ見つめてきた。香奈の黒い瞳は吸い込まれるように綺麗だった。

「センパイの理由は分かりました。そのような理由があるなんて思いもよらなかったですよ。でもそれなら、どうして相談してくれなかったんですか。私じゃあ頼りないですか?それに私じゃなくても根室センパイに相談しなかったですか?」

「どうして、京子に相談してないって分かるのかな?」

「だって根室センパイも悩んでましたから。言ってましたよ、辞めた理由を話してないって」

 ありゃ、そうだったのか。でも人のいないところで相談、いや密談しないでほしいな。

「京子は実家のこともあったし、可愛い後輩にこんな情けないこと言えないよ」

 そう言うと、ますます不可解な顔をする香奈。それに加えてなんだか不機嫌になっている。私は気の抜けたコーラを口に含んだ。

「情けないってなんですか?」

「うん? 情けないんじゃないの。自分のことなのに他人事のように思うけど、強くなれないからって投げ出すのは情けないんじゃないの?」

「そんなこと――ないです」

 香奈は何を言おうか思いを巡らして、そして言葉を選びながら口に出した。

「少なくとも、私はセンパイを情けないなんて思いません。引退したのは正直言ってずるいと思いましたし、こうして理由を聞いた今でも、卑怯だと思いますけど、それでも情けないと思うことはないです」

「ふうん。どうして?」

 私はどうして香奈が私みたいなどうしようもない人間をかばっているのか、理解できなかった。もし私と香奈の立場が逆ならば、きっと離れていくだろう。

 そう、かつての同級生や後輩たちのようにだ。

そのように離れてしまっても私は悲しむだろうけど、最後は納得するだろう。だって私は香奈が言ったようにずるくて卑怯だと自覚しているから。

「センパイが努力しているのはずっと見てましたから。根室センパイ以外の他のセンパイがついていけなくなったときだって、それでも努力しているのを見ていましたから。だから情けないこと、ないです」

「結果、あんなことになってしまったのに?それについてはひいき目で見ても駄目だったと思うな。違う?」

「違います」

 香奈は――断言した。

「私は、勝ちたいと思って、必死に努力した人を駄目だと思えません。結果辞めるようになっても、センパイを情けないと思えないです。だって、センパイは、私の尊敬する二人のセンパイの一人なんですから」

 ああ、なんて良い子なんだろう。嘘をついて適当な理由を述べた私が恥ずかしくなる。さらに欺瞞で塗りつぶされている私と比べて香奈はとても真っ直ぐでキラキラしていて。

 なんだか酷く妬ましくて、それでいて羨ましくなった。

「……センパイ?」

 香奈はどこか心配しているような顔になって私に尋ねた。なんだろう?

「どうして、泣きそうなんですか?」

「えっ? そんなことないよ?」

 そんな顔をしてたのかな、私。

 後輩に心配されるような悲壮な顔をしていたのか。多分五割が罪悪感、三割が諦念、残りが羨望なのだろう。

「あるとしたら、香奈がそういう泣かせることを言ったからだよ。まったく、香奈は先輩泣かせだなあ」

「はあ、すみません。……考えてみたら私かなり恥ずかしいこと言いましたね」

 今更何言ってるのと思ったけど、敢えて言わなかった。



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