表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

私とこの子は同じだった

 終わりは突然に始まった。

 六時半に起床。外を見るとまだ暗かった。雨は降っていないけど、今日も寒そうだ。

 朝ご飯にコーンフレークを食べた後、春花ちゃんの学校の準備を手伝った。

 春花ちゃんの教科書は朝日さんの部屋に置いて(放置と言ってもいい)あったので、そこは簡単に済んだ。

「春花ちゃん、学校に行くときは誰かと一緒なの?」

 訊くとそんな人はいないと言う。私の時代だと班行動で登校するのが普通だったけど、今は個人らしい。

「そっか。気をつけていくんだよ。帰ったら何食べたい?」

 朝ご飯を食べた後なのに、晩ご飯のことを訊くのはどうだろうと、後で反省した。

「……シチューが食べたいです」

「クリーム? それともビーフ?」

「クリームがいいです」

「分かった。先に帰ることもあるから合鍵を渡しとくね」

 月曜日は大学の授業が三限と四限しかないので(憂鬱になるので午後から)帰宅が遅くなるかもしれない。だから以前作っておいた合鍵を春花ちゃんに渡す。

「分かりました。いってきます」

「うん、いってらっしゃい」

 マンションの外まで見送って、春花ちゃんの姿が遠ざかるまで待って、そして部屋に戻る。

「ふう。久しぶりに一人になっちゃったな」

 声に出して言うとなんだか落ち込んじゃうな。

人と一緒に暮らすなんて中学以来だからどきどきしてたけど、なんとかなったというのが感想だ。

 その後テレビを見てスマホを弄り、掃除と洗濯をして時間を潰す。特に洗濯は京子と香奈に貸した服の分があったので量が多く、二回に分けて洗濯機を回した。

 綺麗になった洗濯物をベランダに干していると玄関からピンポンとチャイムが鳴った。

 また新聞か宗教の勧誘かなと思いつつ、玄関へ向かいドアの覗き穴を見る。

 うん? 若い女性と中年の男性だ。

 男性はグレーのスーツにオールバック。背がかなりでかい。百八十は有にある。ひょっとすると百九十はあるかも。

 女性は対照的に背は低い。パンツルックでファッションよりも動きやすさを主眼に置いたと推測できる。

 二人とも物腰が尋常じゃない。

なんか嫌な予感するなあ。

「佐々木さん、いますかー」

 女性のほうが呼びかけてきた。私を知っているようだ。しかしこんな二人組みは知り合いにいない。

 仕方ない出るか。

 一応の用心としてドアチェーンをしてから「はい、出ます」と言ってドアを開けた。

「えっと、はじめましてですよね?」

 恐る恐る訊くと女性のほうが「そうですねはじめまして」と答える。意外とハスキーな声だ。

「私たち、こういう者です」

 二人が同時に手帳を出して中を見せた。

「捜査一課の立花です」

 顔写真に名前と階級が書かれている。

 警察手帳だった。

 その瞬間、嫌な予感と心当たりが見つかった気がした。

「警察ですか。どうも」

 驚き過ぎて軽い感じのリアクションになってしまった。

「……あまり驚かないんですね」

 私の反応を訝しげに窺う立花さん。窺うから疑うにならないように「いや、びっくりしました」と訂正する。

「驚き過ぎて逆に冷静になりました」

「そうは見えないですけどねえ。私は千葉と言います。佐々木さん、部屋でお話を伺ってもよろしいですか?」

 男性(千葉というらしい)がスーツの内ポケットに警察手帳を仕舞いつつ訊いてきた。

 語尾にクエスチョンマークを付けていても強制的な言い方になっている。

「えっと、いいですけど、私、大学があるんで、手短にお願いします」

 断っても無駄だなと感じたので部屋に二人を招くことにした。

「ありがとうございます。失礼しますよ」

「お邪魔します。安心してください、時間はそれ程取りませんから」

 一度ドアを閉めてチェーンを外して再度ドアを開ける。

 二人を居室へ誘導し、座布団を渡しで「どうぞ座って待ってください」と促す。

 二人を残してキッチンに行き、三人分のコップに紅茶を淹れる。ティーパックだけど銘柄はダージリンだ。

「お待たせしました」

 お盆にコップを載せて部屋に入り、テーブルに千葉さん、立花さんの順に置く。さっき見せてもらった警察手帳には千葉さんが警部補、立花さんが巡査部長だったので偉い順に優先的に置いた。

 自分の分の座布団の上に座って刑事さんたちと向かい合う。右に千葉さん左に立花さんが位置している。

 なんだか取り調べみたいだなと思った。

「では早速聞かせてもらいます」

 立花さんが警察手帳とは別の茶色の手帳を取り出し、開いて中の内容を見ながら言う。

「朝日春花さんを知っていますか?」

「知っています。隣の朝日さんのお子さんですよね」

 この人がどのくらいの情報を得ているのかはっきり分からないので誰もが知っている情報を話す。

「交流はあったんですか?」

「ええ、あります。会えば挨拶もしますし、お話したこともあります」

 綱渡りのような会話。いまいち核心を突く質問をしてくれないとこっちも反応できないなあ。

 こっちから言おうかな。

「最近見たのはいつですか?」

「最近って言うか……朝日さんから預かってますよ。春花ちゃん」

「えっ? 預かっているですって?」

 立花さんが目に見えて動揺している。こんな状況だけど、人を驚かすという楽しみがあるのはなかなかに愉快だった。

「それは、ここに居たということですか? 今どこにいるんですか?」

「えーっと、はい、居ました。今は学校に居るんじゃあないですか」

 あっさり言うと立花さんが不可解な顔をして続けて問い質す。

「あの子――朝日春花ちゃんの身体をあなたは見たんですか?」

「ええ、見ました」

 それがどうかしたんですかと言う風に答えると立花さんは明らかに表情を崩す。

「じゃあ、虐待の後――」

「ええ、知ってます。とても見てられない傷跡でしたね」

「あ、あなた――」

「落ち着け立花」

 すると千葉さんが窘めるように立花さんを制止する。

「失礼しました。ではあなたは虐待の跡を知った上で警察にも児童相談所にも通報しなかったんですね」

 千葉さんの若干責めるような口調に怯むことなく、私は自分の考えを主張する。

「はい。だって信用できませんから」

 その一言に立花さんは「なんですって!」と怒りを露わにした。

「警察をなんだと思って――」

「言いませんでしたっけ? 信用できないと言ったんです」

 立花さんが言葉に詰まるのをきっかけとして滔々と述べる。

「だって事件が起こってからしか動けない、まるでハイエナのような機関でしょう? その証拠に春花ちゃんが虐待を受けていたときあなたは何をしていたんですか?」

 怒っているわけではないのだけど自然と責める口調になってしまった。

「警察を侮辱する気ですか……!」

「はい侮辱したんです。捜査一課だとしたら担当は殺人ですよね。どうして殺人が起こる前に解決しないんですか? それはあなた方が無能な人間だからでしょ」

 感情的になってしまうのを抑えようしたけどできないみたいだ。

「もう一度訊きます。春花ちゃんが虐待を受けている間、あなた方は何をしていたんですか?」

「何もしていないわけではありませんよ」

 立花さんが言葉を発する前に千葉さんが割り込んだ。

「警察は国民の安全を守る公僕です。しかし時として間に合わない場合もあります。殺人や強姦や強盗をあなたが言う『手遅れ』の状態で対処するケースが主な仕事です。けれど私たち警察が抑止力としているという事実も佐々木さん、あなたも理解しているはずですね」

「……まあそうですね」

「私はあなたみたいに警察を信用できない人も守るのが警察官の在り方だと考えていますよ」

 柔和な表情を保ったままの千葉さんの言葉に「はあ、そうですね」と気のない反応して煽ってみるとその考えを見透かしたように軽く笑われた。

 なんか子供扱いされていて不愉快だ。

「それで――私に何を訊きたいんですか?」

 話を戻すと立花さんは怒りを隠しながら手帳を捲りつつ言う。

「朝日春花ちゃんの行方を聞きたかったですけど、それはもう確認が取れましたので、もういいです」

「あれ? 私が預かったのは金曜日の夜ですよ?」

 私の疑問に立花さんは「学校には木曜日から行ってなかったんですよ」と答えた。

「それで学校から突然来たと連絡があったので、捜査のためにここに来たんです」

 なるほどと納得するのはまだ早い。

 何故殺人などを担当している捜査一課がたかが一人の女の子を探すために動くとは限らない。

 何か別の目的が――

「そういえば、朝日さんのこと、訊かないんですね」

 私のふとした疑問に立花さんはぴくりと反応した。千葉さんは微塵も動揺しなかったけど何かを隠そうとして反応しなかったと見るのが妥当だろう。

「いえ、これから訊こうと思ったんですよ」

 千葉さんが笑みを浮かべながら言ったので私は『ああ、誤魔化したんだな』と密かに思った。

「立花さんがもういいですと言ったものですから、それ以外訊くことがないとばかり……すみません、先走りました」

 平謝りして追及はしない。もう分かってしまったから。

 おそらく朝日さんは――

「ついでに答えますと朝日さんの行方は分かりません。手紙を預かって春花ちゃんの面倒を看るように頼まれたものですから」

「手紙……ですか?」

 訝しげな立花さんを納得させるために私は立ち上がってクローゼットを開き、そこに隠しておいた手紙を二人に渡す。

「ほうほう。なるほど、この手紙で預かることを決めたんですね」

 素直に受け止める千葉さんと対照的に「よくこれで預かろうと思いましたね」と手紙を返しながら呆れて言う。

「これ以前から春花さんを預かってたんですか?」

「いえ、今回が初めてです」

「……本当に預かろうと思いましたね」

 ますます呆れ返る立花さんに「ええ、私自身びっくりです」と返した。

 その後は預かってからの三日間のことを話した。後々春花ちゃんからも話を訊くだろうと思ったのでなるべく正直に答えた。香奈と京子のことも隠さずに。

 三十分ぐらいして話が終わった頃を見計らって千葉さんが「ありがとうございます」と打ち切った。

「長居して申し訳ございません。ご協力感謝いたします」

 最後になって「何かありましたらこちらにご連絡ください」と名刺を貰った。

「ああ、すみません」

 私は立ち上がって帰り支度をする二人の刑事を呼び止めた。

「なんですか?」

「えっと、二つほど訊きたいことがあるんです。すぐ済みますので答えてほしいんですけど」

 立花さんはあからさまに嫌な顔をした。さっきから煽ったりしているから嫌気が差したのだろう。

「二つですか。いいですよ。しかし捜査上のことは話せませんが」

 千葉さんが快諾してくれたのを受けて私も立ち上がり真っ直ぐ見つめる。

「一つ、春花ちゃんはどうするんですか? 警察のほうで保護するんですか?」

「ああ、すみません、言うのを失念してしまいました」

 うっかり忘れていたらしい。

「警察で保護します。ですので今日から預からなくていいですよ。このあと向かいに行きます」

 素直に良かったと思えなかった。逆に寂しいなあと感じた。

「そうですか。では二つ目――」

 ジャブの質問の後に左ストレートを叩き込む。心理学までは行かないけど詐欺師のやり方だと思う。

 敢えてなんでもない風に訊くのがポイントだ。

真実は自ら転げ落ちてくる。


「朝日さんはいつ死んだんですか?」


 私の質問にいち早く反応したのは立花さんだった。

「どうしてそれを――っ!」

 言いかけて、止めようとして口を手で押さえる。その仕草こそ自供、自白に相当する。

「……馬鹿、そんなのに引っかかるな」

 敬語をやめた千葉さんは自分の部下の過失にやれやれといった感じだった。

「いつ気づいたんだ?」

「千葉さん! 言う必要は――」

「もう言ったも同然だろ? 下手に騒がれるのはもっとやばい」

 千葉さんの言葉は正しかった。私は知らないことを知らないままにいるのが一番嫌いなのだ。

 未完成なパズルを完成させたい気持ちは誰だってわかるだろう?

「白状しますと、死んだか捕まったか、直前まで悩んでいたんですよ」

 やっぱり種明かしはするほうが楽しい。

「捜査一課が動くということは殺人が中心。この場合朝日さんが被害者か加害者かで事情が変わってきます。つまり殺人犯として捕まったか被害者として死んでしまったか。まあ殺人犯以外も考えたけど絞りきれなかったし二分の一で被害者のほうに賭けた。まあそういうことです」

「質問の答えになってねえな。いつ気づいたんだ?」

「朝日さんのことを訊かなかったとき。もっと前の捜査一課だと名乗ったとき。この二つが繋がって分かったんです」

 二人の刑事さんの目が僅かだけど、見開いた。

「それと質問の答えになっていないのはそちらですよ。いつ死んだんです?」

 立花さんが不安げに千葉さんの顔を見る。

 千葉さんは「言えない」と頭を掻きながら答えた。

「まだ捜査中だから言えない」

「……分かりました。質問は以上です」

 知りたいことも知れた。驚かせることも成功した。言うことなしだ。

 どうして死んだだとか、何故死んだだとか訊きたいこともあったけど、せっかく勝ったんだから聞き出すのは野暮だろう。

「佐々木さん、まるで刑事みたいに鋭いな。どうだ、刑事になる気はないか?」

 千葉さんの勧誘まあリップサービスだろうなを私は丁重に断る。

「さっき言いましたよね。警察は信用できないんです」

「ああ、そうかい」

そう笑って千葉さんは立花さんを伴って部屋から去っていった。

 ドアが閉まり、十秒数えた後で鍵を閉めて居室に戻る。

「春花ちゃん、大丈夫かな……」

 声に出して呟く。

 実の母親に虐待されて。

 実の母親に先立たれて。

 滅茶苦茶同情したけど――

 私にできることは限られているし。

「大学は……行くの面倒だなあ」

 言葉にできない徒労感と疲労感に襲われて私はベッドに横たわり目をつぶった。

 もう分かってしまうことがうんざりした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ