人生ナビゲーター
俺は今日、ようやく人生ナビゲーターを手に入れた。これが近頃ヤケに評判が良い。テレビやインターネットを見ていても悪く言う人が一人もいない。前からずっと欲しかったのだが、品薄でなかなか買えなかった。人生ナビゲーターという名前を聞けば、もう、これがどういう機械かは想像がつくと思う。あらかじめ今までの自分の人生に関するデータを入力して、それから機械をスタートさせると、後はリアルタイムで自分の人生のパートナーとなって作動する。インターネットにも繋がっているので各方面の最新情報は全て網羅している。購入者の生活のすべての情報を収集しながら、世界中の情報と照らし合わせてそれらを分析し、人生のいろいろな場面でどのような選択をしたらよいかを的確にアドバイスをしてくれるという優れ物だ。人生を分岐点の多い道を進んで行くドライブに見立てて人生ナビゲーターと名前が付けられたのだ。
俺は現在高校二年生。人生の勝負は高校から就職までの7-8年で粗方ついてしまうということぐらいの事は俺でもよくわかっている。だから小遣いを叩いて人生ナビゲーターを買ったのだ。家に帰って来て、俺はすぐに自分の生年月日から始まって、学歴、成績、読書歴、旅行歴、好きな食べ物、好きな映画、生活習慣等、ありとあらゆる情報を入力していった。両親、兄弟、友人のデータもいろいろとすべて入れなければならないから結構たいへんだ。初期データの入力だけで1週間も掛ってしまった。しかし、ここまで済めば、後はこれを腕時計のように左腕に装着して準備完了だ。よし、では、スタート。
購入してから半年後、通っている高校で、文系か理系か、どちらかのコースを選択しなければならなくなった。俺はまず自分で考えてみたのだが、判断できない。そこで人生ナビゲーターに聞いてみた。すると「理系を選択してください。」と短くモニターに表示された。そこで言われた通りに理系に進むことにした。この俺の選択は同学年の仲間みんなを呆れさせた。「分母が違う分数の足し算ができないアイツが理系かよ。」と言うのだ。確かに俺は、分数の計算は得意ではない。1/2+1/3=2/5でなぜいけないのか、未だに理解できない。しかし、人生ナビゲーターが理系に行けと言うのだから、凡人には思いもよらない何か深い考えがきっとあるのだろう。
1年後には、受験する大学を決めなくてはならなくなった。理系を選んだ俺だが、やはり分母の違う分数の計算ができない俺の頭では理系の大学で受かりそうな所はなかなかない。どこを受験するべきかわからなかったので、再び人生ナビゲーターに聞いてみた。すると「川崎実業大学の水産学部を受験することをお勧めします。」と表示された。調べてみると、どうやら分母の違う分数の計算は過去に出題されたことがないようだ。さすがは人生ナビゲーターだ。さっそくここを受験することにした。おそらく、将来はうなぎの完全人工孵化とかクロマグロの養殖の効率化とかを研究することになるのだろう。入試は全然できなかったが、結果は合格だった。「定員割れしているのだから、お前でも受かるのは当たり前だ。」と人には言われたが、最低限の学力はないと定員割れでも落すとうわさされているので、自分では一定の学力は認められと自負している。ただ、合格発表版に掲示された受験番号がカレンダーの日付けのように全部つながっていて欠番がなかったのは事実だ。まあ細かいことは気にしないことにしよう。実際入学してみると、川崎実業大学水産学部の授業は新鮮そのものだった。教科書は一切使わず、ひたすら実習だ。投網の投げ方、地引網の引き方、タコツボの仕掛け方、カツオの一本釣りのコツ、モリでの魚の突き方等、魅力的な授業がめじろ押しだ。まあ、正直言って俺は将来漁師になるつもりはないので未来の仕事には役立たないと思ったが、子供ができて、家族で海にキャンプに行った時等、実習で習ったテクニックの一端でも子供に見せることができれば父親の威厳が示せるというものだろう。
大学生活を満喫するためにはクラブ部活動も重要だ。これも人生ナビゲーターに聞いた。すると「将棋部に入ってみたらいかがでしょう。」と言う。俺は将棋はそこそこの実力だが、せっかくの大学生活だから、そんな暗そうなイメージのじゃなくて、女の子とチャラチャラ遊びながら青春を満喫できる軽いスポーツ系の部を考えていた。だから、実際ちょっと「えっ」と思った。でも、まあ、人生ナビゲーターが言うのだから試しにそうしてみようと思った。案の定、他の部員はいかにも女の子とは縁の無さそうな変わり者のブサイクな男ばかりで往生した。ただ、強く記憶に残っていることが一つだけある。俺が川崎地区の大学の将棋大会の個人戦で優勝したのだ。その時は自宅からバイクで会場に向かったのだが、時間に遅れそうになり、対局開始時間ギリギリに対局場に飛び込んだ。滑り込むのと同時に対局だったので、俺は被っていたフル・ヘルメットをそのまま被りながら対局した。途中で何度か脱ごうかなとは思ったのだが、対局場の机の上は狭くて将棋盤とチェス・クロックでいっぱいで、フル・ヘルメットを置く場所はなく、結局、そのまま指し続けた。一局目は快勝だった。俺はゲンを担いで次の対局もそのままの格好でやった。次も会心の出来だった。そして、ずっとフル・ヘルメットのまま対局を続けたら、優勝してしまった。俺は意気揚々として表彰式までフル・ヘルメット姿で臨み、表彰状とカップを貰うとそのままバイクで帰った。次の大会も優勝するつもりでフル・ヘルメットを被って会場に行ったら、「フル・ヘルメット着用での対局厳禁」と会場のあちこちに張り紙がしてあった。それを見た途端、俺は恥ずかしさで顔が真っ赤になり、頭を挙げられなくなった。あの張り紙は名指しこそしていないものの、やっぱり俺のことを指しているんだよなあ。「フル・ヘルメットで対局されると怖過ぎるから禁止にして貰えませんか。」と誰かが大会本部にクレームを入れたのに違いない。この時の大会は良い所なく一回戦で敗退した。俺はこれを最後に将棋部を辞めた。この体験はしばらくトラウマになりそうだなと思った。無論、フル・ヘルメットを被りながら対局した俺が悪いのだが、この種のことをやらかしがちな俺の性格も人生ナビゲーターはきちんと把握してくれているのだろうか。本当に頼むぞ、人生ナビゲーター。
入学してしばらく経った時に信じられないことが起こった。2人の女性に同時に告白されたのだ。一人は長身の美人で社交的で明るい性格、もう一人は小柄でかわいらしく、ユーモアがあって包み込むような優しい性格だ。どちらも俺の好みで自分ではどちらにするか決められなかった。そこで、やはり、人生ナビゲーターに聞いてみた。すると「二股を掛けることをお勧めします。」と表示された。二股とは意外な回答だ。しかし、しばらく両方と付き合ってみて自分が本当にどちらを好きかがわかったら、その時、一方を選べばよいのだ、付き合う前からどちらが良いかなどわかるわけがないではないか。これは合理的な判断だ。俺は二人と付き合うことにした。しかし、破局はすぐに訪れた。俺はクリスマスのプレゼントとして二人に同じゲーム機を買って贈った。同じ物にしたのは、二人に違う物をプレゼントすると、どちらに何を贈ったのかがこんがらがって、後で面倒な事になるかもしれないと思ったからだ。我ながら抜かりないと思っていたのだが、ゲーム機に添えたメッセージ・カードに書いた名前をお互いに取り違えてしまっていた。無論、次に女に会った時には徹底的に糾弾された。俺は生まれてこの方、あんなにしどろもどろになったことはない。それがダブルなので精神的ダメージもひとしおだ。しばらく、立ち直れなかった。無論、人生ナビゲータ-が悪いのではない。メッセージ・カードを取り違えた俺の不注意が原因だ。しかし、こういう最悪の結果になってしまって、俺は人生ナビゲーターを正直少し恨んだ。俺の注意力散漫は治らないのだからそれをちゃんと考慮に入れて、もっと的確にアドバイスして欲しい。そのための機械ではないか、しっかりしてくれ、人生ナビゲーター。
大学生活と言えばアルバイトが付き物だ。俺は今までアルバイトはしたことがない。そこで人生ナビゲーターにどんなアルバイトをしたらいいのか尋ねてみた。すると「雨乞いのアルバイトをお薦めします。」との返事だ。さすがの俺も雨乞いのアルバイトがあるとは知らなかった。でも、インターネットで探すと、地元の川崎で本当に雨乞いのアルバイトを募集していた。俺に霊的パワーや超能力がないことは自分でもよくわかっているが、経験・能力不問とのことだ。そこで早速、やってみることにした。業務内容は予想した通りだった。神主の出来損ないみたいな変な格好に着替えさせられて、川崎市庁舎の前の道路でヒラヒラした紙が付いた棒を左右に降って雨が降るようにずっとお祈りし続けるのだ。退屈な作業で、冬の屋外なので寒いし、人目もあるのでサボルわけにもいかない。さらにここは俺の地元なので、雨乞いを普通の大学生である俺がやっているということが通り掛かった知り合いにバレてしまい、「なんでお前がこんなインチキなことやってるんだ。」と路上で絡まれもして結構たいへんだった。ただ、ここまではなんとか我慢できたが、雨乞いは雨が降るまで続ける、とは知らなかった。昔の雨乞いはやれば必ず雨が降ったという。雨が降るまで儀式を続けたのだから当然だ。今でもその伝統は続いていた。賃金は一回雨が降るまでやっていくらというふうに決まっていて、日当ではない。その賃金も一日のファースト・フードのレジの給料と同じぐらいなので、2日目以降も雨が降らないと、その後はずっと実質タダ働きという仕組みだ。俺は冬休みを利用して雨乞いのアルバイトをやったのだが、関東地方の冬は本当に雨が少ない。結局3週間雨乞いの儀式を続けなければならず、クリスマス、正月を含めて冬休みはほとんど全部雨乞いで潰れた。手にした給料はレジ1日分だ。さすがに悔しくて、帰りの電車の中では涙が出てきた。雨が降らなかったからと言われればそれまでだが、この時期には雨が少ないことも雨乞いのアルバイトの仕組みも事前に分かっていたはずだ。なにやってるんだ、もう少しまともなアルバイトを紹介してくれ、人生ナビゲーター。
そうこうするうちに就職先を探さなければならない時期が来た。仲間はみんな漁師になるので、就職活動をするのは水産学部では俺ぐらいのものだ。周りには相談できる相手がいないので、やはり、人生ナビゲーターに頼るしかない。すると「外資系企業に応募してみることをお勧めします。」とモニターに表示された。想像すらしたこともなかった返事だ。俺は分母の違う分数の足し算に負けず劣らず、英語も苦手なのだ。本当に大丈夫だろうか。今まで、人生ナビゲーターのアドバイスで本当にうまくいった経験はなかったような気がする。俺は実際に外資系企業に応募する前に、大学の就職支援センターに相談してみることにした。就職支援センターで対応してくれたのは、まだ二十台半ばぐらいの若造の事務員だった。俺ともそんなに歳は変わりそうにない。俺は「外資系の企業に就職したいと思っているのですが、英語があんまり得意ではなくても大丈夫でしょうか。」と切り出した。若造は「はあっ?」という顔をした。「うちの水産学部から外資系というのはまだ過去に例がないなあ。まあ、挑戦してみるのはいいけれど、やっぱり英語はある程度必要だよ。英語が苦手と言うけど、どのくらいできないの?」「どのくらいできないかは自分でもわかりません。」「じゃあ、ちょっとテストしてみるから。」はたして就職支援センターの事務員に英語のテストをされた学生というのは過去にいるのだろうか。「英語で面接をされるかもしれないから、じゃあ、まず、自己紹介をさせていただきます、って英語で言ってみて。」「・・・」無論わからない。「じゃあ、私は水産学を専攻しています、は?」「・・・」専攻しているも、水産学も英語でどう言うのかは知らない。「じゃあ、私は学生です、は?」「アイ、アイ・・・」アイに付くビー動詞はイズだったろうか、アーだったろうか。「じゃあ、犬は英語でなんて言うの?」これはなんとかわかるような気がする。「犬はドッグですか?」「うん、じゃあ、牛はなんて言うの?」これもなんとかわかるような気がする。「牛はモーですか?」若造が不思議そうな目で俺を見詰めている。そのうち、若造の肩が小刻みに上下に揺れ始めたかと思うと「コッ、コッ、コッ」と鶏のような声で笑い始めた。その声は徐々に大きくなっていき、やがて遠慮会釈のない「グハ、グハ、グハ、グハ」といった大笑いに発達していった。若造はひとしきり大爆笑して疲れた頃に「やっぱ、外資系は無理じゃないの。」と言った。すごすごと退席する俺の背中に「牛はモーですか?で外資系かよ。」というつぶやきが無慈悲に浴びせかけられた。俺は悔しさと恥ずかしさで真っ赤になってフラフラと近くのベンチに座り込んだ。「やっぱり、この人生ナビゲーターがダメなんだ。こんな機械の言うことを聞いてきた俺がバカだった。こんな欠陥商品は捨ててしまおう。」俺が人生ナビゲーターを腕から外した時、モニターに長めの文章が表示された。「最後のナビゲーションを申し上げます。実は本製品は未だ開発途中で、現段階では御利用の方に御満足いただけるような性能ではありません。しかし、本製品がとても使い物にならないということは、どうか御自分の心の中だけにしまっておいていてください。他人には素晴らしい機械だと褒めて廻っていただき、どんどん勧めてください。そうすれば本製品をお使いいただいた方は勝手に自滅していきますので、今後は相対的にあなたの人生に有利に働き、今まで本製品があなたにお掛けした御迷惑を少しでも挽回していただけると思います。」クソ、そういうことだったのか。道理で人生ナビゲーターを悪く言う奴が一人もいないわけだ。しかし、くだらないアドバイスばかりする人生ナビゲーターでも、この最後のナビゲーションにだけは従っておいた方が良いような気がする。最後まで言いなりになるのはちょっと悔しいのだが、こいつを悪く言うのは俺もやめておこう。