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噴火の雅

作者: 椎名晴

 

 

 

(みやび)は小説を執筆するとき、「馬鹿々々しい」という言葉を度々使った。雅という小説家が誕生したときは、きっとこれが代名詞になるだろうと思われる。雅は何に対しても馬鹿々々しいと感じた。


中学1年生の雅には、友達と呼べる人が一人もおらず、雅自身、それをあまり気にしなかった。本当は友達がいればいろいろと楽しいだろうし、便利になるときも来るだろうと思っていたが、周りは友達と呼びたくない連中ばかりだ。何かあれば、すぐに恋愛の話をする。他人の恋愛を訊くほどつまらないものはない。トイレに一緒に行く。自分に尿意がなくても付いていかなければならない。男の前だと音消しを何度も使うくせに、女子トイレではそれを使わない女子もいる。尿のチョロチョロとだらしない音を聞きながら、芳香剤と雌臭い匂いとが混ざり合った空間で他人を待つほどの苦痛はない。


趣味が合わない。これも理由の一つだった。雅は読書が趣味で、よく海外小説を読み漁っている。中でも、ガブリエル・ガルシア=マルケスが好きで、「百年の孤独」は愛読書だった。表紙カバーはビリビリに裂け、ページには手垢が付き、まるで三学期の国語の教科書のように膨張している。雅にとって、逆に愛着が沸いて、新しいものを買おうとしなかった。それを休み時間の教室で読んでいて、「何を読んでるの?」と聞いてくる女子もいたが、マルケスの名前を出すと、みんな離れてしまう。私と同じように読書をしている女子の表紙カバーは、ほとんどがピンク色に染まったケータイ小説か、ラノベの類で、雅は軽文学というジャンルをとことん嫌っていた。


「私は他の奴らとは違う」これが雅の出した結論で、周り全員が馬鹿に見えて仕方がない。「今日も先輩かっこよかった!」「やべー週末課題やってねえ」「小学校のダチとカラオケ行ったんだけど、そいつのワンオク、マジで上手いよ!」「帰り道に数学のデブに買い食いばれてマジ焦った」こういう会話が聞こえてくる度に雅は心の中で呟くのだ。


「馬鹿々々しい」と。




そんな雅にも恋をしている男がいた。彼の名前を一馬(かずま)と言った。高校2年生で、身長170㎝、体重56㎏。塩顔の男だった。趣味は音楽鑑賞で、バロック派クラシックを好んだ。中でもヴィヴァルディが好きで、季節の移り変わりを感じると、その季節にあった「四季」を聴いて楽しんだ。部屋にある自作のスピーカーから近所迷惑にならないほどの音量で、椅子の背もたれに背中を預け、ゲーテやドストエフスキーを読みながら聴く。この風習を一馬はとても大事にした。同時に愛してもいた。自分に酔っているところもあって、雅にとってはそれが鼻に付かず、逆に愛おしく思えた。本当に「四季」や「罪と罰」の良さを一馬が理解できているのか、雅にはわからなかったが、それでよかった。


「どうしてお兄ちゃんは友達がいないの?」雅は、一馬をそう呼んでいた。


「いないんじゃない。作らないんだ」


「一人で寂しくないの?」


「孤独は怖いものじゃない。孤独は最大の防御なんだ。誰にも干渉されない。否定されることもない。裏切られることもない。だって僕たちはただでさえリスクを背負って生きているだろ?」


雅には一馬の言っていることが理解できなかったが、一馬の言うことすべてをまるでカルト教団の教祖様のように慕い、敬い、信じた。雅は一馬の影響を受けて、読書を始め、クラシックを聴くようになり、友達を作らなかったのだ。




雅は自分が一馬に恋をしているという自覚が幼稚園の頃に芽生えて以来、ずっと一馬だけを見てきた。一緒にお風呂に入ることもあったし、同じベッドで眠ることもあった。一馬の留守中に部屋に侵入し、枕を抱きしめ、匂いを嗅いだ。男特有の汗とシャンプーとが混ざり合ったとてもいい匂いがした。枕が一馬になればどんなにいいだろうといつも思った。付き合いたい、告白したいと長年想い続けてきた。でも、雅には出来ない理由があった。恋路を邪魔するものは、雅の生まれるずっと前から決まっていて、運命と言わざるを得なかった。雅はそんな運命を恨んだ。


高校2年生にもなると、いずれ一馬にも彼女ができる。それよりも早く恋心を伝えなければいけなかった。雅の気持ちを知って一馬がどう思うか。そう考えるとなかなか「好き」の二文字を口にできず、代わりに窓から見える月に言った。「お兄ちゃんが好きです」と。不思議と月には素直になれた。特別で神秘的な力を秘めた月が雅は一馬の次に好きだった。もし、月と付き合うことが出来たなら、一馬と付き合えない運命を恨んだりなんかしなかった。でも月は月。それ以上でも、それ以下でもない。一緒に買い物に行くことも、水族館でデートをすることも、本について語り合うことも、セックスすることもできない。アームストロングになりたいと雅は思った。




雅の中で何かが変わった。ある夜、雅は一馬の寝ている寝室へ侵入した。難なく入ることができ、そこで一馬の寝顔を拝むことが出来た。一馬の頬に触れた。優しく、指先でなぞるように。一馬は目を覚まさなかった。縁側に座って、新聞を片手にお茶を飲む老人のような目をした。もう少し強めに触ってみる。今度は、お茶の渋みを舌いっぱいで味わった時の表情を浮かべ、それから目を覚ました。


「ん……」


一馬の目の前にある自分がどう映ったのか雅にはわからない。一馬はやや冷ややかな目で、寝起きであるにもかかわらず、寝起きを感じさせない目をしていた。


「お兄ちゃん。好きっ……」


雅は一馬の頬にそっとキスをした。一馬はそれに応えるように雅の頬を撫でた。感極まった雅の目から涙が頬を伝い、一馬の指を濡らした。ほんの少し温かく、しょっぱさが指から伝わった。一馬は雅をベッドに抱き寄せ、それから口元に優しいキスをした。もう戻れない。雅にも一馬にもそれは十分わかっていた。片道切符を片手に電車に乗り込み、行く当てのない旅の始まりを意味していた。一馬の手が雅という少女の、幼き考えを持ったままの少女を包み込むベールに手をかけた。一つずつ、鍵を開けていく。ベールがだらしなく両手を広げ、現れたこの山脈。まるで二人の今後を左右するかのような山の頂に登って、雨を降らせ、滑り、楽しんだ。山はまるで火山噴火の予兆を知らせるかの如く、小刻みに揺れ、鳴いた。それは大聖堂の鐘の音のように神秘的な鳴き声だった。一馬は泉を見つけた。熱帯雨林に隠れるようにしてそこにあり、一馬はまるで生まれたときからそこにあると知っているようだった。泉へ飛び込む。深くもあり、浅くもある泉で一馬は泳いだ。深く潜り、魚を見ては、息継ぎのために浮上して、熱帯雨林を見た。平泳ぎのようでもあり、バタフライのようでもあるその泳法は山をさらに揺らした。泉の水がその揺れに応えるかのように沸いて、水かさを増す。雅は大木を見つけた。しがみついて、上へ登っては下に降りてを繰り返した。大木も揺れる。あんまり動き回るものだから、泉へ落ちてしまった。大木が落ち、水しぶきを上げ、山は噴火寸前まできていた。鐘の音が響き渡り、鼓動に合わせるようにどんどんスピードを速め、やがて噴火した。マグマが泉から溢れ出るのを雅は肌で感じ、一馬は目を離さなかった。白濁とした、そのマグマは煌びやかに、二人のゴールを祝福するかのようだった。




近親相姦。巷ではそう呼ばれているらしい。しかし、まったくもって馬鹿々々しい。













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