第一章 六節
―――――――数瞬後、僕のヘルメスは肘から先と、膝から下を切り飛ばされ、イモ虫のように地面へと転がっていた。
せめて上体ぐらいは起こそうと、ジタバタ足掻いてみたものの、いつもあれほど軽やかに駆けるヘルメスが嘘のようで、結局ピクリともしなかった。
本来なら、機体を破棄して逃げるのが正解なのだろうけど、どういう訳だか、僕はヘルメスをこの場に置き去りにしていく気になれず、コクピットの中で脱力していた。
仰向けのまま、底抜けに青い空をただ黙って見上げている。
僕、こんなトコロで何してんだろな・・・・・・。
ふと、そんな思いが去来する。
仲間を盾に生き延びておいて、肝心な所でガス欠って、本気で『何だそりゃ?』だよな・・・・。
あーあ。青いな空。
何で僕、生かされてるんだろ? 捕虜にしたって、面倒なだけだろうに。手続きとかイロイロ。
まぁ、別に死にたい訳じゃないけど、でも、だからって特別生きていたいわけでもないんだろうな。多分。
[何だ! 貴様!?]
突然、僕の鼓膜に響く声がある。
聞き違えようもない。あの脳足りんの声である。
ああ。そういや、無線繋ぎっぱなしだったっけ?
[ま、待て! 撃つな! 誰に頼まれたかは知らないが、俺の親父なら十分な金額を提示できるはずだ!]
何だ? 指揮車両が襲撃されている? でも変だな。小隊長の乗る指揮車両は、4機の『ウォール』と呼ばれる自動式の重装甲冑に守られているはずだ。
いかにゼロファイターが手練れでも、ウォール4機を沈黙させるには、それなりに派手な立ち回りが必要になる。全くの無音でウォールを破壊するなんて不可能だ。
僕が間抜けにも空を見上げている間、少しも戦闘音を耳にしなかったことからすると、多分、緊急停止コードでも走らされたか?
―――――――――って、ことはやっぱりか。薄々、感付いちゃいたんだけど。
うちの上層部しか知らない停止コードを、アイツらが知っているということは、つまりこの戦闘そのものが、あの『脳足りん』を暗殺するために仕組まれた茶番劇だということになる。
いや、まぁ流石に、この局地戦だけが仕組まれたものなんだろうけど。
[あー。残念だけど、それは無理な話よ?]
通信機から、どこかのんびりした女声が聞こえてくる。
その声に僕は直感的に悟る。
これは『僕』の声じゃない。性格も年齢も様々な『僕』は、それでも僕と同じ同位体。声でさえ、どこかしれ通じるものが、あるのだけど、この声にはそれがない。
[あんたを殺すように依頼して来たのは、あんたの親父なんだもの]
あっさりとそう告げた女の声に、脳足りんが絶句するのが気配で知れて。
[な、なら。俺の―――――]
[ああ。アンタの隠し口座やら某国の有価証券やら、残さずそっくり頂いておいたから、心配しなくてもいいわよ?]
これはイヨイヨ打つ手なし。追い詰められた三下のやることと言えば決まっている。
[――――――くっ!]
呻くように息を詰める脳足りん。
間髪入れず、銃声が連続する。
しばしの静寂の後[あーもー]という女の声。
[この指揮車両も報酬の一部なのに、汚れちゃったじゃないのよ!]
ホントにもー。というムクれたような声に、僕はどうしてだか、ホッしていた。
なんでだろう? 不思議だ。声の女が生きていたことにどうして、こうも安堵するかなぁ。僕。
敵なのにな。アイツ。
「おい! ボーッとしてんじゃねぇよっ!」
という声はすぐ間近でした。
「パイロット。テメー生きてんだろ。さっさと投降しやがれ!」
僕は視界の半分がブラックアウトしたバイザーを脱ぎ捨てると、大きくヒビ割れたサブモニタへと目を向ける。
そこには巨大なマズルブレーキを備えた対物ライフルを構える少年兵の姿があった。
軍用メットを被り、太陽を背負った少年の顔は黒く塗りつぶされており、表情を伺い知ることは出来なかった。
「このヤロー出て来ねぇつもりなら、こっちにも考えがあるぞ?」
ボンヤリしていて、応答を忘れた僕に、少年兵は無視されたと感じたか、ヘルメスの胸部へと足を掛けると対物ライフルの先端を押し当てた。
「わー! ちょっと待って! 降りるから撃つな!」
僕は大慌てで外部スピーカーを通し、少年兵へとそう告げる。
手元のコンソールパネルを操作し、僕は外部装甲のロックを解除した。
途端にブシュゥと圧の抜ける音がして、少年兵が慌てて、ヘルメスから距離をとるのが見て取れる。
ヘルメスの肩から胸部、腰から大腿部の外部装甲がバクンと開き、その中に納まっていた僕を容赦なく太陽の下へと曝け出す。
「おっし。嘗めたマネするんじゃねーぞ? 手は頭の後ろ、ゆっくり立ち上がれ」
指示に逆らうことなく、僕は両手を挙げると、抵抗の意思がないことを示しつつ、ゆっくりと上半身を起こす。
僕は自分の容姿がキライだ。
生っ白く、イヤになるほど細い手足。肌の下に透けて見える血管の色は人のものと違い、薄い桃色をしている。
それはホムンクスルの体液である、擬似霊薬の色。髪の色も同じ桃色で、瞳も同じ色をしている。
ヘルメスのパイロットである僕は成長を強制的に抑制され、何年経っても僕は人で言うところの13歳前後の容姿のまま。
戦争用品とは名ばかりの、貧弱で脆弱なカタチ。事実、生身の僕は非力極まる存在だ。
こんな憂鬱、僕じゃないコイツには到底、分かりっこないのだろう。
上半身を起こした所で僕の動きは止まる。
それはヘルメスを制御するための枢房と僕の頚椎を繋ぐ、ケーブルの長さが限界に達したからだ。
僕の首の後ろにはインターフェイスが埋め込まれている。
それは僕の精神を僕という貧弱な器から解き放ち、ヘルメスという暴虐の器へと移すためのプラットフォームである。
少年兵は僕の首の後ろから伸びるケーブルに気付くと、構えていた対物ライフルを地面へと置いた。
あまりに迂闊な行為だけど、僕の容姿があまりに貧弱なのと、ヘルメスが完全に沈黙していることで、僕から危険を感じることが出来ないでいるのだろう。
少年兵は僕の体を前から抱き締めるようにして、ケーブルに触れた。
ソバカスの浮いた童顔が目の前へと迫る。年の頃は15,6といったところだろう。意思の強さの滲んだ黒の瞳に、赤茶けた黒髪は、恐らく長い間、砂漠の炎天下に晒され続けて、変色したのだろう。
僕の鼻腔を砂埃と日向の匂いがくすぐる。
その匂いは兵舎の裏で飼ってる子猫の匂いを彷彿とさせ、そのせいか、この少年兵のことも、どこか憎めないでいた。
少年兵は首の後ろの接続端子をおもむろに掴むと、乱暴に引き抜いた。
「なっ!?」
僕は思わず声を上げ、脳裏をバチバチと火花が散った。
このバカっ! 正式な手順を踏まずに引き抜きやがった! 脳に障害が出たら、どうしてくれる!
そう叫びたかったけど、もう遅い。体から力が抜けて、声を出すのも億劫だ。
僕は不本意ながら、少年へと体を預けることになった。
「お、おいっ! どうした!?」
崩折れる僕を少年が素早く抱きかかえる。その過度な接触に驚いたような声を上げたのは少年の方だった。
「お前、女かよっ!? 凹凸皆無だから、てっきり男だと思ってた!」
素っ頓狂な声を上げる少年に、僕は朦朧とする意識の中で、
「シツレイなヤツだな。光栄に思えクソガキ」
搾り出すように、どうにか、それだけを呟いて、不覚にも僕は気を失ってしまった。