こたろう物語
私の朝は早い。
まず6時半にセットされた時計の音で目を覚まし、寝ぼけることなく活動を開始する。
そしてすぐに待っているのが、今日一番の大仕事。ベッドで眠る『家族A』を叩き起こすことである。
こいつがまた厄介で、毎朝のことながら、よくこんなにも眠れるものだと感心してしまう。
思うに、私を差し置いてふかふかの布団で眠っているからではないだろうか。今度、位置を交代するよう申請してみよう。
ベッドへと腰掛け、幸せそうなその顔をペチペチと叩く。当然こんなもので起きるわけもなく、ぐずるように顔を背けてしまった。
「起きろ、ケイスケ」
名前を呼びながら少し強く叩いてやると、今度はその手をはねのけられた。
「かあちゃん、うるさい…」
なんと失礼な。
私はお前の母親ではない。しかもうるさいとは何だ。お前が学校に何とか遅刻しないように、わざわざこうして起こしてやっているのではないか。
まったく。あんなに反対したのに、遠くの高校を選ぶからこうなるんだ。私は近くにある、お前に相応しい偏差値低めの高校を進めてやっただろう。
「う〜ん…まいちゃーん……ヘヘヘ」
好きな子の夢でも見ているのか、ケイスケはぐちゃぐちゃになった布団を抱きしめてニヤついている。
その『まい』とやらにケイスケは一目ぼれしたらしく、毎日彼女のことを聞かされていた私は顔も知らない『まい』の情報に随分と詳しくなってしまった。
いわく、新入生の中で一番可愛い。しかも頭が良くて優しい、などなど。
「だがケイスケ。お前のその締りのない顔を見たら、『まい』も引いてしまうと思うぞ」
聞こえていないだろうが、思わずそう言ってしまう。
元は悪くないのだが、やはりこんな顔を見てしまえば百年の恋も冷めるというものだ。それでなくとも、お前は昔買ってもらったぬいぐるみを後生大事に飾ってあるという、乙女のような男なのだし。
しかしそろそろ本格的に起こさなくては、本当に遅刻してしまう。
こうなったら最終兵器『お母さん』の登場だ。
「来い!母・サチコよ!」
と、勢いよく部屋の扉が開かれた。『家族B』ことサチコである。
ちなみに『家族C』こと父親のコウジは、髪の毛と比例して存在も薄くなっていき、今やいるのかいないのかわからない。
「ケイスケ!いつまで寝てるつもりなの!」
「えっ!?うわっ」
さすがは母だ。私がどれだけ起こそうとほとんど反応のなかった男が、一発で飛び起きるのだから。
しかしサチコよ。私も少し驚いてしまったので、できれば声量を落としていただきたい。
「お前はいつもいつも。早く着替えて下りて来なさい」
サチコはそう言うと、とっとと部屋から出て行ってしまった。母の朝というのは、私以上に忙しいのだ。
ケイスケへと目をやれば、どうにかこうにかベッドから足を下ろしている。
私と目が合えば、寝ぼけ眼で「おはよう」と小さく言った。
だが私が返事を返す前に、横を通り過ぎてクローゼットへと向かう。ちょっと悔しかったので、返事はもうしてやらない。
そんな態度だと、もうお前の面倒などみてやらないからな。
ケイスケはのそのそとした動きでパジャマから制服へと着替え、パジャマをベッドの上に放ってから下へと下りていった。
部屋に一人の時間が訪れる。
一階からケイスケたちの賑やかな食事の声が聞こえる中、私はようやく自分の身支度を整えた。
とはいってもケイスケのように着替えるわけではないので、すぐに終了する。鏡を見れば、ピシッと身だしなみの整った私の姿。ケイスケとは大違いだ。
「すばらしい」
自画自賛しつつ、私はいつもの定位置へと移動した。
窓に程近いそこからは、家の前を通る人々の姿がよく見える。ケイイチと同じ学校の生徒もちらほら伺えた。
しばらくすると、食事を終えたらしいケイスケが慌しく部屋へと戻ってくる。
「やっべぇ、日直なの忘れてたっ」
まったく。いくつになっても落ち着きのないヤツだ。机の上の宿題も忘れるなよ。
バタバタと最後まで落ち着くことなく、ケイスケは仕度を済ませた。
部屋から出ていく寸前、こちらを振り返る。
「じゃあな、小太郎。いってきます」
満面の笑みを残して、ケイスケは部屋を飛び出した。
窓の外から自転車で走り去るケイスケの後姿を見える。
――仕方がない、もうしばらくはケイスケの世話を焼いてやろうか。
昼飯を終えた佐知子は、息子の部屋を掃除すべく中へと入った。
そろそろ圭介も母親が部屋に入るのを嫌がってきているが、放っておくとすぐに汚くなることがわかっているので、表立ってはあまり文句を言ってこない。
この家の男は、母に頭が上がらないのである。
「相変わらず、この子は」
散らかったままの部屋を見て、佐知子は思わず溜息をつく。片付いているのは窓際の本棚の辺りだけだ。
CDやらに混ざって、男の部屋に似つかわしくないぬいぐるみがあるのを見て、佐知子は苦笑する。
幼い頃に買ってあげたその犬のぬいぐるみは、今だ捨てられることなく圭介に大切にされている。
つい懐かしさに浸りかけた佐知子に、圭介の部屋にいた犬がじゃれついた。
「ああ、後でご飯あげるわね。部屋の掃除をするから外に出ててちょうだい」
頭のいい飼い犬は、クゥンと一鳴きして外へと出ていった。
圭介の部屋で一緒に眠る犬は、部屋の主よりもしっかりしている。今日も圭介よりも早く起きていて、たまには性格を交換したらいいんじゃないかと考えてみたりもした。
「とにかく、まずは掃除ね」
埃の溜まった本棚の上を拭こうとして、CDとぬいぐるみを机へと移動させる。
簡単に拭いてから、再びそれらを棚に戻した。
そこでふと気がついた。
「あら、懐かしい」
ぬいぐるみの背に、綺麗とは言い難い子供の字。
なぜか字の練習にぬいぐるみを使った圭介が、犬の名前をその背に書いたのである。
背中を真っ黒にされ、ぬいぐるみながら何となく可哀想になった佐知子は、一文字付け足してそれをぬいぐるみの名前にしてやった。
幼い子供の字の上に、整った文字が一つ。
『こたろう』――と書かれていた。
ホラーとは違う、自分の意思で動く人形を書いてみたかったんですが、分かりづらかったらすみません。