第8話 「カネス」
サブリックの仕事を終え、帰り道。
夕空は群青へと溶け始め、町のあちこちで灯りが点いていく。
ふいに、頭上を光の帯がスッと走った。
――カラン、と透明な音。
光は空いっぱいに広がり、中央でひとつに集まる。
次の瞬間、小さなウサギのホログラムが跳ねるように現れた。
ラナス標準時・19時。帰宅の時間を知らせる合図だ。
鐘の音が響き、ウサギはぴょんと消える。
「……もうそんな時間か」
ナユカは半分聞き流しながら、坂道を下っていく。
「おー、ナユカ」
前方で手を振る影があった。
カネスだ。片手をポケットに突っ込んだラフな格好。
その頭の上には、丸い毛玉のような生き物――リューチがちょこんと乗っていた。
「こんばんは、カネス。……リューチも、こんばんは」
リューチはちょんと頭を下げる。それが挨拶だ。
「仕事帰りか?」
「うん。カネスさんは……今日はお酒飲んでないんだね」
「控えてるんだよ、まぁ、いろいろな」
軽く肩をすくめる。その声は、酔ってない日の落ち着いた低さだった。
そのとき――
ナユカの肩の横を、白い粒が“ひゅっ”と通り過ぎた。
カネスの肩に、ふわっと白い点が落ちる。
「……ついてないね」
「全くだ」
カネスは空をちらりと見上げただけだった。
その目に宿る“含み”は、ナユカにはまだ分からない。
リューチは、何でもないように丸まっている。
ナユカは前から気になっていたことを、素直に聞いてみた。
「カネスってさ……働いてるの?」
「お、おい。いきなりなんだよお前……」
「だって働いてるとこ見ないから」
「おいおい、いきなり刺すねぇ。なんだお前、
“昼からただ酒飲んでるオッサン”だと思ってたのか?」
「うん」
ナユカが真顔で言うと、カネスは天を仰いだ。
「……マジで酷いな。いや、働いてるよ。港でな。
時期によって見かけないだけだっての」
「そっか。でも……戦ったら強いんでしょ?
昔はラネッサよりすごかったって」
カネスは一瞬だけ目を丸くし、
「い、ま、も、だ」
と言ってニヤリと笑った。
「またまた〜。そんなわけないでしょ」
「お前みたいな子供にゃ、俺の凄さなんて分かんないんだよ」
そう嘯くように肩をすくめ、どこか本気とも冗談ともつかない空気。
ナユカは思わず笑ってしまう。
「たまには飯でもどうだ? 奢るからよ」
「いいの?」
「おうよ。たまにはな」
「じゃあ……ラナス会議が終わったら行こうよ」
「ラナス会議? 仕事か?」
「うん。警護のサポートで」
「そっか、頑張れよ」
カネスはほんの少し嬉しそうに笑った。
その肩を、リューチがぽんぽんと軽く叩く。
夕空には、消えかけたウサギの余光が薄く漂っていた。
「じゃあな、ナユカ。気をつけて帰れよ」
そう言ったカネスの横顔は、少しだけ“強い人の顔”に見えた。
「うん。またね、カネス。リューチも」
二人――いや、一人と一匹の背中が、ゆっくり夕暮れに溶けていった。




