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第58話 「目を開けた先」

 微かな振動と、薬品の匂い。

 アシナは、深い水底から浮かぶように意識を取り戻した。


 天井は白かった。

 薄い布越しに誰かの影が揺れる。


「……起きたかい?」


 優しく、ふわりとした声。

 アシナはゆっくり首を傾けた。


「……ラ……ミオ様……?」


 そこに座っていたのは、淡い金の髪を肩に流し、落ち着いた眼差しでこちらを見下ろす男性――

 アシナにとっての“恩人”だった。

 ――かつて、政争の渦に巻き込まれかけた彼女を、

 黙ってラナスへ逃がしてくれた人。


 アシナの瞳が揺れ、涙がにじむ。


「どうして……ここに……?」


 ラミオは微笑んで、軽く肩をすくめた。


「ナユカ君から連絡をもらってね。

 本当は“待て”と言っていたんだけど……まぁ、聞いてくれなくてさ」


 アシナは目を瞬いた。


(……ナユカ……)


 殴られ、踏みつけられ、それでも手を離さなかった姿が脳裏に蘇る。

 胸の奥がかすかに痛んだ。


「彼が動かなければ……状況はもっと悪かっただろうね。

 結査は、我々が来る前にラナスから撤退する準備をしていたらしい」


 それを聞いても、アシナはまだぼんやりしていた。

 ラミオはベッドの側に腰を下ろし、少し声を落とす。


「ナユカ君はね、今は安静にしてるよ。

 命には別状ない。……でも、さすがに重症だ。あれは無茶しすぎだ」


「……ナユカ……無事……なの?」


「後遺症が残る、とかではなさそうだ。

 ただ、しばらくは動けないだろうね」


 アシナは胸を押さえ、静かに息を吸った。

 その呼吸の震えに、ラミオは気づいているようだったが、触れなかった。


 しばらく沈黙が流れたあと、ラミオはゆっくり言葉を置いた。


「アシナ。

 今からする話……理解してくれると嬉しい」


 声の色が変わった。

 優しさは残っているのに、その奥に“重み”がある。


「以前とは状況が違う。

 もうね……僕には、君を守ってあげることができない」


 アシナはゆっくり目を伏せた。


「……わかっています」


 ラミオは少し驚いたように瞬きをしたが、すぐ穏やかに笑った。


「強くなったね」


 アシナは返事をしなかった。


「明後日、ミレイユ殿下がここへ来る。

 正式な話があるはずだ。

 あの人は、君のこれからを決める立場の人だからね」


「……ミレイユ様が……」


 アシナには、その名前に覚えがあった。

 ラミオの妻で、第二王子。政治の中心に立つ人物。

 ……私の姉でもある。


「聞いてやってくれるかい?」


 アシナはしばらく黙っていた。

 ラミオは急かさない。ただ待ってくれる。


 やがて、アシナは小さく頷いた。


「……はい」


 その答えを聞いた瞬間、ラミオはようやく安堵の息をついた。


 アシナはまだ気づいていない。


 この“面会の約束”が、

 彼女の人生を決定的に方向づける最初の一歩であることを。

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