第57話 「目覚める者」
ラズヴェルは、最初に目を開いた。
焦げた匂いが、まだ空気の中に残っている。
喉の奥に鉄の味が張りつき、肺が痛む。
身体を動かそうとしたが──動かない。
筋肉が拒絶しているのではない。
“何かに怯えて縮こまっている”ような感覚だった。
(……見た……私は……見てしまったのか)
脳裏に蘇る。
あの、赤い渦。
常識では説明できない“回転”。
その中心から、ゆっくりと姿を覗かせた、巨大な影。
鱗。角。燃える眼。
(結神カグラ……。
本当に……顕現するのか……)
喉が勝手に鳴る。
あれは“力”という言葉では足りない。
“見てはいけない階層”の存在。
それがアシナを媒介にして現れた。
アシナ自身の意志ではない──そう直感した。
(……攻撃判定。あれは……私に向けた……)
ゾッとする。
もし一歩間違えば、この場にいる全員の命はなかった。
(あれを……本当に人間が制御できるのか?)
脳裏に残るカグラの“眼”。
底なしの深淵に射抜かれた気がして、背筋が凍りついた。
⸻
ラズヴェルは必死に呼吸を整え、アシナへ腕を伸ばした。
まだ意識は戻らない。
倒れたまま、小さく呼吸している。
(……確保しなければ)
震える手で、アシナの襟を掴み──
その瞬間。
足首をつかまれた。
ナユカだった。
体はまだ震え、息も荒い。
満身創痍のくせに、その手だけは放さない。
ラズヴェルは眉をひそめ、ナユカを見下ろした。
(……理解できない)
(この状況で、なお抵抗する理由がない。
計算も、理屈も、すべてこちらにあるはずだ)
ほんの一瞬、彼の呼吸が乱れた。
それは追い詰められた焦りではない。
自分の想定が否定されたことへの、苛立ちによるものだった。
「……いい加減にしてください。
あなたはもう戦えない」
ナユカは答えない。
ただ、掴んだ手に力を込めるだけ。
その目だけは、消えていなかった。
ラズヴェルは無言で片足を上げ──ナユカの胸を踏みつけた。
「ぐっ──……!」
それでも離さない。
「……大したものですね。
そこまでして……何になるというのです」
心底あきれた声だった。
(だが……このままでは進まない)
ラズヴェルは腰のホルスターに手を伸ばした。
(……場合によっては、排除する)
引き金に指をかける。
パンッ──!
乾いた衝撃音が廊下に弾けた。
ラズヴェルの体が、後方へぐらりと揺れる。
腕が壁に貼りついたように固定されていた。
――接着銃。
視線の先で、少年が息を荒げて立っていた。
「……間に合った……!」
ジローだった。
「ナユカ、アシナ……!」
ジローは駆け寄り、アシナの肩を支えようとする。
ラズヴェルは固定された腕を見下ろし、かすかに笑った。
「……すごいですね……
そんなもので……私を……」
左手だけでホルスターをまさぐる。
ジローに向けて銃口が向けられた。
(撃つ……!)
その瞬間──
ドンッ!
ナユカの体が、ラズヴェルにぶつかった。
満身創痍のはずなのに、信じられない速度だった。
ラズヴェルの腕が跳ね上がり、銃弾は上方に逸れる。
ナユカの額から血がにじむ。
「っ……あ……ぁ……!」
そこまでだった。
ラズヴェルの体力は限界をとうに超えていた。
踏ん張る力も、支える力も、残っていない。
(……ここまで、か……)
視界がゆっくりと暗くなり、
最後に、アシナの倒れた姿だけがぼやけて残った。
(……あれを……どう……制御……)
その問いを残したまま、
ラズヴェルの意識は深い闇に沈んだ。




