第55話 「暗闇の裂け目」
扉を静かに閉めたあと、廊下には微かな気配だけが漂っていた。
「これ使って。ピオラは今、別の能力を使ってるから……」
そう言ってナユカは、光学迷彩クロークをアシナに手渡した。
アシナとナユカは、光学迷彩クロークの裾を握りしめたまま、
まるで息を飲み込むようにして歩を進めた。
ピオラはアシナの肩のあたりで、かすかな揺らぎとなって寄り添っている。
ジャミングは生きている──ただし限界が近い。
(……今のうちに、抜けないと)
アシナは自分の胸の高鳴りが、足音より大きく聞こえる気さえした。
廊下の角に差しかかったときだった。
──足音。
規則正しい、結査独特の無駄のない歩幅。
空気が強張り、アシナは反射的にクロークを握りしめた。
ナユカはそっと指を立て、壁際へアシナを引き寄せる。
結査隊員が角を曲がる。
迷彩は働いている──働いているはずなのに、
(……見られる……近すぎる……)
アシナの肩が震えた瞬間、
ナユカがそっとその手を握った。
その温度だけが、唯一の安心だった。
結査隊員はほんのわずか足を止め、
気配を探るように首を傾けたが──
数秒後、何もないというように歩き去った。
二人は、同時に小さく息を吐く。
⸻
廊下の端。
監視カメラがひとつ。
そのとき、ピオラの光が、ふ、と弱まる。
(……まずい……)
アシナとナユカが身を低くした瞬間。
監視カメラが、カク、と揺れてこちらを向いた。
光学迷彩の“乱れた揺らぎ”は、
肉眼でも“違和感”になる。
レンズが“そこに何かある”と認識したその瞬間──
警報が鳴り響いた。
「警戒レベルA──侵入者確認」
「各班、位置につけ」
廊下の奥から、重いブーツの足音が一斉に走り出す。
「ナユカ……!」
「まだ行ける、走るよ!」
二人は角を曲がり、別の通路へ飛び込む。
「ジロー、早く!」
ナユカは祈るような気持ちで、その瞬間を待った。
結査の足音が迫る。
的確で、淀みなく、逃げ道をふさぐような動き。
(……追いつかれる……!)
アシナが歯を噛んだ、その瞬間。
遠くの方で、金属の軋むような音が響いた。
一呼吸遅れて──
施設全体が、突然真っ暗になった。
照明も、壁面ランプも、非常灯すらも落ちる。
(……ジロー……!!)
ナユカは息を詰めた。
同時に、ピオラの光が揺らぎ、
ジャミングが再び深く広がった。
暗闇が、味方に変わる。
「アシナ、これ!」
ナユカが差し出したのは、
粗末だが扱い慣れた旧式の暗視ゴーグル。
「これは大丈夫。アナログは平気!」
装着した瞬間、闇の中に淡く輪郭が浮かび上がる。
「行くよ……今しかない!」
二人は闇に溶けるように走り出した。
背後では、結査が混乱している。
「非常灯系統も落ちてる!」
「どこへ逃げた!?」
その中で、ただひとり、落ち着いた声が響く。
「……揺らぎの痕跡は消えていない。
──この先だ」
ラズヴェルの声。
アシナは唇を噛んだが、
その手はナユカに引かれて、暗闇の中を駆けていく。
闇の奥へ。
冷たい空気の向こうへ。
二人と一体の光は、
夜そのものに溶けるように消えていった。




