第54話 「寄り添う気持ち」
(……私は、どうしたら……)
突然攫われ、そして告げられた事実。
アシナの胸は混乱でいっぱいだった。
運ばれた食事にも手がつかない。
不安が波のように押し寄せ、考えようとするたびに思考がほどけていく。
目の奥が熱くなり、気づけば視界が滲んでいた。
そのとき──
静かな部屋の空気が、ふっと揺れた。
アシナは顔を上げる。
消えたはずの気配が、すぐ近くにある。
次の瞬間、ピオラの光が淡く揺らぎ、
その隣に、息を切らしたナユカが立っていた。
「……え……ナユカ……?」
思考が追いつかず、声が震える。
ナユカはそっと指を唇に当て、小さく言った。
「しっ……」
それから、クロークを軽く持ち上げる。
「光学迷彩だよ。完璧じゃないけど……今はこれで大丈夫」
「でも……監視とか……」
不安そうに問うアシナに、ナユカは小さく頷いた。
「遺跡でさ、ピオラの光……ちょっと違っただろ。
あのあと、ジローが気づいたんだ。
《位相遮断》っていう機能が増えてた。
肉眼じゃ見えるけど、観測機には“何も反応しない”んだ」
「……そんなこと……」
「うん。すごいよね」
ナユカは誇らしげでもなく、ただ事実として言った。
その言葉に、アシナの胸の奥で絡まっていたものが、少しだけほどける。
ナユカは息を整えると、アシナの前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
アシナは揺れていた。
逃げたい。
でも、結査の理屈も理解できてしまう。
神契者として、自由に生きられるはずがない。
その現実を、頭では分かってしまう。
心の中で、二つの答えがぶつかり合い、どちらも選べない。
「どうしていいか分からない」──それが本音だった。
ナユカは何も言わず、隣に腰を下ろす。
「……アシナ。今、どう思ってる?」
その声は、静かだった。
アシナはためらいながら、胸の奥に溜まっていた不安や恐怖を、少しずつ言葉にする。
声が震え、途中で詰まりながらも。
ナユカは口を挟まない。
否定もしない。
ただ、黙って聞いていた。
やがて言葉が途切れたとき、ナユカが小さく口を開く。
「……いきなり“結神の契者だ”なんて言われたらさ。
普通、混乱するよ」
一拍置いて、少し照れたように続ける。
「僕だったら……もっと取り乱してる」
慰めではない。
説得でもない。
ただ、同じ高さで語る声だった。
アシナの肩から、ほんの少しだけ力が抜ける。
ナユカは、静かに続けた。
「ねぇ……アシナは、どうしたい?
アーグレイアに戻るなら、僕は止めない」
アシナは、首を横に振った。
「……不安なんだね」
当たり前のことを、当たり前の声で言う。
「アシナ。
僕は、君に“正しい道”を選んでほしいんじゃない」
アシナは顔を上げた。
「君が、“行きたい方”へ行ってほしい」
ほんの一呼吸置いて。
「戻りたくないなら──
僕に任せて。一緒に逃げよう」
アシナの目が、大きく揺れた。
ナユカはそっと手を伸ばし、アシナの手を握る。
逃げるかどうかは、もう理屈じゃない。
「一緒なら進めるかどうか」──それだけだった。
アシナの震えが、ゆっくりと静まっていく。
「……ナユカとなら……」
小さく、けれど確かな声。
「怖いけど……行ける気がする」
その言葉を聞いて、ナユカは初めて、ほんの少し笑った。
「……行こう」




