第53話 「結〈ノット〉の理(ことわり)」
「……結神の契者です」
その言葉の重さに、アシナはしばらく呼吸すら忘れていた。
(わたしが……?)
自分が何者なのか。
ずっと霧の中にあったその核心をいきなり突かれ、頭が追いつかない。
「どうして……私だと?」
震える声で問い返した。
ラズヴェルは淡々と、しかし言葉を選ぶように語り始めた。
「……理由は、最初は“偶然”でした」
「偶然……?」
「一週間ほど前──
イラセアの街外縁域で、あなたが揺らぎを使用した際、
“通常ではありえない収束”が観測されたのです」
「……イラセア……」
ピオラと共に、結を使ったあの日──胸がざわつく。
「乱れた渦が、一瞬で完全に整列しました。
観測誤差とするには、不自然すぎる現象です」
アシナの背筋に冷たいものが落ちた。
「ただ──その時点では、まだ“異常な揺らぎ”としか思っていませんでした」
ラズヴェルは淡々と続ける。
「しかし、そのあとすぐに、さらに特異な事象が続きました」
「結〈ノット〉は別宇宙の揺らぎが渦を巻き、
こちらの世界で現象として表れるエネルギーです」
その説明は柔らかく、だが事務的に。
「本来、同じ力は連続使用できません。
一度現象化した渦は一周するまで休ませる必要がある。
連続で使うには“強制回転”が必要ですが──
それができるのは熟練者か、高位契者だけです」
アシナは知らず息を呑んだ。
「ですが、あなたの周囲では……」
その目が静かにアシナを見た。
「一晩中、強制回転が断続的に観測されました」
「……一晩……?」
信じられなかった。
自分がそんな規模のことをしていたなんて。
「その時点で、“異常事態”と判断しました。
詳細な揺らぎ解析を行った結果──」
ラズヴェルは静かに告げた。
「揺らぎの核に、結神カグラの痕跡が確認されたのです」
アシナの喉がきゅっと締まる。
「でも……契約なんて、してない。
私は……ただ……」
「分かっています」
語気は強くないが、嘘のない声だった。
「あなたは“契約の儀”を受けていない。
だからこそ理解できない。
しかし──事実として、核には結神の痕跡があった」
沈黙が落ちる。
「つまり、あなたは“選ばれた”ということです」
アシナは思わず、首を振っていた。
「どうして……私なんですか。
私は……普通で……」
「理由は分かりません。
結神の御心を推し量れる者は、誰ひとりとしていません」
淡々とした声が、妙に重く響いた。
「……私は、これからどうなるんですか」
やっとの思いで聞き出した。
隊員は少しだけ沈黙し、静かに答えた。
「あなたの力は強大です。
我々としては、力を貸していただきたい」
アシナの呼吸が止まる。
「断ることは……できますか」
その問いに、ラズヴェルは迷わなかった。
「──できません」
優しさではない。
ただ、事実だった。
「結〈ノット〉は便利道具ではありません。
軍事にも政治にも重大な影響を及ぼす力です。
その頂点たる“契者”に自由はありません」
アシナは目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……少し、時間をください」
「もちろん」
ラズヴェルは丁寧に頭を下げると、扉へ向かった。
「逃げようとしない限り、この部屋の利用は自由です。
食事も運びます。
不自由はさせません」
静かに扉が閉じる。
残されたアシナは、自分の胸に手を当てた。
(わたし……契者……?
そんなはず……)
否定したい気持ちと、
霧の奥に手が届きかけたような感覚が、同時に揺れていた。




