第43話 「静けさのあとに」
クルシオン艦隊が完全撤退したという報告が入ったのは、
アーグレイア軍が最も疲弊していた日だった。
「……消えた、のか?」
ヴォルニア将軍は、信じられないというより、
もはや怒る気力すら失っていた。
「偵察艇すべて確認しました。境界ライン周辺から艦影は消失。
追跡反応もありません」
「本当に……何がしたいんだ、やつらは」
将軍は机に手をつき、深く息を吐く。
肩にのしかかっていた緊張が、ようやく形を失い始めていた。
数週間にも及ぶ全力対応の末、
相手はまるで“興味など最初からなかった”かのように、
痕跡一つ残さず消え去った。
勝ったとも、退けたとも言い切れない。
ただ、嵐が去ったあとのような、説明のつかない空白だけが残った。
軍部の会議室には、重い沈黙が落ちた。
⸻
「……王都の治安は、ほぼ回復済みとの報告があります」
副官の声は控えめだった。
「そうか……」
将軍は、ふと胸騒ぎを覚えた。
治安は回復した。
だが自分は、その間ほとんど何もしていない。
都市は乱れ、そして──
自分が国境に全戦力を注いでいる間に、
“自然と”収束した。
その事実が、じわりと遅れて胸に残る。
(……だが、今はそれどころではない。
まずはクルシオンの意図を──)
考えようとしたが、答えは霧の中のままだ。
追えば追うほど、輪郭が溶けていく。
「……まぁいい。
一ヶ月後にはリオネル殿下が王になる。
今はそちらに集中すべきだな……」
ヴォルニア将軍は久しぶりに安堵し、
椅子にもたれて、ゆっくりと目を閉じた。
こうして、
“歴史的危機”とまで囁かれた数週間は幕を下ろした。
少なくとも──
軍の視点から見れば。
⸻
王宮・静謐の間。
扉が静かに開き、一人の男が跪く。
「──ご報告いたします。
治安維持措置、すべて滞りなく。
拘束者の処理も完了。
詳細は書面にて」
返答は、ない。
だがその沈黙は拒絶ではなく、
“聞き入れている”静けさだった。
男は恭しく頭を下げたまま、続ける。
「軍はクルシオンの撤退に気を取られ、
こちらの動きには一切関心を払っておりません。
予定どおりでございます、殿下」
沈黙は、ほんの一拍だけ続いた。
やがて、ゆっくりと視線が上がる。
そこに座する人物──ミレイユ。
緩やかに垂れる金色の髪。
切れ長の瞳は静かだが、その奥にひとつも揺れがない。
柔らかな気配の中に、鋼の芯が通ったような気配を醸す。
光を受けるたび、
その姿はどこか“神話に登場する獣”を思わせた。
彼女は、軽く微笑む。
それだけで、
この部屋にあるすべてが「予定通り」であることを、
誰もが理解してしまう。
──そして、その時は、
静かに訪れようとしていた。




