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第37話 「一昼夜」

 集落に、静かな時間が流れた。


 アシナは女性の治療を終えると、次の一人へ移った。

 結〈ノット〉の揺らぎはまだ荒く、渦は思い通りに噛み合わない。


 それでも──アシナは手を伸ばし続けた。



 ジローは何度も言った。


「アシナ、休まないと……。身体がもたない!」


「……まだ大丈夫」


 アシナは一言だけ返し、次の患者へ向かう。


 ナユカは止める言葉を喉まで出しては、噛みしめて飲み込んだ。


 目の前の人々の息が、少しでも整うたびに、

 アシナの表情はほんの少しだけ柔らぐ。


(止められない……あれは、止めちゃいけない)


 ナユカはそう悟っていた。



 それから一昼夜。


 眠る時間はなかった。

 水を飲むだけで、再びアシナは立ち上がった。


 一人終えるごとに、揺らぎは荒れ、

 二人目、三人目と続けるたび、制御が追いつかなくなる。


 それでもアシナは、治療を辞めなかった。


 眠気を通り越し、指先の感覚も失われ、

 視界が何度も白く滲んだ。


 それでも──手を離そうとしなかった。



 治った者もいた。


 完全ではない。

 意識が戻り、ゆっくり言葉を取り戻す程度。


 だが、彼らの瞳の濁りは薄れ、

 そのいくつかには、かすかな光が戻った。


「……息が、楽……に……なった……」


「動ける……立てる……」


 その言葉が、アシナの足を前へ前へと進めた。



 そして、救えない者もいた。


 壊れた神経は戻らず、

 結〈ノット〉の揺らぎを流しても、反応が起きない者もいた。


 アシナはそのたびに、

 静かに、深く頭を下げた。


 誰も責めなかった。


 彼らはむしろ、

「自分たちは罰を受けたのだ」と受け止めていた。


 そして、救われた者は──

 涙と震えを止めることすらできなかった。


「こんな……」


「おれたち……俺たちなんか……」


 誰も声を張り上げない。

 ただ静かに、震えた声で、祈るように呟いた。



 そして夜明け。


 アシナの指先が、患者の胸に触れたまま、静かに止まった。


「アシナ……?」


 返事はない。


 膝が折れ、身体が前に倒れた。


「アシナ!!」


 ナユカが咄嗟に身体を受け止める。


 アシナは意識を失っていた。


 肌は冷たく、呼吸は浅い。


「……限界だ……!」

 ジローが声を震わせた。


 ナユカはアシナの頭を胸に抱き寄せ、

 必死で呼びかけた。


「アシナ……アシナ!」


 返答はなかった。


 その時。


「……話しかけてもいいかな」


 低く落ち着いた声が、暗がりから響いた。


 二人が振り返る。


 岩壁の影から、一人の男が姿を現した。


 長身だが威圧感はなく、

 むしろ静かな知性と落ち着きがにじむ男。

 衣服こそ粗末だが、目だけは澄み切っている。


 男はアシナを抱えるナユカを見て、深々と頭を下げた。


「……助けていただいた恩、忘れません。

 私はここにいた者たちの代表です」


 その声は、荒んだ者のそれではなかった。

 誠実で、理性的で、重みがあった。


 もうひとり、小さな影が後ろから出てくる。


 少女だ。

 まだ十歳ほど。目には色が戻っている。

 先ほどの子どもだった。


 少女はアシナの手を、両手でぎゅっと握りしめた。


「……ありがとう。

 おかあさん、ちょっと……目が、あいたの。話せたの……」


 ナユカの胸が熱くなる。


 代表の男は、静かに続けた。


「あなた方がしてくださったことは、命を繋いだだけではありません。

 ……“心”までも救われました」


「俺たちは……ずっと罰だと思っていた。

 こんな死に方をするのが当然だと。

 だが──こんな形で助けられるとは……」


 声が震え、言葉が途切れた。


 代表の男は、アシナをそっと抱き上げた。


 その手つきには、乱暴さの欠片もない。


「……彼女を休ませる場所があります。

 少し汚いですが……静かで安全です」


 ナユカとジローは顔を見合わせ、

 深く頷いた。


「お願いします」


 男は静かに頷き返し、

 アシナを抱えたまま歩き出した。


 少女も、寄り添うように後をついていく。


 アシナの微かな呼吸だけが、

 ゆっくりと揺れる明かりの中に聞こえていた。

 

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