第36話 「揺らぎ」
ジローの手が止まった。
ナユカは子どもに毛布を掛け直しながら、アシナを見る。
アシナの表情には、迷いと──それでも踏み出そうとする意志が混ざっていた。
「アシナ……どういうこと?」
ジローが静かに問う。
アシナは、横たわる女性を見下ろしながら答えた。
「……結〈ノット〉を使うわ」
ナユカが息を呑む。
「結〈ノット〉って……戦う力じゃないの?」
「“戦うときにも使える”だけよ。本質は違うの。
結は……この宇宙と、別の層が触れたときに生まれる“揺らぎ”なの」
言葉はゆっくり。だが、そこには確信があった。
「渦みたいに回ってて……タイミングよく掴めば、形が変わる。
前は攻撃の形になった。でも……それだけじゃない」
ジローが、ごくりと喉を鳴らす。
「じゃあ……治す形にもできるってこと?」
「……“できるかもしれない”。でも、分からない。
私のは不安定だから……成功の確率は半分もないと思う」
アシナは、拳を握りしめた。
⸻
アシナは女性のそばに膝をついた。
呼吸は浅く、喉が空気を追いかけるように震えている。
子どもは毛布を握ったまま、小さく母親の名を呼んでいた。
(……やらなきゃ)
アシナは手をそっと女性の胸に置き、目を閉じた。
周囲の空気が、かすかに揺れ始めた。
風ではない。
音でもない。
“空間が波打つような揺れ”が、アシナの周囲に広がる。
髪がふわりと浮き、衣服がそよぐ。
「……これが、結〈ノット〉……?」
ジローが小声で呟く。
アシナの指先に、温度のない光が滲んだ。
触れたら落ちてしまいそうな、不思議な質感。
「アシナ、大丈夫……?」
ナユカが心配そうに身を乗り出す。
「わからない。でも──やってみる」
アシナは、女性の胸に手を重ねた。
⸻
次の瞬間。
揺らぎが歪んだ。
ゴッ……と空気の奥で鈍い音が跳ね、
アシナの肩が大きく揺れる。
「アシナ!」
ナユカが駆け寄る。
アシナは苦しげに息を吸った。
「だめ……揺らぎが荒れてる……制御できない……!」
ジローが青ざめる。
結の渦は、アシナの意思を振り払うように暴れ、
女性の身体も、反射的にわずかに跳ねた。
(このままじゃ、この人を傷つけちゃう……!)
アシナは歯を食いしばり、必死に制御しようとする。
そのとき。
ピオラがふるりと震え、浮かび上がった。
胸のあたりに青い光が集まり、円を描き──
アシナの方へ、静かに吸い寄せられていく。
「ピオラ……?」
「なに……?」
ピオラはアシナの前まで近づくと、
かすかな振動を放った。
それは、アシナの揺らぎとは違う。
まるで、乱れた線を一本ずつ整えるような……
“補正”の波。
三人は、息を呑んだ。
光はすぐに消えた。
女性の呼吸が急に良くなったわけではない。
目が覚めたわけでもない。
ただ──
アシナが感じていた“乱れた渦”が、静まっていた。




