第35話 「救えるのか」
集落は、森の奥の窪地にあった。
岩肌をくり抜いたような粗い出入り口。
その前に、崩れかけたコンテナや、錆びた工具が散らばっている。
三人は物陰からそっと様子をうかがった。
「……人、いる?」
ジローが囁く。
入口付近には見張りらしい姿はない。
そのかわり、細い呻き声が、奥から風に混じって漏れてきていた。
ピオラが小さく震え、ナユカの腕のあたりまで降りてくる。
「……行こう」
アシナが短く言った。
三人は顔を見合わせ、小さく頷くと、静かに集落の中へ踏み込んだ。
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中は、想像していたより整っていた。
空きコンテナを並べて作った簡易ベッド。
毛布。水のタンク。古いポータブル電灯。
天井近くから吊られた灯りは弱く、全体を均一には照らしていない。
光の届かない隅では、影が濃く溜まり、空間の奥行きを曖昧にしていた。
その薄暗がりの中に──
十数人ほどの人影が、点々と横たわっていた。
男も女も、年寄りも若い者もいる。
目は半開きで焦点が合わず、口は乾いて開き、呼吸だけがかろうじて続いている。
中には、ただ壁にもたれて座ったまま、震える手で誰かの肩をさすっている者もいた。
「……ひどい……」
ナユカは思わず呟いた。
想像とは全然違う。
武器や戦利品よりも、「どうにか生かそうとした痕跡」の方が目についた。
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「とりあえず、怪我人がいないか見よう」
ジローが声を低くして言う。
「うん」
ナユカとジローは、それぞれ近くの人間に近づいていく。
アシナは入口側を一瞥し、誰かが来ないかを警戒しながら奥へ目を走らせた。
ナユカは、床に横たわる中年の女の側に膝をついた。
「聞こえますか……?」
返事はない。
ただ、荒い呼吸だけが続いている。
手首に触れると、脈は弱いが、不規則ではなかった。
(出血も、外傷もない……)
ナユカは少しだけ安心し、次に目を凝らした。
皮膚は青白く、汗ばみ、筋肉が小刻みに震えている。
「ジロー、こっちも見て!」
呼ばれたジローが、携行していた小型医療キットを開いた。
掌サイズのスキャナーを女の首筋に当てると、薄い表示板に数値が浮かび上がる。
「……体温、微熱。血中酸素はギリギリ。
感染症のマーカー……出てない。ウィルス反応も陰性」
「じゃあ病原体じゃないの?」
「少なくとも、“うつる”タイプじゃないと思う」
ジローは周囲を見渡し、他の人間にも検査を行った。
座り込んでいる男、床に突っ伏した若者、遠くでうずくまっている少女。
何人かに同じ検査をしたが、数値の傾向は似ていた。
「感染じゃない。栄養状態と、水分も……足りてはいるけど“それだけ”じゃない」
「“それだけじゃない”って?」
ナユカが問い返す。
「神経の反応が変なんだ。
脳と全身の信号が、変なノイズで邪魔されてるみたいな……」
ジローはスキャナーの表示を睨みながら続けた。
「脳障害のパターンに近いけど、どれにもきれいに当てはまらない。
……なにか、“別の原因”がある」
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部屋の隅で、小さな影が震えていた。
子どもだ。
十歳にも満たないだろう。薄い毛布にくるまり、体を丸めている。
「……大丈夫?」
ナユカがそっと声をかける。
子どもはびくりと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。
瞳は充血しているが、さっき森で見た大人たちほど濁りきってはいない。
「……おかあさん、ねてる……」
かすれた声でそう言って、奥のベッドを指さした。
そこには、先ほどジローが診察した女が横たわっている。
「ずっと、ああなの?」
「うん……きのうから、もっとまえから……よくわかんない……」
子ども自身もふらついている。
だが必死に、毛布だけは握りしめていた。
「とりあえず水分と栄養剤、投与してみよう」
ジローが言った。
医療キットから、注射器型の栄養補助剤と、経口補水用のパックを取り出す。
「応急時ならこれでかなり持ち直すはず。
怪我でも、ショックでも、普通の病気でも──“普通なら”……」
ジローは女の腕を露出させ、慎重に注射する。
ナユカは子どもに、少しずつ水を飲ませ始めた。
「ゆっくりでいいからね。一気に飲むと吐いちゃうから」
子どもはこくりと頷き、震える手でパックを持つ。
しばらくして、何人かの呼吸はわずかに安定してきた。
「さっきより、呼吸は楽そう……だよね?」
ナユカが呟く。
「うん。最低限のケアとしては合ってると思う」
ジローは女の瞼を軽く持ち上げ、瞳孔の反応を確かめた。
「でも……」
そこで言葉を切る。
「“目”が戻ってこない。
意識は、まだどこか別のところにいるみたいだ」
さっき外で見た男たちと同じ、濁った目。
今ここにいる者たちの多くも、同じ状態に近づきつつある。
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「……謎のウィルスじゃないなら」
ナユカが、言葉を選ぶように言う。
「うつらないなら──私たち、ここにいても平気ってことだよね?」
「医学的には、今のところは」
ジローは慎重に答えた。
「ただ、原因が分からない限り、安心って言葉は使いたくないけど」
「でも、逃げる理由もないってことよね」
アシナが静かに口を開いた。
三人は黙り込む。
逃げることはできる。
さっきのように見なかったふりをして、遺跡だけを目指すことだってできる。
でも──
ピオラが持ち帰った声。
目の前の、かろうじて息をしている人たち。
それを知ってしまったあとで。
「……ひどいこと、してた人たちかもしれないよ」
ジローが搾り出すように言う。
「ここがもし犯罪者のアジトなら、誰かを傷つけたり、盗んだり……」
「うん。そうかもしれない」
ナユカは否定しない。
「でも、だからって“このままでいい”ってことにはならないと思う」
自分でも驚くほど、言葉ははっきり出た。
「全部を助けられなくても、できることがあるなら……見捨てたくはない」
沈黙が落ちる。
やがて、アシナが小さく息を吐いた。
「……ジロー。今できる“普通の治療”は、全部やった?」
「うん。このキットで出来ることは、ほぼ全部試した。
栄養剤、対ショック薬、循環補助、鎮静……反応はあるけど、どれも決定打じゃない」
「原因が分からない以上、これ以上は“いじらない方がいい”状態だと思う」
ジローは手袋を外し、小さく拳を握る。
「これ以上は、医者と設備のある場所で診るしかない。
でも、この人数を一気に運ぶ手段はない。連絡しても、到着までに何人かは……」
言いかけて、口を閉じた。
「……ねえ」
アシナが、ゆっくりと二人を見る。
その顔には、迷いと、何かを決めかけている色が混ざっていた。
「普通の方法がダメなら……“普通じゃない方法”を試すしかないと思う」
ナユカとジローは同時に彼女を見つめる。
「うまくいく保証はない。
……成功する確率は、半分もないと思う」
それでも──と続けようとしたところで、女の喉から、低いうめきが漏れた。
生きようとしているのか、死のほうへ傾いているのか、分からない声。
三人は反射的にそちらを見る。
アシナは唇を噛んだ。
「……何もしないで見てるだけ、は──
たぶん、私にはできない」
その言葉の先に、“結〈ノット〉を使う”という選択があることを、
三人とも理解していた。
ただ、すぐに頷けるほど軽い話でもなかった。
静かな、けれど決定的な分かれ道が、そこに横たわっていた。




