第34話 「偵察」
森の空気はひどく重かった。
さっきの男たちの“濁った目”が、まだ脳裏に焼き付いたままだ。
アシナが息を整えながら、周囲を見渡す。
「……この辺りが中心だと思う」
さきほどから複数の人影を見た。
皆、歩き方がおかしく、声も発さない。
“生きている”というより、“動いている”だけ。
ここに、何かが集まっているのは間違いなかった。
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「じゃあ……どうする?」
ジローが顔を強ばらせる。
「近寄るのは、正直こわい……」
「でも、知らないままこの先へ進むのはもっと危険だよ」
ナユカが答える。
その言葉に、アシナも静かに頷いた。
「ピオラにお願い出来ないかしら」
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ナユカはピオラの光位偏移迷彩〈ライト・シフター〉を起動させた。
薄い膜が光を吸い込み、ピオラの輪郭が森に溶けていく。
「ピオラ、向こうをひと周り。危ないと思ったらすぐ戻ってきて」
そう言ってジローはピオラにカメラを取り付けた。
ピオラはふわりと浮かび、木々の影へと消えていく。
三人は息を潜めて待った。
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「……時間かかってるね……」
ナユカがつぶやく。
「うん、かなり経つ……」
ジローの手のひらが汗で濡れている。
アシナはずっと前方を見たまま、わずかに眉を寄せていた。
(もし……戻ってこなかったら)
その考えを振り払った瞬間──
草が小さく揺れ、ピオラが音もなく戻ってきた。
「……ピオラ!」
三人は一斉に安堵した。
アシナが“こっち”というように手を振り、ピオラを促す。
ピオラは低く震え、内部の共鳴音が小さく揺れている。
「どうだった?」
アシナが問う。
ピオラは何も応えず、宙に浮いている。
ジローはカメラを外して、映像を流し始めた。
可視光系のカメラは、光位偏移迷彩〈ライト・シフター〉の影響で映像が破綻しており、音声だけが流れる。
録音が再生されはじめた。
最初に聞こえたのは、
何かが呼吸を思い出せずにいるような、乱れた息音。
深く吸えない。
吐くたびに喉が擦れる。
生きているというより「生かされている」ような音。
続いて――
「……ぅ……あ……あ……」
言葉にならない呻き声。
“助けて”と言おうとして、噛み合っていない。
声の方向が定まらず、
かと思えば急に遠くなり、また急に近くなる。
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次に、小さな声が混ざった。
「……おかあ、さん……? ……おかあ……?」
呼んでいるのに返事が返ってこないことを、
まだ理解できていない幼い声。
泣いているわけでも笑っているわけでもない。
ただ、“何かを繰り返すことで安心しようとしている声”。
その問いかけだけが、何度も、何度も途切れながら繰り返されていた。
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そのすぐ近くで、別の大人の声が震えていた。
「……もう……殺し、もう……無理だ……」
何かを嘆いているのではなく、
何かから逃れるために言葉を押し出している声。
意味は破れているのに、
感情だけが露出していた。
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そして最後に――
何かが壁にぶつかって倒れたような、鈍い衝撃音。
そのあと、
“壁を爪で引っかくような、ぎゅ……ぎぎっ……という乾いた音”が続いた。
リズムは一定せず、弱くなったり急に強くなったりする。
なぜそんな音を立てているのか、
本人にも分かっていないような“乱れた動き”だった。
三人は息を呑み、顔を見合わせた。
「これ……本当に?」
ジローが震える声で言う。
「見に……行く?」
ナユカも不安げに尋ねる。
アシナはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……行ってみましょう。
危険かもしれない。でも、これを聞いて……無視はできない」
その言葉は、決意というより、“覚悟”に近かった。
二人もゆっくり頷く。
不安は消えない。
けれど、知らずに進めなかった。
「……行こう」
ナユカが小さくつぶやく。
三人はピオラを先頭に、森の奥──集落の入口へ向かっていった。
足取りはゆっくり。
まるで足音ひとつで崩れそうな何かに近づいているかのように。




