スライムはビーカーの中で生まれた
水野太郎は、自分が「恵まれている」ことを理解していた。
特待生として誘われ、学費は免除。
授業への出席免除。
テスト免除。
単位は研究成果提出で代替可能。
普通の高校生なら喉から手が出るほど欲しがる待遇だと思う。
――しかしその結果、彼は暇を持て余していた。
「……暇を潰すには、人生って長過ぎるよなぁ」
放課後の科学室。
誰もいない静かな空間で、太郎は白衣のポケットに手を突っ込み、実験台を見渡した。ビーカー、フラスコ、試験管、顕微鏡、……。すべて最新式で、予算も潤沢。学園側は彼に「好きに研究しろ」と言ったきり、干渉してこない。
自由すぎて、やる気が起きない。
もう一生寝て過ごそうかと一週間引きこもってみたが、今度は寝ることに飽きてしまった。
今日の研究テーマは、特になかった。
最近は研究自体に飽きてしまって、もうこのまま一生ダラダラしていたいと思っている。
やることも無かったので、研究室の奥深くにあったよくわからないダークマターと、これまたよくわからない謎の輝く石を混ぜてみた。
自分でも何やってるのかよくわからん。
「まあ、どうせ今回も――」
そう呟きながら、その辺にあった触媒を一滴、ビーカーへ落とした瞬間だった。
ぷるん。
液体の表面が、不自然に揺れた。
「……?」
太郎は眉をひそめ、顔を近づける。
次の瞬間、ビーカーの中身が明らかに動いた。
ぷよ……ぷよん。
「……は?」
半透明の青い塊。
水でもゲルでもない。弾力があり、形を自由に変えている。
そして、それは――跳ねた。
ぽよん、と。
ビーカーの縁を越え、実験台の上に着地する。
「…………」
沈黙。
太郎は数秒固まり、それからゆっくりとメモ帳を開いてペンを走らせる。
『意味分からん×意味分からん=マジで意味分からん』
半透明の何かはプルプル震えながら、その場に居続けている。
「……どう見てもスライム、だよなぁ」
ファンタジー作品で散々見てきた存在が、現代日本の高校の科学室に出現しているという異常事態。
「確か、スライム最強な異世界モノが流行っているって同級生が言ってたっけ?」
太郎の思考は、驚くほど冷静だった。
スライムを見つめ続け、研究ノートにスライムの絵を描いていく。
スライムは、ぷるぷると揺れながら、じっと太郎を見ている……ように見えた。
「ぼくのこと、見えてるのか?」
試しに、指でつつく。
ぷに。
「……これ、水まんじゅうだわ」
その瞬間、スライムはぴょこんと形を変え、太郎の指にぴったり張り付いた。
「おー、冷たくて気持ちー」
引き剥がそうとすると、名残惜しそうにびよーんと伸びる。
「……懐いてる?」
太郎がそう呟くと、スライムはぷるんと一回、大きく跳ねた。
まるで肯定のリアクションのようだった。
「……はは」
思わず、笑いがこぼれる。
研究対象として見れば、未知の生命体。
この丸くてぷにぷにな生き物には、もしかしたら危険があるかもしれない。
ぼくの口を塞いで窒息させてからゆっくり消化されたり、小さくしていた身体を大きくして一飲みされるかもしれない。
だが。
「……まぁ、いっか」
太郎は床に座り込み、白衣を脱ぐ。
スライムはそれを見計らったように、彼の膝の上に乗ってきた。
ひんやり、でも不思議と心地いい。
「退屈しのぎには、ちょうどいい相手かもな」
するとスライムは、嬉しそうに体をふるふると震わせた。
どうやらこのスライム、
・人に懐く
・感情表現がわかりやすい
・触られるのが好き
という、かなり人懐っこい性格らしい。
「名前……いるよな」
スライムは、期待するようにぷるん、と跳ねる。
動画に取って世界中に公開すれば、バズること間違いなし。広告収入でウハウハだ。
研究すれば、きっと画期的な成果で世間を賑わせる。一気に水野太郎の名は広まるだろう。
けれど、そんな気も全く起きなかった。
「……スライムでいいか?」
スライムは、触手を伸ばしてぼくの頬を叩いた。
「……じゃあ、スライムで」
スライムは諦めてくれたようで、触手を引っ込めた。
こうして、退屈を持て余した男子高校生と、人懐っこすぎる謎のスライムによる、研究でも冒険でもない、ゆるくて不思議な日常が始まったのだった。




