お覚悟はよろしくて?
記念すべき五話目!
あの日、職員室を出て、和誠くんに手を振った後、幸來は母親と二人きりになった。
母親は、幸來の顔を見て、少しだけ眉をひそめた。
「幸來、本当に大丈夫? 無理して学校に行かなくてもいいのよ」
母親のその言葉は、優しく、心配そうだったが、幸來の心には、どこか冷たい響きとして届いた。
幸來の母親は、幸來が幼い頃、色恋沙汰で深く傷ついた経験があった。
幸來は、母親が涙を流したり、誰かに怒りをぶつけたりする姿を、何度も見てきた。その光景は、幼い幸來の心に、深い影を落とした。
幸來は、母親から直接「男の人と関わるな」と言われたことは一度もなかった。しかし、幸來は無意識のうちに学習したのだ。男性と深く関わると、自分も母親のように傷つくかもしれないと。
だから、幸來は男性から遠ざかり、なるべく目立たないように、自分を隠すように生きてきた。
しかし、それが、今回のいじめのきっかけになったのかもしれない。
そんな幸來を助けてくれたのが、和誠くんだった。
彼は、幸來が今まで出会ってきた男性とは全く違っていた。彼は、自分の信念をまっすぐに語り、行動で示してくれた。
「自分の人生の、自分自身の物語の『主人公』は自分だって言えるその日まで」
彼の言葉は、何年も止まっていた幸來の物語を、再び動かし始めた。
(でも、あの時の元宮くんは、私には、あまりにも眩しすぎた。彼にふさわしい存在になりたい。彼の隣に立てるくらい、堂々とした自分になりたい)
その日から、幸來の新しい日々が始まった。
幸來が最初に手を出したのは、髪だった。幸來の髪は元々長く、手入れを怠っていたせいで艶がなく、ただ垂れ下がっているだけだった。幸來はまず、その髪の毛一本一本に栄養を与えることから始めた。高いトリートメントを買い、毎晩丁寧に時間をかけてケアした。次に、メイクだ。YouTubeでメイク動画を漁り、少しずつ、自分の顔に似合うやり方を練習した。最初はうまくいかず、何度もやり直したけれど、鏡の中に少しずつ現れていく「新しい自分」を見るのが楽しかった。
(これも全部、元宮くんのためだもん)
そんなふうに考えると、慣れないことも、苦ではなくなった。
ファッションも、自分に似合うものを探した。今まで避けていたスカートや、体のラインが出る服も、少しずつ試してみた。すると、今まで気づかなかった、新しい自分に出会うことができた。幸來は、毎日が新鮮で、まるで新しいゲームを始めたかのような気持ちで過ごしていた。
そして、ダイエットも始めた。元々、ぽっちゃりとしていた幸來だったが、食事制限と運動で、少しずつ体重を落としていった。
(自分の身体ってこんなに重かったけ?…)
最初は辛かった。何度もくじけそうになった。
体が悲鳴を上げるたびに、昔の自分が頭をよぎる。男性に罵られ、からかわれ、そして笑われた過去。その記憶が、幸來の心を折ろうとする。
(でも、ここで諦めたら、私は何も変われない)
幸來は、自分を奮い立たせた。辛いときは、いつも和誠くんの顔を思い浮かべた。彼のまっすぐな瞳、優しい声、そして、彼の言葉。その全てが、幸來の心の支えになった。
「頑張れ、幸來。あと少し」
幸來は、自分自身にそう言い聞かせ、トレーニングを続けた。それは、単に体を鍛えることだけではなかった。それは、過去の自分と決別し、新しい自分を築き上げるための儀式だった。
そうして、一ヶ月が経った。
新しい自分になって初めて学校へ向かう日。
幸來は、少しだけ緊張していた。
家を出る前に鏡に映る自分を確認する。
そこには一ヶ月前とはまるで別人な自分が立っている。
「よし!」
玄関の前でもう一度深呼吸をする。
「行ってきます!」
一ヶ月ぶりに通る学校までの道、
新しいローファーはまだ足に馴染まず、少し痛かったが、その痛みさえも幸來にとっては心地よかった。
それは、自分が前に進んでいる証拠だからだ。
(大丈夫。大丈夫だよ、私)
心の中で、何度も自分に言い聞かせる。そして、学校の門をくぐり、自分の教室へ向かう。
教室のドアを開ける。中にいるのは、一ヶ月前と変わらない、見慣れたクラスメイトたち。
幸來は、一瞬だけ立ち止まり、深呼吸をした。
「なあ、翔太、今週の『ションプ』読んだか?」
「ああ、読んだ読んだ。ルヒーの覚醒、やばかったよな。」
教室に入った瞬間、和誠くんの声が聞こえた。いつものように、楽しそうに話している。その声に、幸來の緊張は少しだけ和らいだ。
(元宮くん、私だって気付いてくれるかな。)
和誠の机に向かって歩いていく
(ううん、もし貴方に気付かれなくてもいい)
(貴方が勝手に私の『主人公』になったんだから。私も勝手に貴方の『ヒロイン』になって見せる)
クラスメイトの驚いた視線も、もはや気にならなかった。
ただ、和誠くんの顔だけを見て、一歩ずつ進んでいく。
彼は、幸來の存在に気づき、話すのをやめた。その戸惑ったような顔を見て、幸來は小さく笑みを浮かべる。
そして、彼の机の前に立った。
「おはようございます。元宮くん」
(手加減は、しないよ)