9:浮気者は捨てよう!
ギルドの受付で声を抑えて泣いている女性に、イリエも困っておろおろしていた。カルフェルグとは別の受付男性ギナンは静観の構えである。
「どうされましたか?」
女性を刺激しないよう、テレシアは穏やかな声掛けを意識する。
酒場で泣き上戸の酔っ払いをあしらっていたテレシアだ。そんな男たち相手よりはマシだろうと高を括っていたが甘かった。
女性は大人しさをかなぐり捨て叫んだ。
「ここはなんなの!? 結婚相手を見つける場所なんでしょ! 失恋したてじゃ受け付けられないって横暴じゃない!?」
テレシアの視界に入ったカルフェルグが、“すみません“と口パクと仕草で謝っていた。
「お客様……ここは人目に付きますから、あちらでお話を伺います」
応接室に連れて行って話を聞く。
しばらくぐずぐずと泣いていた彼女は、少し落ち着いて「失礼しました」と姿勢を正す。女性はマキーラ・ビヨンドと名乗った。
「マキーラ・ビヨンド……って、蔓で花を作って柳かばんに飾ったり、リボンを付けたりと、女性に人気のカゴ作家さんですよね?」
流行に敏感で情報収集が得意なドロシーが彼女を知っていた。
カゴ職人は、主に漁業や農業に使用する大型のカゴを竹や柳で作っていたが、昨今安価なプラスチック製の物が急激に普及したので需要が減った。
家の収入のためにマキーラが考えたのが雑貨カゴをおしゃれにする事である。市場で買い物するカゴとかは簡単に作成できる。
そこにちょっこっと蔓や枝で作った花を側面に付けてみたら好評だったので、そこから派生して複雑な編み方をした、ちょっとしたお出かけ用のカバンとかを作ってみれば人気が出た。
「まあ、女流作家さんなのですね」
感心したテレシアをマキーラは恥ずかしそうに窺い見る。
「取り乱してすみません」
「えっと……失恋されたとか……」
どう接すればいいのか、二十歳のテレシアは自分より経験値の高い女性にかける言葉は持たない。どう慰めるべきか悩む。
しかしそんなテレシアの気遣いは必要なかったみたいで、マキーラは事情を語り始める。
「私ももう二十六歳だからそろそろ結婚の話でも……と思って、さっきいきなり彼の家に行ったら他の女がいて。腹立って別れてきたの!」
男は十六歳の少女を連れ込んでいた。自分も美貌ではないけれど、平凡などこにでもいる感じの娘だった。
「それでね、私、二股かけられていたの! しかも本命はあっちだとか、ふざけんじゃないわよ!」
激昂した彼女は再び泣き出した。
「それは辛かったですね、ビヨンドさん。そんなくだらない男とは別れて正解ですよ!」
「でもまだ彼を忘れられないの……」
「無理もありません。私たち結婚相談ギルドの職員一同、ビヨンドさんの気持ちに寄り添っていきたいと思いますので、愚痴でも弱言でも何でもおっしゃってくださいね」
テレシアは優しく彼女に微笑みかける。テレシアと一緒にいた男女も深く頷いて同意を示した。
「古い恋を忘れるのは新しい恋が一番だと言いますし、時薬だとも」
(……って何かで読んだような……)
まるっきり受け売りのテレシアである。
「今は冷静じゃないみたいですから、また落ち着かれたら来てください」
怒りも悲しみもごちゃ混ぜな今は、情緒不安定で勢いのみの行動だ。マキーラには冷静になる時間が必要である。
「ただ、落ち着いても彼と縒りは戻さないでくださいね。若い方がいいって未成年に手を出すような男は、その子と別れてもまた若い子と浮気します」
ドロシーがやけに親身になって、マキーラに言い含めていた。
「ありがとうございます。また寄らせてもらいます」
随分と落ち着いたマキーラはそう言うと、目を腫らしたままギルドを出ていく。テレシアたちはエントランスで彼女の後ろ姿を見送った。
「すみませんでした。俺の不適切な対応で」
カルフェルグが頭を下げる。
「大丈夫よ。これから経験していけばいいもの」
テレシアは彼を責めたりはしなかった。
「んー、“新しい恋、はじめませんか”って、失恋者だけ集めるとかどうですかね」
イリエが思いついたままを口にするも、ギナンは「そういう傷心に付けこんで甘い言葉で騙して、金を巻き上げる奴が絶対紛れ込むって」と否定的だった。
「ビヨンドさん、彼が会いにきたら絆されそうで心配だわ」
「えー? 自立した女性なら、そんな浮気者はすっぱりと切るでしょ」
ドロシーの言葉とは反対にイリエは楽観視する。
「未練があるうちは危険よ」
「ドロシーさん、体験談すか?」
カルフェルグの軽口に「父親がそんな男だったのよ」と嫌そうにドロシーは答えた。
「おまえさあ、考えてから喋ろよ。だから人の触れられたくないとこ抉るんだよ」
呆れるギナンに「もうカルフェルグは事務手続きだけしてもらおうかな。その方が揉めない気がする」とイリエも理解を示す。
「そんなあ……、ドロシーさん、すみません」
「素直なのはカルフェルグの長所ね」と微かに笑ったドロシーは、ふうっと溜息をついた。
「顔のいいクズ男って最低よ。見た目だけでモテるんだから。父がそうで、しょっちゅう若い子と浮気していたの。いつもそれを許してしまう母も嫌いだったわ。だから縁を切ると両親に言って王都に出てきたの」
ドロシーが地方出身であるのは皆知っていたが、家庭環境は初めて聞く。確か家は果樹農園だった。
「母は最後には自分の元に帰るからって我慢していたけど、別れたら自分が暮らしていけないからよ。人も雇ってそこそこ儲かっていた農園なのにうちは貧しかったわ。父が浮気相手にいい顔してお金を使っていたからよ。家庭を顧みない父も、依存している母も嫌で飛び出したのよね」
右も左も分からない中、王都の寄宿舎のある石鹸工場で働きはじめた。彼女のような女工は地方出身者ばかりで仲間意識が強かった。ドロシーは工場の拡大工事に来ていた男性と知り合い結婚して退職した。子供に手が掛からなくなったため、就職口を探していたところ新しいギルドの職員募集を見たわけだ。
結婚後働く事を禁じられた女性も、教会の無償奉仕やバザーには積極的だ。それなら『嫁が働くなんて外聞が悪い』なんて婚家も認めているからである。
幸いドロシーの義父母も地方から出てきたからか、彼女が働きに出るのを反対しなかった。
「だからね、不誠実な人は会員にしちゃいけないと思うの。男女共にね」
「それは私も思いますー。あと酒癖の悪い人や賭け事好きも要注意ですよねえ」
いろんな人間を幼少時から見てきたイリエは、よく観察していた。
商会の娘のイリエには愛想のいい人が、店員にはめちゃめちゃ態度が悪いとか。だから外面は信用していない。
「ああ、酒癖悪いのは嫌よねえ」
テレシアも同感である。安酒場で働いていた時、よく絡まれたり触られたりと不快な思いをした。それでも一番嫌なのは暴れる男だった。物が飛ぶのでとにかく怖い。思い通りにならない女給に暴力を振るう男も見たが最低である。
冒険者ギルドも荒っぽい男性が多いのは、仕事柄仕方ない側面もある。しかしテレシアを雇ってくれた探偵室のロバートのような頭脳派タイプもいる。
品行方正なイメージのある騎士とは違う、粗野な感じの男性が好きな女性は一定数いるはずだ。ただ、知り合う機会がない。ちゃんとした出会いの場は貴重だから女性も集まると思う。
結婚相談ギルドは冒険者ギルドの出方を待っている。