4:これは職場結婚?
結婚式を無事に終えたシリウスとテレシアはシリウス所有の王都の屋敷に住む。
テレシアが予想していた通り、アークトゥルス伯爵家は彼女にいい印象は持っていない。特に母親は結婚式の間、愛想笑いひとつしなかった。
無理もないとテレシアは理解している。伯爵家嫡男が選んだのは貴族とは名ばかりの没落した男爵家の女である。
「どうしてこんな娘なの? 由緒正しい侯爵令嬢とのお話もあったのに」
母親は初っ端からテレシアを拒否した。
父親である伯爵は「結婚しないと宣言していたシリウスがその気になったんだから」と認める発言をしたが、子供ができないから、そのうち風当たりも強くなるとテレシアは覚悟している。
十九歳と十七歳のシリウスの弟たちは、彼らの知る貴族のお嬢様と違い、職業婦人に多い髪の短さと薄い化粧のテレシアの容姿に戸惑っていた。
それでも弟たちは、テレシアが兄と並んでも品位も器量も遜色ないので、兄が彼女を見初めた話を疑う事はなかった。
なんにせよ結婚が反対される事はない。アンドール王太子が二人の婚姻を歓迎しており、伯爵家まで訪れて祝い品と祝いの言葉を贈ったからだ。王太子のこの異例の行動は、貧しく身分の低いテレシアを伯爵家の悪意から護るためのものだと、シリウスも分かっている。
アークトゥルス伯爵家は王太子派ではあるものの、貴族なら家のためになる結婚をするのが当然との、保守的な考えが抜けないのだ。
シリウスの住む屋敷は、死去した母方の祖父から遺されたものである。
偏屈だった彼は、資産持ちの自分に媚を売らない、誠意があるシリウスを好ましく思っていたのだと、親族は彼の死後に知る。
死期を悟った祖父が、王都の一等地にある所有家屋と利益の出る銀山をシリウス名義に変えていたなんて、シリウス自身も知らなかった。直系を差し置いての遺産相続に巻き込まれないようにとの配慮だったのだろう。
そうした訳でシリウスは少なくない給料だけでなく、個人資産を保有している。仮に生家から絶縁されても全く困らない生活基盤があるから強気だった。
「うわー! 両方とも素敵なお部屋!!」
「リラ、どっちの部屋がいい!?」
「うさちゃんの方!」
「じゃあこっちね。私はくまちゃんの方!」
姉と共に引っ越した双子の妹たちは、自分たちの部屋があるので興奮する。
カーテンや寝具はフリル付きの淡いピンク色で、そんなに変わらない内装にしている。うさちゃん、くまさんはそれぞれの部屋のソファに置かれた大きなぬいぐるみだ。
ミュゲは双子の姉なので、先に妹に部屋を選ばせた形である。リラはベッドに飛び込むが、ミュゲはお洒落らしくドレッサーが気になるらしい。
「シリウスにいさま、可愛いお部屋を有難うございます」
リラはベッドに座ったまま無邪気に笑い、ミュゲは「これからお勉強も頑張ります」と覚えたばかりのカーテシーを披露した。
七歳の“妹たち”に礼を言われて、その年頃の少女に免疫のないシリウスは反応に困り「ああ」と言っただけだった。
「教育や作法は身につけて損はないから」
その環境を与えてくれるシリウスに感謝するように、と姉は言った。
「ジョーイ、来年貴族学校に入学すれば寄宿生活になる。この一年で頑張って基礎を学んでくれ。来週から教師を呼ぶからそのつもりで」
シリウスはジョーイに与えた部屋に、かつて自分が使用した教材一式を持ち込む。
女であるテレシアが弟に教えられる事は少なかった。貴族学校に通わせる前からの援助はありがたすぎる。
いずれ官職につくのを目標にジョーイは学ぶ事に決めた。姉が苦渋の決断で領地を手放したけれど、なんとか守った爵位である。それに相応しい教養を身につけるのが姉に対する恩返しだ。
「さあ、初出勤だ。頑張ろうか」
「はい」
シリウスとテレシアはチャムク・ミラム帝国より購入した最新型自動車に乗り込む。蒸気自動車を所有するのは金持ちしかいない。これはシリウス自身の車ではなく、持ち主の名義はアンドール王子である。「ギルドで使うがいい。馬車よりは機動力がある」と押し付け……いや、貸し出されたものだ。
「すごいです! シリウス様、運転できるのですね!」
「まあね、そんなに難しいものじゃない」
テレシアの賞賛にもシリウスの顔は浮かない。シリウスは蒸気自動車があまり好きではない。馬の暴走などを心配しなくていい分、馬車より使い勝手はいいのだろうが、突然起こるボイラー事故とかが怖いのだ。機械ものを過信していない。
アンドールは太陽熱エネルギーを蒸気エンジンに利用する研究のために、高価な車を数台購入していた。
一台をシリウスに与える時、「ギルドの旗を車に立てよう。ギルドの宣伝になるし、帝国自動車の販促にも見えるからね」と言った。
「研究のために今解体中の車は可哀想ですね。遠くに売られたと思ったら、道路を走る事なくバラバラにされて。こいつは本来の使用目的をされて幸運です」
シリウスの皮肉にアンドールは吠える。
「なんだい、シリウス。我が国は隣接する国が六カ国もあるんだぞ。国防は大事だろうがー!」
王太子は軍用車の開発に力を入れていた。自国独自の動力の研究を急かしている。軍人でもないシリウスには無縁だが、次期国王としては正しいのだろう。
テレシアは初めての自動車に興奮していたから、夫がおっかなびっくり運転しているとは気がつかなかった。
車が乗り付けたのは結婚相談ギルド本部だ。
ここはもともと国賓を迎える迎賓施設だったが、貧しい時代のもので小さくて質素すぎるため、数十年前に役目を終えた。王宮に近いから今では小規模の舞踏会などに利用していた程度だ。改装にあまり手を加えなくてすむので選ばれた。
“結婚相談ギルドユーカル”の文字と結婚式の男女の簡単な姿が描かれた看板が、どんと掲げられている入り口には、王太子が旗を持ってにこにこしていた。
「殿下、お早いですね」
事業開始日だから、アンドールは設立者として訓示する立場にある。
「いやあ、慎重な運転で君らしくて安心したよ」
シリウスを適当にあしらい、アンドールは金属棒にくくりつけた旗を「どこに置けばいいかな」と言いながら自動車の後ろ部分に差し込もうとする。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。よろしく頼むよ」
車を降りて挨拶をしたテレシアは「……恐れながら王太子殿下」と遠慮気味に声をかける。
「ん?」
「この旗は運転の最中では、風に煽られて内容が見えにくいと思います。逆に止まっていたら布が閉じられて、やはり見えないです」
「それに旗が何かの拍子に、ボイラーやタイヤに巻き込まれる危険があります」
よく意見を言ってくれた!とシリウスは内心テレシアに感謝しつつ、自身の見解を彼女に続いて述べた。
「……そうなのか。せっかく作ったのに」
大きな布旗を持ったまま王太子はしょんぼりとする。
「ギルドの入り口前に設置しましょう。旗の反対側も棒に括り付けて、ピンと張った方が絶対目を惹きますし、字も読んでもらえます」
シリウスが気の毒そうに妥協案を示す。
「それもいいな! そうしよう!」
結婚相談ギルド“ユーカル”
新しい出会いの場を提供します!
旗に書いている言葉で王太子の気合いは分かる。しかし肝心な事を忘れているとテレシアは思う。
庶民の識字率はまだ高くない。車にくっつけられた旗の文字を、通りすがりの人間がどれだけ読めるか。シリウスもそこまでは気が回っていないように見える。
「ギルド所有だと分かるように車体にペンキで書けばいいんじゃないでしょうか。“ユーカル”とだけ大きく見えやすく。“結婚相談ギルド”まで入れなくても、なんだろうと話題になれば、比例して知名度が上がるはずです」
「さすがシリウスの選んだ嫁! 採用!」
やはり決断は早い、態度は軽い王太子だった。