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39:報連相は忘れずに


「一件落着、ってか」


 帰路に着く馬車の中で、気怠げに頭を掻きながらシリウスが呟いた。テレシアは首を傾げる。()()を指しての言葉だろう。クルハ侯爵家との確執が生まれてしまったので、これから面倒事が増えそうな気がするのだけれど。


 テレシアのそんな不安をシリウスは一笑に付す。


「侯爵家は何も出来ないよ。あちらが無理を通そうとしたんだ。ウチとのいざこざが表に出れば批判されるのは侯爵家だ。大丈夫。もし仕掛けてきても手は打つ」


 クルハ侯爵が“何もなかった事にする”のが一番平和的だ。そもそも侯爵が、政略結婚の駒であるシャウラシーナの使()()()()()()()。素直に自国で相手を選べば良かったのだ。当時なら()姿()()()()()()()()、シリウスより身分の高い未婚の王家の血を引く子息だって、歴史ある辺境伯の嫡男だっていた。しかしそこは眼中になかった。シャウラシーナは辺境に嫁ぐなど真平ごめんだし、自分の隣に立つ男の容姿の許容範囲は譲れなかったらしい。そんな感じでシリウスを候補にしたけれど結局隣国の公爵家を選んだ。当時ならシリウスとの結婚話は問題なく纏まったのに判断ミスだ。挽回を試みる侯爵的には再婚相手が平凡なマシム以上の容姿である事も重要で、それでなければ彼を見返せと考えたのだろうが、イクリール国の情報網では、マシムは愛想を尽かして離縁した元妻の動向など気にも留めていない。

 たとえ政略結婚の駒でも、侯爵は彼なりにシャウラシーナを可愛がっていたとシリウスは思う。古い価値観に囚われすぎている侯爵に自覚は無いとしても。


「シャウラシーナ嬢が閣下を宥めてくれたらいいんだがな。再婚は見栄とか外聞とかに囚われないで幸せ第一に考えてほしい」

 

「それこそ結婚相談ギルドの理念ですね」





 ようやく自邸に着いた二人を迎えたのは、「遅い!」「待ちくたびれた!」と頬を膨らませている妹たちだった。


「今日はご馳走なのよね!」

「何かおめでたい事があったの?」


 純粋に夕ご飯を期待するリラと理由を知りたいミュゲに、夫婦は苦笑するのであった。


「んー、なんだかシリウスお義兄様とお姉様がいつもと違うわ」

 食事中、いつもより仲睦まじく微笑みあっている二人を目にしたリラが、姉夫婦の雰囲気に疑問を持つ。

「そうね……、結婚記念日でもないし……」とミュゲも不思議そうだ。


「なんでもいいわ! デザートはバラの形のピンク色の生クリームを乗せたラズベリーケーキだって! 楽しみ!」

「もう、リラったら」

 ケーキが大好きな妹に呆れ気味のミュゲも嬉しい。

 最近なんとなく距離があった姉たちが幸せそうで、妹たちも気分が盛り上がっていた。

 

 __以前〈なんだか姉さんたちがギクシャクしているように感じます〉と実兄のジョーイに手紙を書いたミュゲは、明日すぐに〈心配しないで、前より仲が良くなったみたいです〉と手紙を(したた)めないと、と思った。





「おはようございます」

 翌日、早めに登城したシリウスはアンドールに挨拶をする。


「おお、どうだ。上手く本物の夫婦になれたか」

 ニヤニヤしている王太子に「下世話な」と、つい悪態を()いてしまった。


「なんだよ、下世話って! ずっと心配していたんだからな!」


 小声だったのにうっかり聞かれていた。この上司をやきもきさせていた自覚はある。


「殿下、ご心配お掛けしました。色々とケリがつきましたので、ご報告させていただきます」


 そのために他の側近が来る前に登城したのだ。


「お、報連相は大事だとやっと気がついたか!」

「私的なお話になるので、朝から申し訳ございませんが」

「おまえの調子がいいと、私も仕事をやりやすいから遠慮するな。どんとこい!」


 シリウスがスッキリした顔をしているので、王太子はご機嫌である。大きく手を広げる所作付きで、相変わらずの大袈裟な仕草が好きな人だ。

 


「……なんとまあ、まさかクルハ侯爵が本当にそんな荒技で来るとはなあ」


 ひとしきり騒動を語ると、アンドールは頭を緩く左右に振った。


「まさか“家長権限による宣言書”を準備していたなんてな。ここ何十年も利用されていない制度だぞ。“家長権限”自体が完全撤廃されたと思っている貴族も多いのに、そこを突くなんてさすがの古狸だな。宣言書の実物は無いのかい?」


 興味を持ったアンドールに対し、「俺も見ていません。書類を出す状況にならず、侯爵は激怒して帰られたので」とシリウスは苦笑した。


「回収したかったな。どんな理由に納得して、どの大臣がサインしたのか」


「ああ、すみません。そこまで気が回りませんでした」


 買収したか、()()()()に頼んだか……。なんにせよ他家に提出させる書類だと知っていて協力したのなら法に触れる。

 基本的に、一族の賛同が得られないけれど、どうしても即決しなければ家に害が発生するなどの切羽詰まった案件でなければならない。クルハ侯爵が絶対的な権力を持つクルハ家で“家長権限による宣言書”など必要ないのは、みんな理解している。


〈ならば用途は何か〉

 疑問は誰も口に出来なかったのだろう。しかしそれがシリウス・アークトゥルスとテレシア夫人を離婚させるために利用されるとは、思いもしなかったのではないか。あまりにも姑息で身分を翳した脅迫とも受け取られる。


 その後シリウスとシャウラシーナが結婚すれば、きっと“侯爵家が無理を通した”とどうしたってうわさになる。シリウスと仲睦まじい妻を別れさせて、娘を捩じ込んだ略奪婚にしかならないのに。娘可愛さに血迷ったかと、侯爵自身の評価も下がるとは考えなかったのだろうか。

 

「いや、別に書類はいい。おまえも身を守るために必死だったろうしな」


 アンドールがいいように解釈してくれているのでシリウスは黙る。実際は侯爵に物凄く憤っていたので、防守より攻撃に徹していたように思う。


「シャウラシーナ嬢が同伴していたという事は、その場で伯爵夫婦に挨拶でもと、考えていたのだろうか」


「どうでしょう。うちの両親に圧力をかけるためだったかもしれません」


「でも彼女はおまえが自分を選ぶと確信していたと思うぞ。この国の若い世代で自分以上の女性はいないと思っているからな。今は我が妃が最高位にあると言うのに」

 嫋やかな振る舞いの中に見え隠れしている傲慢さをアンドールは指摘した。


「……きっぱり断りましたから、もう関わりはないと思います」

 ()()シャウラシーナ自身がシリウスたちに詫びたのだ。現実を受け入れたのだと信じたい。


「しかし本気で令嬢に略奪結婚させるつもりだったなんて、侯爵は本当に愚か者だな!」


 全くである。しかし若者たちの間で、それを醜聞でなく美談にしようとしたシャウラシーナの手腕には恐れ入る。だが彼女が欲していたのは自分に好意的だった過去のシリウスだ。あれから何年も経っている。どうして当時と同じだと考えたのか。


「私からなにか侯爵に言っておくか?」

「大丈夫です。何かやられたら対処します。どうしても困った場合は頼らせてください」

「勿論だとも! 大事な親友だからな!」

 王太子は満面の笑みだった。





「あのクルハ侯爵令嬢をばっさり切ったですって!? あの鈍感男もやる時はやるのね!!」


 テレシアはテレシアでルーシェに騒動を説明すると、ルーシェは満足して喜んだ。


(ルーシェ様はシリウス様を鈍感だと思っていらっしゃるのね)

 テレシアは苦笑いをこぼす。


「クルハ侯爵令嬢はただの横恋慕女だと思っていたけれど、離婚で家門に傷をつけて気に病んでいたのかもね。負け組な再婚だけはクルハ家として許されないから、〈昔自分に惚れていた身分の釣り合う男と結婚してあげる〉とでも考えたのかしら。ひと組の夫婦を壊してまで見栄を張る結婚がしたいなんて」


 忌憚のないルーシェの考察は続く。


「彼女の場合、年が離れていても身分違いでも、贅沢をさせてくれて包容力のある男性がいいと思うのだけどねえ。彼女は着飾ってこそ輝く女性でしょ」


 それがシリウスの考えに近いだなんて、ルーシェもテレシアも知らない。


「シリウス様にちょっかいを掛けないなら、シャウラシーナ様の今後は割りとどうでもいいです」


「テレシアらしいわね」


「色々ご心配をお掛けしました。今後はアークトゥルス次期伯爵夫人としても社交界で頑張るので、これからもよろしくお願いします」


「“乳母”も期待できるかしら?」


「それは……」


 ほんのりと頬を染める自分より年上のテレシアを、「可愛らしいわね」とルーシェは揶揄うのだった。




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