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38:和解


 侯爵はもう本音が隠れていない。掌中の珠を隣国の公爵家に出したのは失敗だったと感じており、そこを指摘されるのは許せないのだ。聡明なシャウラシーナなら上手くやれると信じて送り出してしまった。王太子の婚約者候補として未来を縛り付けていた負い目がある国王から、『隣国との縁を嬉しく思う』との異例の言葉をいただき、娘に期待する。しかし娘は子宝に恵まれず、結局夫の寵愛も失ってしまった。


 自慢の娘はボメタインの国風に馴染めず、学んで自分を変えていこうとの努力もしなかった。イクリールの淑女教育は自立心と判断力を削ぐものだと気がついたのは、娘が離縁された時だった。


「もういい! 貴様のような男に娘はやらん!」


 侯爵は荒々しく席を立つと勝手に応接室を出ていく。呆気に取られて父親の後ろ姿を目で追うシャウラシーナは、すぐシリウスに視線を移す。


「シリウス、私を愛していたのではないの?」

 彼女は本気で困惑していた。母国なら自分が選ばれる立場であるはずとの自信が揺らいでいる。


「勘違いされる態度は取らなかったはずです。周囲から貴女とそんな関係だと疑われて迷惑です」

 十代半ばの世間知らずな当時ならいざ知らず。今の自分は彼女を選ばない。


「奥様はシリウスをどう想っているの?」

 シャウラシーナはテレシアに矛先を変えた。シリウスに拒絶されたのに、図々しいのか往生際が悪いのか、はたまた深くは考えていないのか。


 テレシアは「私はシリウス様をお慕いしております。共に歩めて幸せです」と、意識して妻の余裕の微笑みを見せる。


「……そう、なのね」

  シャウラシーナは目を伏せ、それから頭を下げた。

「お騒がせして申し訳ありませんでした。父の無礼をお許しください」


「シーナ! 帰るぞ!!」


 侯爵が怒鳴っている。慌てて立ち上がったシャウラシーナは、応接室の入り口で振り返ると深々と頭を下げてから父親の後を追った。


「……彼女が頭を下げるのを初めて見た」

 ぼそりとシリウスが呟く。

「そうなんですか? まあ、立場的にそんな場面は少ないでしょうね」

「何かあっても『失礼』『ごめん遊ばせ』と微笑めば事足りていたしな」

 

(真の令嬢は違うわね)

 テレシアはそれが高位貴族のお姫様かと感心する。

 

「しかも父親の非礼を詫びるとは意外だ。俺の想像以上に結婚生活では苦労したのかもな」

 

 そうかもしれない。彼女は彼女なりに頑張ったのだろう。幼少期から与えられたものだけを熟すだけの結果で、最高の女性と持ち上げられていた彼女は“自分で考えて行動する”事が出来なかったのではないか。


 貴族女性を愚かにしてきたのはこの国の男たちの責任だ。貴族男性が女性を所有物として扱うのだから、平民にも男尊女卑の思想が根付いたのも当たり前だ。


 男女が対等に生きていけるアンドールの理想世界は、彼の治める時代では叶わない。長い年月をかけて地道に変わっていくしかないのだ。シリウスは自分たち夫婦が先鋒となってその一端になろうと決意も新たにした。



「あの……シリウス……ありがとう」


 おずおずと伯爵夫人が口を開く。息子の反骨な態度を目の当たりにして気後れしている。


「なんですか。わざわざ人を呼びつけて。まあ正解でしたね。あなたたちでは簡単に口車に乗ったでしょうから」


「シリウス! 口が過ぎるぞ!」


「侯爵がいなくなったら威勢がいいですね、父上。当主として不甲斐なさすぎです。早く俺に代替わりした方がいい気がしてきましたよ」


「なんだと……」


 嘲笑うシリウスに「家長に逆らうか!」と虚栄も張れないのが、この日和見主義の父親である。


(どう見たってシリウス様の方が度量があるものね。資産もお義父様より上だし、劣等感もあるかもしれないわ)


 王太子の側近で政治にも参加している長男は、伯爵にとって自慢を通り越して鬱陶しい存在なのかもしれない。そう考えたテレシアは少しだけ伯爵が気の毒になった。


「とにかく何かに巻き込まれそうな時はこれからも俺を呼んでください。いいですね、父上」

 ずいっとシリウスは伯爵に近づくと「……あなたの代で没落したくなければ」と低い声で告げた。伯爵は一拍の間のあと「ああ」とだけ頷いた。


 親子の力関係が完全に逆転した瞬間である。


「母上、この際はっきりと言いますが、俺はテレシアと別れません。いい暮らしを続けたければ、俺たちと敵対しないほうが利口です」

 ついでとばかりにシリウスは母親に釘を刺す。

「テレシアは伯爵夫人に相応しい女性だ」

 息子の言葉に現伯爵夫人は目を見開いたが、すぐに瞼を閉じる。

 

 __彼女は“嫁いびり”をやめられなかった。自分は姑に格下扱いされていて先代が完全隠居するまで、アークトゥルス家の女主人として振る舞うのを許されなかった。夫は妻の立場など少しも気にかけてくれなかった。


 それがどうだ。父親に似て配慮に欠ける性質だと思っていた息子は、悪意から妻を護っている。それが納得いかなくて余計嫁に嫌がらせをしてしまった。きっと羨ましかったのだ。夫に守ってもらえる妻が。しかし愚かな嫌がらせもテレシア自身の痛手にならないようで、勝手に敗北感を抱いていたのだからお笑いだ。


 テレシアは王太子妃の相談役侍女として宮廷に上がり、王家の覚えもめでたい。それに対しての嫉妬もある。息子の財力と地位目当てで息子を籠絡したであろう没落底辺貴族の娘テレシア。その実家の男爵代理となり弟妹まで養っているシリウスは親の意見など聞かず、親戚からも批判されていた。


『気に入らないなら廃嫡なり勘当なりしてくれていい』


 結婚してからのシリウスは強気である。実際実家を追い出されても直ぐに叙爵されるだろう。王太子の側近に平民は認められないからだ。

 王太子に重用されている息子を廃嫡など考えられない。ただずっと次期伯爵夫人として相応しい身分の令嬢と結婚させたいと思っていた。


 社交界で人気のクルハ侯爵令嬢は最も理想的だったと言える。シリウスに親しげに接していたので“もしかしたら”と期待していた。しかし彼女は隣国の公爵子息と知り合うとシリウスに近寄らなくなった。明らかに格上の男への鞍替えだ。幸い息子が“振られた”などと笑い者にはならなくて、安堵をしたのが数年前である。それから結婚をずっと嫌がっていたシリウスが、急に貧乏下位貴族の娘を花嫁と決めて家を出て行ってしまう。不服な親を黙らせるために王太子に後押しさせる周到さだった。伯爵夫人には一連の流れがこう見えていた。


 離縁されて帰国した令嬢が再度シリウスに近づいていると知った時は、嫌悪感でいっぱいになった。曲がりなりにも息子は既婚者だ。そこへ割り込むのは不倫の誘いでしかない。こんな娘を最高の淑女と思っていたなんて……。貴族の品格は身分だけでは計れないと悟る。


「……テレシアさん、今まで意地悪してごめんなさいね」


 色々と葛藤を整理すれば素直に謝罪の言葉が出た。急変した義母の態度にテレシアがびっくりして身体を強張らせる。


「母上、何を考えているのです?」

 警戒したシリウスがテレシアを背後に庇う。


「ようやく客観的に見られるようになっただけよ。今後伯爵家を盛り立ててくれる嫁としてテレシアさんに不足はないわ。“見た目だけの淑女”にシリウスの妻は務まらないのよね」


 シャウラシーナが頭に浮かんでの嫌味だ。


「……許してもらえるとは思わないけど……」


 声が震える義母は小さく見える。市井を知っているテレシアからすれば、ほぼ実害のない彼女の嫌がらせなど可愛らしいものだ。


「いえ、お義母様。認めてくださって有難うございます。これから色々教えてください。よろしくお願いします」


 テレシアも好きで姑と仲違いしていたわけではない。シリウスに親と疎遠になれと願ったわけでもない。円満に過ごせるならそれに越した事はないのだ。




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