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37:売られた喧嘩は買う夫


「昔、シリウスくんはうちの娘のために身を引いたのだろう? 今なら双方再婚同士で問題はない。シャウラシーナを娶らせてやると言っておるのだ」

 

 なんとも横柄な口振りである。

 侯爵がどこまで〈シリウスとシャウラシーナは恋人だった〉と信じているかは不明だ。だが娘の再婚先として認めてやってもいいと判断したようだ。


「閣下ともあろう者が真偽は確認されなかったようですね。過去に私と令嬢が交際していた事実はありません」

 シリウスは胡散臭い笑顔でバッサリである。だが侯爵にとっては些細な部分で、事実はどうでもいいのだ。


「しかし昔は娘と親しかったではないか。初婚時の君は隣国の公爵家相手では分が悪かったが、今なら手が届くと言っているのだ!」

 これだから話し合いはシリウス抜きでしたかったのだとばかりに苛立ってきたようだ。口調が徐々に荒くなる。


「どこに不満がある!? クルハ侯爵家と縁を結べるのだぞ? その上社交上手のシャウラシーナはどこに連れて出ても自慢できるではないか!!」


 親馬鹿もここに極まれり。


「どうしてご令嬢を娶るのを、褒美みたいに仰るのでしょうか」


 激昂気味の侯爵に、シリウスが物凄く冷静に反撃した。


「は?」


 侯爵が間抜けな声を出す。シリウスの嫌味の意味が理解できなかったらしい。

 誰もが欲する娘なのだ。実際今も結婚の申し込みは途切れない。ただ条件が見合わないから断り続けている。元々王太子妃候補だった自尊心が、身分の低い男や年齢の離れた後妻に嫁ぐ事を許さないのだ。


 それまで黙っていたシャウラシーナが「……シリウス」と声を挟む。


「シリウスが怒るのも無理はないわ。国の友好のためにマシム様に嫁いだのが間違いだったの。あなたの好意を裏切る形になってしまって……ごめんね」


 シャウラシーナは口先だけで男をあしらっていた昔と変わらない。隣国の次期公爵夫人として過ごしていたはずなのに成長が見られない。


(なるほど、イクリール貴族男性の“理想の淑女像”ではある。優美で華やかで。……ただ、それだけだったんだな)


 色々と環境に揉まれた今のシリウスには彼女の実像が見える。アンドールが国母に選ばなかった理由も。見栄えが良いだけで探求心も責任感もない妃はいらなかったのだ。


「国のために嫁がされたみたいな言い方はやめてください。あなたはマシム殿に好意を持っていたではありませんか。それに、私はあなたに裏切られた覚えはありません。尊重はしていたけれど、あなたに女性としての好意はなかった」


(あらっ、シリウス様、ここで初恋を否定するとか。……まあ仕方ないか)


 そうするとは思わなかったテレシアも、すぐに納得する。過去の想いに言及すれば侯爵が絶対粘ってくるだろうからまずい。敵に弱点は与えない。このくだらない離婚話は、多分〈シリウスがシャウラシーナに恋をしている〉が前提なのだ。


「え? 嘘でしょう?」


 シャウラシーナがびっくりしている。しかしすぐに思い直したように頷く。


「そうよね。奥様の前では迂闊な事は言えないわよね。大丈夫よ、奥様には多額の迷惑料をお支払いするわ。何も心配いらないのよ」

 

 まるでシリウスの心を代弁しているような立ち位置で、本気で彼のために良かれと思っているのだ。これにはさすがにテレシアも苛立つ。話にならない。シャウラシーナがシリウスに愛情があるならまだしも、かつての取り巻きの中で一番再婚先に良かったのがシリウスなのだろう。条件しか見ていない女に夫を譲るわけにはいかない。テレシアの闘争心に火が着く。


「私たちの結婚は王太子殿下の祝福を受けています」

 テレシアはつい口を出してしまう。


 侯爵が「これだから生意気な下賎の女は品性の欠片もない」と嘲笑う。

「男の話に入って来るなんて貴族として常識がなさすぎる。ちっとも従順じゃない」


 先にシャウラシーナが口を挟んだのはいいのか。構わないのだろう。テレシアに対する侮蔑は高位貴族の傲慢の現れだ。


「閣下が品性を語るとは」

 シリウスが唇の端を上げる。

「格下の伯爵家に乗り込んで息子夫婦を別れさせようなんて、外道にも程がある」


「なっ!!」


「私がいたのが計算外でしたね。閣下が無理を通そうとするなら、きっと現在はほとんど廃れている“家長権限による宣言書”をご準備しているのでしょう」


 シリウスの父は「まさか……」と絶句する。

 廃嫡やら勘当やら離婚やらが、当主の一存で簡単に決定される“家長権限”は廃止されて久しい。ただ“特例”は認められるが、それには一定数の大臣の署名がなければ書類は発行されない。


「むっ」


 図星だったのだろう。侯爵は赤い顔で口を歪めて言葉に詰まる。まさか若いシリウスが、貴族法の中でもほぼ廃れたそんな細かい条例を知っているとは思わなかったのだ。


「権力と金にモノを言わせましたか。そこまでして令嬢を私に嫁がせても彼女は不幸になるだけですよ」


「どういうつもりなの? シリウス!」

 侯爵が言葉を失っている隙に、いつも微笑が売りのシャウラシーナが顔色を変えて責める。シリウスは冷めた目でかつて慕っていた女性を見た。


「あなたにテレシアの代わりが務まりますか? 王太子妃の相談役として王家に仕え、結婚相談ギルドで私と共に働く。無理でしょう。私の妻になるというのはそういう事です」


「それこそおかしいではないか! 貴族の女は社交界で華であるのが正しい姿なのだ! 先進化の愚策など、なにもかも帝国被れしたアンドール殿下のせいだ!」


 シリウスに反論するクルハ侯爵の本音だ。シャウラシーナは元々“王太子妃に”と育てられた娘である。それを王太子が蹴った。それが禍根として残っている。


「落ち着いてください、閣下。王太子の悪口(あっこう)を側近の私に言ってはいけません。殿下は面白い政策案を出される方ですが無理に推し進める事はないし、国王陛下と議会の決定には従います」


 当然納得いかない事はゴネまくる。そして妥協案を引き出すのが王太子の真骨頂だ。結果、最終的に揉めていないと見えるだけなのに、ものは言いようである。


 シリウスが不敬になるぞと脅せば侯爵は黙ったが、時代の流れが自分の価値観を否定されている屈辱も感じるのだろう。腹芸をやめて悔しそうに捲し立てる。

 

「だが下町で平民の生活も経験した落ちぶれ男爵家の娘など、貴族界では嘲笑の的だ。それこそ君の母親のアークトゥルス伯爵夫人が嫌がっているのに、嫡男として相応しい妻を得ていないのは家門の恥だと心得よ」


 シリウスとテレシアは特に反応を示さなかった。この程度の煽りには耐性がある。しかし当の伯爵夫人は唇を噛んで下を向いた。無理もない。自分の名を利用された上、家名を卑下されているのだ。こういう場面では伯爵本人が反撃しないといけない。いくら相手のクルハ侯爵が格上と言えども家門の侮辱に黙してはならないのだが。


(全く、親父は何年当主をやっているんだ。うちは一応歴史ある伯爵家だぞ。侯爵が馬鹿にできる家柄じゃない。そこまで言われても反撃しないから侮られるんだ)


 悔しげな母親と違って、父親は困惑して愛想笑いしているだけだ。全く使えない!


「閣下に罵られる筋合いはありません。貴殿こそシャウラシーナ嬢を他国に嫁入りさせた失敗を反省したら如何ですか。ボメタイン王国の公爵夫人には外交の手腕が必要です。この国の令嬢が嫁ぐ事がどんなに大変か想像はできたでしょう? 婚姻までに少しでも隣国の教育を施さなかったのは落ち度です」


(これはキレてるわ……シリウス様。売られた喧嘩を買う主義だっけ)


 テレシアは呑気に珍しい夫の姿を眺めていた。そんな内心を王太子が聞けば、彼女の肩をポンと叩きながら『国会では随分攻撃的だよ』と言いそうである。


「イクリール王妃になるに相応しい教育をした娘を侮辱するか! たかが伯爵家の分際で! 娘が貴様がいいと言うから認めてやろうとしたのに!」



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