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36:侯爵と対峙


「シャウラシーナ様のお父様が?」


 何故? 確かにいい話とは思えない。テレシアも厳しい顔になる。


「一体どういったお話なのでしょうか……? やっぱり離婚させられるのでしょうか……?」


()()()()?)


 うっかり口走ったテレシアの言葉に、シリウスは彼女の不安の根深さを知る。

 これから普通の夫婦としてやり直す真の門出の日なのに。ここにきて、シリウスが妻と離婚してクルハ侯爵令嬢と再婚するなんてうわさが、彼の足を引っ張るなんて思わなかった。


「俺の親にも侯爵にも別れさせる権限なんて無いよ。案外ただの事業提携の話かもしれない」

 シリウスはシャウラシーナが、ジロンダ公国の銀製品に興味を持っていたのを思い出す。しかし言いながら〈無いな〉と頭の中で否定した。純銀の価値しか知らない彼女が大衆向けの安価な商品に惹かれるわけがない。


 __ならば……嫌な想像だが、シリウスの友人のナーンクラゲン伯爵子息を使う口実だったのかもしれない。彼もシャウラシーナの信奉者だったので。


「伯爵家自体が抱えている商売は無いじゃないですか。仕事の話なら貿易商会を持っているシリウス様と直接するはずです」


 正論である。


 王太子が言っていた愚かなシナリオを、地位あるクルハ侯爵が描くとは思いたくはない。が、シャウラシーナがそれを望めば? 異国に送り出した自慢の娘が傷心で帰って来たのだ。実際再婚相手にそれなりの爵位を求めるとなれば、年配者の後妻くらいしかないだろう。何とかしてやりたいと考えたなら? かつては娘と親しかった同世代の伯爵家の嫡男は、次期国王の側近だし資産家だ。そんな格下の伯爵家ならどうにか出来ると判断されたのなら? クルハ侯爵家とアークトゥルス伯爵家との“与太話”なら、とんでもない屈辱である。


「私も行きます!」


 キリリとした顔でテレシアが宣言する。


「いや、俺の両親と会うんだよ?」


 途端にテレシアは吹き出した。

「それは当然でしょう。あまりにご無沙汰なのでこの機会にぜひ」

「君にとっては敵地だろう」

 父は我関せずを通しているが、母はねちねちと煩い。その上社交界で嫁の愚痴を垂れ流すのだから酷いものだ。


「シリウス様が一緒だから平気ですよ」


「しかし母は君の身分や境遇ばかり、君自身ではどうしようもなかった事を攻撃してくる」


「逆に考えて、身分以外は問題ないと思うようにします」

 

 伯爵家で肩身が狭かったのは、仮初の妻の立場だったからだ。だが今は相思相愛の夫婦である。困ったように曖昧に笑う妻は“もうやめる”。その心意気を感じたシリウスは思わずテレシアを抱きしめた。


「……ありがとう」


 探偵社で初めて会った時のテレシアだ。結婚相談ギルドで活き活きと動き回るテレシアだ。王太子妃殿下の側で彼女の支えとなるテレシアだ。

 私的にはずっと一歩引いていたテレシアが本来の姿で寄り添ってくれる。こんな嬉しい事があるだろうか。


「それでは急いで支度をしてきます」

「ああ、俺も着替えよう」


 クルハ侯爵と対峙するのだから、それなりの装いが必要だ。着替えたテレシアを見たシリウスは、その気合に「これはこれは」と苦笑する。


 王太子が妻に準備した“戦闘用衣装”と同じ生地の紅いドレス。ルーシェが側仕えたちに生地を贈った。テレシアたちはそれを流行に捉われない、各々がデザインの似たイクリール王国の伝統衣装に仕立てた。これは彼女たちが外交用に着用すると決めたもので、王太子アンドールが認めたルーシェの“側近”だと他国の者にも一目で分かる仕様となっている。決して王太子妃殿下を侮る者を見逃さない。


 __言わば、ルーシェに倣った“戦闘用衣装”である。


 侯爵家やシリウスの実家と揉めても、妃殿下の威光を使ってでもシリウスの妻としての立場は無くさないという意気込みだ。


「いざ、出陣!」

 ルーシェが社交や外交の度に、専属侍女やコンパニオンたちと円陣を組んで合言葉にしている気合いの台詞をテレシアが使う。


(ああ、どんな話にも動じるものか)

 シリウスは自分を鼓舞して不敵に笑うのだった。




 シリウス自身、実家に帰るのは久方ぶりである。アークトゥルス伯爵家主催の夜会以来だ。招待客は親戚縁者、夫人の親しい友人枠の“身内”で、テレシアを晒し上げるために設けられた晩餐会だった。しかし王太子妃と共に作法を学んだテレシアに、今はマナーを馬鹿にされるような隙はない。『男爵家の娘のくせに生意気ね』と悔しそうな母親に、『貴女の浅慮にはうんざりだ。距離を置かせてもらう』とシリウスが吐き捨ててから数ヶ月は経った。


 息子の疎遠宣言は現伯爵も暗黙に了解しており、以降シリウスを呼びつける事はなかった。シリウスは『父は家庭内に於いても日和見主義だ』として、彼に妻と息子夫婦の仲立ちなど期待していない。


 そんな実家がシリウスを呼び出したのだから、余程クルハ侯爵の訪問に戦々恐々としていたのだろう。

 証拠に、シリウスが帰って来てあからさまに安堵した伯爵夫人は、息子の隣に立つテレシアに対して嫌な顔をする事はなかった。




 シリウスたちが到着してから然程時間を置かず、クルハ侯爵がやってきた。驚いた事にクルハ侯爵令嬢も一緒だった。意外だったのは侯爵側も同じだったようで、シリウスとテレシアの姿に一瞬目を見開いた。

 侯爵はテレシアのドレスを注視していたから、王太子妃の腹心だと示していると察して敵対の意思を感じただろうが、目を細めて友好的な笑みを浮かべる。


「ご子息夫婦もいるなら話が早い」


 座して挨拶もそこそこに早速クルハ侯爵が切り出す。実際はシリウス抜きに話を進めようとしていた筈なのに、余裕の口調だ。

 

(これが父にはない強かさだな)


 感心しつつ「たまたま顔を出していたのです。お久しぶりです、閣下。本日はどういったご用件で我が伯爵家へ?」と、しれっと宣うシリウスもなかなかに肝が太い。

 既に政治の中枢にいて、会議では王太子の懐刀として、上層部から煙たがられる存在だ。格上相手は慣れている。自身の親は役に立たないからシリウスは全面に出る。



「昨日は我が邸宅で過ごしただろう? 私の未婚の娘に醜聞が立ってしまった。どう責任を取るつもりかね」


 いきなりぶつけてきた侯爵の言葉に驚いた伯爵夫妻は、“信じられない”とばかりに息子を凝視する。


「シ、シリウス……そ、それは本当か……?」

 

 伯爵は真っ青だ。そんな父親の動揺をシリウスは目で制する。テレシアは、夫が心の中で『黙っていろ!』と叱責しているのを感じた。初っ端からおろおろするなど、相手の思う壺だ。


「……確かに不注意でしたが、離邸であったし他に独身の子息たちも泊まっていましたし、朝食も馬車の手配も辞してお暇したのに、どうして私だけが槍玉に上げられるのか不可解ですね。醜聞はどこで広まっているのですか?」


 シリウスは〈恣意的では?〉と返している。


「今は()()()()()()だが、すぐに社交界でうわさになる」と侯爵は悪びれもせず言い、しばらく間を置いたのち「すぐに離婚して私の娘を娶りなさい」と続けた。

 

 結論ありきだった。

 侯爵は本来なら伯爵夫妻に圧力をかけて『娘と関係を持った息子を離婚させて娘と再婚させろ』と話を進めるつもりだった。

 シリウスと違って愚鈍なアークトゥルス伯爵なら、簡単に言いくるめられると思い、家長権限で息子を離婚させる特殊書類まで準備していた。


「シャウラシーナとそちらの没落男爵令嬢、どちらが次期伯爵夫人に相応しいかなど明白」

 

 見下すクルハ侯爵の視線を無視して、テレシアは父親の隣で楚々と佇んでいるシャウラシーナを見る。と、目が合った。シャウラシーナは自分の意思が通る事を疑わない顔をして、薄く微笑んである。隣国で居場所を失った彼女も、自国では影響力のある淑女として扱われて、再び自尊心が戻ったのだろう。


「それはあんまりな暴言では」


 思わず反発したのは伯爵夫人だった。シリウスは意外に感じたが、テレシアはそうでもなかった。

 シリウスの母はシャウラシーナに良い印象を抱いていない。表立って口にしない分別はあるけれど、態度を観察すれば分かる。“息子を振り回した出戻り娘”と位置付けているのだ。息子の言葉を聞くに、〈令嬢と関係を持った〉は濡れ衣だと察している。


「離婚なんて簡単には……」

 伯爵も歯切れは悪いものの妻に同調した。


「テレシアとの別れを強要される謂れはありません」

 シリウスは器用に片眉を上げる。彼がここまで不快感を露わにしているのも珍しい。



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