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32:夫の状況

__昨日、早く家に帰りたかったシリウスは、ナーンクラゲン伯爵子息に押し込められた馬車の中で、不機嫌を隠しもしなかった。だが連れ出した友人は銀の取引先の息子でもある。

『おまえにも悪い話じゃないしさ。銀メッキ製品なら安価で購入できるだろ? 購買層が広がる』

 そんな事を言われても正直、銀を売るだけのシリウスには関係ない。


『銅に塗るのか? 技術的な話も俺はできないぞ』

『いてくれるだけでいい。頼むよ、俺の顔を立てると思って』

 伯爵に連れ帰るよう無理を言われたのかもしれないからと思い、シリウスは悪態をつくのを諦めた。

 

 馬車が止まったのはあまり大きくはない屋敷の入り口の真正面だった。何度か訪れたナーンクラゲン伯爵邸ではなかった。ああ離邸か、と納得して子息に続いて邸宅に入る。


 ピアノが鎮座している客間にはシリウスの面識がない令嬢、子息を含む十数人がお行儀よくソファーに座っていた。

『伯爵はいらっしゃらないのか?』

 若い連中しかいないのでシリウスは訝しく思った。


『いないわよ。ここは私の家のサロン邸だもの』


『……クルハ侯爵令嬢? どうして……』


『若い貴族向けに銀メッキ食器や装飾品を作るなら意見を出したいと思って、場所を提供したのよ。ほら見て。ここにあるのはジロンダ公国のものだそうよ。これより装飾を凝ったものにすれば輸出もできるのではないかしら』


『本当に話は今日じゃないといけなかったのか?』

 シャウラシーナを無視してシリウスは伯爵子息に問うた。

『明日までに案をまとめたいのは本当なんだって!』

 必死な顔が逆に怪しい。こいつは昔から大袈裟なところがある。


 元々調子のいい男だから、結局王太子のお眼鏡に敵わなくて側近には選ばれなかった。クルハ侯爵邸に連れて来るなら前もって言うべきだったろうが、この男にそこまでの気配りがあるかは危うい。


『これらの食器を使っての食事の準備もできているの。うちの領地の自慢のワインもどうぞ。みなさん、こちらへ』

 

 シリウスはシャウラシーナに手を取られて食堂に案内される。さすがに侯爵令嬢の手を振り払う事はできない。寄り添うような姿を令嬢たちが目を輝かせて見ていたのには気が付かなかった。


『銀メッキって剥がれたらみっともないじゃないですか』

『塗り直しは大変だから処分になるかな。安い物だし買い直した方がいいと思う』

『厚めにして塗装して、丁寧に扱えば結構持つんじゃないかなあ』

『それより、ヒ素に反応してちゃんと黒くなったりするのかしら』

『食器は純銀の方がいいと思います。装飾に金を使って豪華に。貴族は本物を使うべきです』

『アクセサリーにはいいんじゃないかしら。平民でもおしゃれができる子は安価で買えるもの』


 外国の食器を使ったただの食事会かと思いきや、参加の若者たちは意外にも考察議論をしていた。


『帝国では平民の間で銀のチャームが流行っているそうです。元は貴族たちが自分の騎士にお守りとして贈っているものが真似されているとかで』

 シリウスがふと思い出して語ると、装飾品のデザインをしたいという子爵令嬢が『帝国の流行の話、もっと聞きたいです』と興味を示す。


 シャウラシーナが語るボメタイン王国の民族衣装の話を、若い令息令嬢が興味津々に聞いていたので、シリウスも今回の外遊先のマーシャワ王国での買い物などの話をした。


 王太子が王太子妃にマーシャワの特産品のショールを買ったという話は、特に女性陣に喜ばれた。なんせ最新情報だ。そのショールを王太子妃が身に付ければ流行る。食いつくのも当然だった。


『シリウスは奥様には何を買ったの?』


 急にシャウラシーナに尋ねられたから『内緒です』と答えた。なんとなくテレシアより先に彼女に知らせるのは嫌だった。テレシアと弟妹の分のプレゼントは旅行トランクの中で、伝言と共に自邸に送り済みだ。もし見せてくれと言われても無理である。


 異国の雑貨屋で見つけた、普段着用に合わせた髪飾り。濃淡の桃色の薄絹で作られた、大きな花と小さな花の形を緻密に組み合わせたもので、マーシャワの技術の高さが伺える代物である。テレシアに似合いそうだと思った。


『……買ってないんじゃないのか?』

『……そうなのかしら』

『離婚寸前の妻には贈らないだろう』

『そうだな』


 そんな勝手な憶測が参加者の間で、こそこそと交わされていたのには気が付かなかった。


 同世代との生産性のある会話がだんだん楽しくなり、知らぬ間にシリウスはワインの杯を重ねたらしい。


 眠気に抗えずうとうとしていたら、ふかふかしたところに案内されてその心地よさに身を委ねた。目が覚めた時、慌てて飛び起きて状況を確認する。どうやらそのままクルハ侯爵家の離邸で眠ったらしい。男性陣の内、三人そうしたらしく応接間で顔を合わせた。自分一人の宿泊でない事に安堵するが、自分は既婚者なので失態である。ナーンクラゲン伯爵子息はいなかった。昨晩のうちに帰ったようだ。


『皆様、おはようございます。メイドたちが支度にお伺いします。身なりが整いましたら、本邸の方でお食事の準備が出来ておりますのでご案内します。旦那様が若い方々と話がしたいそうなので、ぜひどうぞ。お嬢様もお待ちしております』


 呼びにきたのはシリウスもよく知っているクルハ侯爵家の家令だ。正式な招待に令息たちは興奮していた。クルハ侯爵との顔つなぎに期待が高まったのだ。


(これはまずい!)


 シャウラシーナが出戻ってから、侯爵は王太子周辺の若い男性を気にかけて声をかけるようになっていた。既婚独身婚約者ありの立場問わずにだ。側近仲間が『俺たちの周りに有望な男がいないか探ってるのかもな』と、娘の良縁を見つけようとしていると思われた。


(またシャウラシーナ嬢と顔を合わせるのはまずい)


 酔っていたシリウスを甲斐甲斐しく世話したのは彼女ではなかったか? 寝室に案内してくれたのはメイドではなかった気がする! 侯爵からあらぬ誤解をされるのでは!? さすがにシリウスも危機感を持つ。


『俺は帰ります』

『お食事が終わればお送りいたします』

『いえ! 急ぎの用事があるので! 大通りで辻馬車を拾いますから大丈夫です! 侯爵と令嬢にくれぐれも宜しくお伝えください!』


 引き止める家令を押し切ってシリウスは離邸を飛び出した。それから急いで帰宅をするも……テレシアの不在に繋がる。



 ぽつぽつと話すシリウスにいつもの爽やかさはない。着の身着のままなので服もシワがより、髪も整えていない姿は、飼い主に邪険にされたしょぼくれた犬のようだ。王太子の侍女が入れてくれた、頭をスッキリさせる熱いハーブティーを冷ましながら飲んでいる。


「クルハ侯爵離邸と分かった時点で帰るべきだったんだよ。外遊帰り当日に外泊する旦那なんかいらないと思ったんじゃないか?」


「それは……面目ありません。仕事でもないのに妻より友人を優先するのは間違っていました」


 苦言を呈した王太子は「私に言われても困る」とゆるゆると頭を振った。シリウスを責められるのはテレシアだけだ。



「……思った以上にクルハ侯爵令嬢は上手く外堀を埋めているようよ。友人相手には警戒心の薄いシリウスの弱点を突いたみたい」


 ぼそりとルーシェが言った相手はアンドールかシリウスか。


「昨日、アンドール様たちが帰城する前に、馬車置き場で一悶着あったんですって」


「一悶着?」


 訝しがるアンドールに、「今、私の侍女たちが今調べてきてくれたのだけど」とルーシェは前置きする。


 __王太子妃が自国から連れてきた侍女二人は諜報員兼護衛だと王太子は認識しているし、シリウスたちも同意である。侍女も王太子妃も明言はしないものの彼女たちは武器を隠し持っていると公言しているのだ。

 フェル王国は遠方に嫁ぐ愛姫を心配したのだろう。異国の地で冷遇されないか、命を狙われないか。ルーシェ自身も武術の心得はあるけれど姉のような武人ではなく、孤立して狙われたらひとたまりもない。そんな王女を護る精鋭女性が嫁入りに同行したのだ。


「……」

 アンドールが絶句している。いつの間にルーシェは侍女に調査を頼んだのだろう。ルーシェの目配せだけで察知するとか? しかも仕事が早い。


(何それ優秀。私の護衛はみんな脳筋気味だしな)

 アンドールは少しだけ妻が羨ましくなった。


「何かあったのですか?」

 当事者のシリウスは食い気味である。


「テレシアはクルハ侯爵令嬢率いる若年貴族軍団に絡まれたそうよ」

 ルーシェは侍女から渡されたメモを見ながら喋る。


「そこでクルハ侯爵令嬢たちから、“帰城後シリウスは侯爵邸に行く”と告げられたらしいわ。“シリウスの離婚相談に乗る”と匂わせたのは、あなたたちの友人のナーンクラゲン伯爵子息だって」


「ラインドか……。あいつもクルハ侯爵令嬢の取り巻きだったな」

 アンドールはお調子者の同級生の顔を思い浮かべた。私的に当たり障りなく交友するなら別に問題のない男だが、思い込みが激しい上に口が軽い。だから側近には選ばなかった。

 

「そうです! ラインドが商談の助言をしてくれと誘ったんです! もちろん断りましたが粘られて、ナーンクラゲン伯爵家の馬車に乗ったのです!」


「……昨日の段階でテレシアはもうあなたがクルハ侯爵邸に泊まったと知っていたのよ。なのにあなたはナーンクラゲン伯爵邸に行くとテレシアに報せたのでしょう? あなたは嘘をついてクルハ侯爵邸に行った事になるの。わざと人目につく馬車置き場でテレシアと会って、多数に状況を目撃させたみたい」


「そんな……」

 シリウスは血の気が引く。


「クルハ侯爵令嬢の周りは仕事が早いわね。まだ朝なのに、シリウスがクルハ侯爵邸に泊まった事はぽつぽつ広まっているわ。不思議ね? 泊まった他の男性の話はないみたいよ」


「嵌められたな、シリウス」

 アンドールが溜息をつく。この補佐官は仕事では疑い深くて頼りになるのに、私生活には無頓着すぎて足元を掬われる傾向がある。


「クルハ侯爵がおまえの実家に、“娘と既成事実が出来たから身分の低い嫁とは別れて責任を取れ”と乗り込むかもしれないぞ」


 シリウスはようやく全貌が見えた気がした。

 テレシアにとって自分は浮気者だ。__いや。


 シリウスに好きな者がいるから()()()()()()()()()()()


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