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30:妻は離婚を希望する


(結局帰ってこなかったのね……)


 テレシアがいつもより早く目を覚ますと、隣にシリウスの姿はなかった。シーツの乱れもないから彼が早く起きたとも考えられない。




 昨日王太子一行の帰城は陽が落ちかけた頃だったらしい。シリウスから簡易封書が届いた時はもう暗くなっていた。


 __急遽商談に駆り出されてナーンクラゲン伯爵家に行くことになった。いつ帰れるか分からない。


 伝言を走り書きした便箋を一瞥して、テレシアは執事に『旦那様はいつお帰りになるか分からないそうよ』と告げる。

『分かりました。夜番の者に伝えておきます』と承諾して、ヴィハムは下がった。


(……嘘つき。クルハ侯爵家でホームパーティのくせに)


 テレシアは便箋をダイニングのテーブルに投げ捨てる。


 ナーンクラゲン伯爵家はクルハ侯爵家の親戚だ。シリウスはクルハ侯爵の名前を出すのはさすがにまずいと思ったのだろうか。

 

 王太子側近の友人以外に、同級生の中で他に親しい者や社交の場で知り合った友人も当然いるだろう。しかし夜の集いに参加するだけならまだしも、既婚の身で未婚女性の邸宅に泊まるのは非常識だ。せっかく円満な夫婦を演じているのに、これではうわさに拍車をかけるだけだ。


(離婚の話し合いは不要ね)


 テレシアはゆっくりと息を吐く。寝室に赴くとカバンから封筒を取り出し、机の上に目立つように置く。それをお気に入りのドーム状の青クリスタルの文鎮で押さえる。使用人は許可なく寝室には入らないから、最初にこれを読むのはシリウス一人だ。




(……さて、今日は仕事が忙しい)


 テレシアは色々と考えてしまうのを振り切ってギルドに向かった。






「お帰りなさいませ、シリウス様」


「朝になってすまない」


 迎え出たヴァハムにシリウスは気まずげに言う。早めに帰宅するつもりだった。

 すぐに家に帰りたいと考えていたのに、勧められた酒が強かったのか、そのまま眠ってしまい他家で一晩過ごしてしまった。


 酔いが覚めた時はもう朝で、慌てて侯爵邸を出たが、もう義妹たちが起きるという時間になってしまった。シリウスとテレシアは日中仕事だし、帰宅時間もまちまちである。だから出来る限り双子たちと四人で朝食は摂るようにしている。なんとか朝食は皆で取れそうだ。


(テレシアはもう起きている時間だな)


 夫として朝帰りは詫びなければなるまい。シリウスは湯を浴びてさっぱりしたいなと考えながら寝室に向かう。


「……テレシア」

 小さくノックして小声で声をかけたが反応はない。彼女を起こさないようにと、静かにドアを開けた。足音を立てずに寝台に近づいて確認しても、そこに彼女の姿は無かった。


(もう食堂だろうか……ん?)


 寝台のサイドテーブルの青いクリスタルの文鎮が目に入る。その下には封筒がある。“シリウス様へ”と書かれたそれを取り上げた。ちゃんと見てくれるようにと、目立つ文鎮を置いたのだろう。


(……ずっと留守にしていたからサインが必要なものが溜まったのかな)


 シリウスは深く考えずに中身を取り出す。一番上の用紙はテレシアの丁寧な字が並んでいた。


「ん? 手紙か?」

 読み進めるシリウスの顔が徐々に青くなる。


“今まで有難うございました。想定より早くの決断となりますが、離縁させていただきたく存じます。出て行くに際し、弟妹の荷物を持ち出す猶予も欲しいので、しばらく屋敷においていただければ幸いです。今後の話を擦り合わせたいので、出来るだけ早く話し合いの場を設けていただくようお願い申し上げます。テレシア”


 呆然としたまま次の紙を確認すると、それは婚姻終了届の用紙だった。貴族院発行のその届出書には、既にテレシアの名前が記入されている。


「どういう事だ!?」


 驚いたシリウスは慌てて次の書類に目を通す。契約婚をする時に探偵所で交わした“誓約書”だ。アンドールに言われて離婚時の財産分与の追記もした法的に有効なものである。もしシリウスが誓約書の内容を守らなければ、テレシアが裁判に持ち込める。シリウスも同様のものを保管しているが、書斎の鍵付き引き出しに入れっぱなしで他者は取り出せない。とすれば、これはワイセン探偵所で預かってもらっているテレシアの分だ。

 二枚に渡る誓約書の最後に、新しく文章が付け加えられていた。


“妻テレシア・アークトゥルスの本誓約書の破棄申し立てにより本誓約書を無効とする。本誓約書によって生じる夫シリウス・アークトゥルスの不利な条件は全て失効する。本件に関して誓約書作成時の立会人ワイセン探偵所所長ロバート・ワイセンが破棄の証人となる”


 そして最後にロバートの飾り文字サインがあった。


(どうしていきなり離婚だなんて!)

 

 まさに寝耳に水だ。勢いよく寝室を飛び出したものだから、ちょうど部屋の前にいたメイドとぶつかりそうになった。


「おはようご……」

「テレシアはどこだ!!」


 メイドの挨拶に被せて叫んだものだから、びっくりしたメイドが肩を揺らした。


「お、奥様は早朝よりギルドに行かれました」


 びくびくと答えるメイドに「妹たちの世話を頼む!」とだけ告げ、廊下を駆ける。


「おや、どうされました?」

 ヴィハムはいつも通りに落ち着き払っていた。どうやら離婚の話をテレシアから聞かされてはいないらしい。


「これから出てくる! 朝食はいらない!」


「左様ですか。では馬車の準備を」


「いい! 車の方が早い!」


 そう言って駐車場に走るシリウスを、ヴィハムはぽかんと口を開けて見送った。滅多に拝めない表情である。


 執事が驚くのも無理もない。ギルド所有として王太子より押し付け……もとい、預けられている蒸気自動車は、イベント時や王太子の指示がある時以外活躍していない。シリウスの自動車嫌いは周囲の知るところである。王太子により私的利用を認められていても『ギルド名入りの車なんて目立つ事この上ない。宣伝にしかならないじゃないですか』と正論で反発し、頑なに乗ろうとしない。

 そんなシリウスが自主的に自動車を発進させた。外門を出るスピードに門番も思わず門から離れた。


「蒸気自動車って本当は早く走れるもんなんだなぁ」

 馬車と変わらない速度だと思っていた門番は考えを改め、感心するのだった。




 煩いエンジン音が静かになったかと思えば、シリウスがギルドのエントランスに飛び込んできた。切羽詰まった様子のシリウスに驚いた受付カウンターのカルフェルグは、それでも「おはようございます」と平静を保ちながら上司に頭を下げる。


「テレシアはどこだ!!」


 聞いたこともないシリウスの大声に、カルフェルグは隣のイリエと顔を見合わせた。


「……テレシア様は銀行に行って、そ、それから、あちこちに現金支払いの所に寄るそうで、はっきりとした、い、行き先は分かりません」

 シリウスの勢いに押されたカルフェルグが、つっかえながら答える。


(そうか。今日は支払日か)

「闇雲に探すよりギルドで待った方がいいな」とシリウスは少し落ち着く。


「いえ、本日は王太子妃殿下と茶会の相談があるとかで、所用が終わればそのまま王城に行くとおっしゃっていました」

 気の毒そうにイリエが伝える。


「城か!!」


 そう叫ぶとシリウスは嵐のように去って行った。


「ど、どうしたのかしら……。何かあったのかな」

 イリエは不安そうにカルフェルグを見上げた。彼はゆるりと首を振る。

「分からねえ。でもわざわざ大嫌いな車でやって来るくらいだから、余程急ぎの用があるんだろうよ」




 王城の自動車置き場は馬車置き場よりかなり登城門から遠い。

 常よりも荒っぽい運転で現れた王太子の側近に駐車場管理人が驚いて目を丸くしていたが、シリウスは気にも止めず彼に「車を頼む!」とだけ告げ、城門へと駆ける。


 シリウスだって気が急いているから走るだけで、頭の冷静な部分では、時間的にまだテレシアは登城していないと理解しているのだ。日頃特に鍛えているわけでもないため、息が切れる。


 シリウスが向かったのはいつもの職場の王太子執務室__ではなく、隣の休憩室であり、私的の意味合いの濃い部屋だ。


 ノックをしてドアを開ける。


「おはようございます!」


「なんだなんだ、ノックと同時に開けるヤツがあるか! まだ入室の許可は出しとらんぞ!」

 アンドールは不機嫌にシリウスを非難するが、「失礼します」と王太子に言いながら彼の足は止まらない。


 公務前のひととき、アンドールはルーシェと食後の茶を楽しむのを日課としていた。王太子曰く“今日も仕事頑張ろうと二人で気合いを入れている”そうで、王太子妃の言い分は“少しでも一緒にいたいから”で、仲睦まじくて何よりである。


 側近だからこそ、高確率でここにルーシェがいる事を知っていた。


「妃殿下、ご歓談中の無作法、申し訳ありません」


「おまえ、私への態度がおざなりすぎない!?」


 親しき仲にも礼儀ありだとか、上司で仮にも王族だぞとか喚いていたが、今更な感じでシリウスもルーシェも聞き流す。今回、シリウスが用事があるのはルーシェの方だ。


「不躾で申し訳ございませんが! 妃殿下! テレシアから何か聞いていないでしょうか!?」


 握りしめてシワになっている書類をすっとルーシェに差し出す。不思議そうに受け取った彼女はシワを伸ばそうとしながら目を通す。

 尋常でないシリウスの様子に、アンドールもルーシェの方に身体を寄せて用紙を覗き込む。

 

「……離婚?」

 

 ルーシェが呟く。内容を理解した王太子夫妻の顔が険しくなった。 



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