3:契約結婚の条件がいい!
『契約結婚してもらえないだろうか」
身分の高そうな若い男性にいきなり突拍子のない申し込みをされて、テレシアは目を丸くした。
「……という事は、お仕事の依頼でしょうか」
テレシアは事務員だが探偵社の一員である。ボスがこの若い男の偽装結婚相手に自分を推薦したのだと、理解するのは早かった。
「条件を詳しくお願いします。あっ、まずお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「失敬。名乗ってもいなかったな。シリウス・アークトゥルスだ。アンドール殿下の侍従をしている」
「王太子殿下の文官的な側近だよ。伯爵家の嫡子だ。二十三歳で初婚! やったなテレシア、玉の輿だ」
ロバートが楽しそうに補足する。
「伯爵家嫡男って……。そんな方がどうして? 偽装結婚をする理由が分かりません」
ボスの仲介だ。怪しくはないのだろうがテレシアは警戒する。
「俺は結婚する気がない。夫婦生活も免除する。後継は弟たちがいるから心配無用だ」
シリウスは要点しか喋らない人物なのだろうか。あまり関わりたくないタイプだなと、テレシアは消極的な気分だ。
「新しい事業の立ち上げに際し、王太子殿下から結婚を命じられたそうだよ」
専らロバートが注釈を入れる。詳しい説明を二人から聞いたテレシアは「なるほど、趣旨は理解しました」と頷く。受け入れるかどうかはここからが肝心である。
「雇用条件は?」
「まず結婚相談ギルドに転職してほしい。当然給料も出るし、“俺の妻が勤めている”事実が必要なんだ。結婚後は俺の住んでいる屋敷に越してくれ。もちろん君の弟妹も一緒だ。弟の貴族学校への進学費を負担する。妹たちにも家庭教師をつける」
テレシアは思わずロバートを見た。ボスは「な? 破格の条件だろ?」と、目で語り、したり顔である。
テレシアが心を痛めているのは弟妹の教育問題だ。自分はさまざまな講師から学ぶ貴族女性の平均的な環境で育った。
しかし貴族の男子なら十三歳から通うべき貴族学校に、弟を行かせられる金がない。探偵社の給料では生活だけで精一杯なのだ。弟は学校へ行くよりなんらかの職人になって家計を助けたいようで、そんな決心をさせるなんて姉として不甲斐ないと思っていた。
さすがにロバートも彼女に金を貸す余裕はない。
誰かに援助を求めると、誰かの妾になる話になるだろう。
シリウスだけでなく、テレシアにも結婚願望はない。弟妹を育て上げるのを人生の目標にしている。日陰者ではなくて伯爵家子息の妻なんて良縁だが、形だけでも務まるだろうか。探偵社の人間なので、契約結婚なのは他言しないと約束できるが……。
(弟たちに教育を受けさせられる……!)
自分の苦労など二の次である。テレシアは決意した。
それからの怒涛の展開にテレシアは目を白黒させながら付いていく。
尤もお膳立ては全てシリウスがしたので、彼女は指示に従うだけである。
姉が急に結婚するなんて話を純粋に受け取ったのは七歳の双子の妹たちだけで、聡い弟は自分たちの教育と引き換えに、姉が身売りしたのではないかと懐疑的だった。
しかしシリウスが身分ある若い男性で、ちゃんと結婚式も挙げるというので納得する。ワイセン探偵室に仕事の都合で訪れたシリウスが、姉を見初めたという筋書きに無理はなかったからだ。
『出会いの話はシンプルな方がいい。齟齬が起きにくい』と王太子が作った馴れ初めである。
契約結婚誓約の書類はワイセン探偵室に保管された。
・性交渉を持たない偽装結婚である。
・テレシア個人には夫人として年間三百万タルフが与えられ、自身の裁量で使用できる。
・テレシアの弟ジョーイを貴族学校に通わせる。
・テレシアの妹リラとミュゲには家庭教師をつけて淑女教育を受けさせる。
・テレシアはシリウスが会長である結婚相談ギルドの相談員となる。
・テレシアはアークトゥルス伯爵子息夫人として最低限の茶会や夜会、親族の集まりには参加する。
こういった主な内容は口頭で聞いたのと同じである。加えてお小遣いまで貰えるのかと驚いたテレシアだった。お小遣いという可愛い金額ではないが。
結婚が決まり、シリウスに恐れ多くも王太子に紹介されたテレシアは、「お飾りの妻と結婚相談所の広告塔として頑張る所存でございます」と役目を熟す宣言をした。
「ごめんねー。俺の思い付きで結婚してもらって。こいつ愛想ないけど、できるだけ長く“妻”をやってくれると助かるよ」
王太子は巷でのうわさ通り、気さくだった。
「……王太子殿下。“できるだけ長く”とは離婚も視野に入れて構わないのでしょうか。誓約には離婚に関する項目がありませんでした」
テレシアは一生ものの縛りかと思っていた。
「離婚する気はないから必要ない」
シリウスが断言すると「えー、離婚ありきだろ。夫婦生活がないんだから、彼女が子供を産める年齢のうちに解放してあげないと駄目だろ!」と、王太子は非難する。
「……そこまで気が回りませんでした」
シリウスは“目から鱗”の表情である。
「契約なんだから。離婚する時の彼女への謝礼金とか待遇とかきちんと話し合っておかないと駄目だろうが」
「しかし……結婚する前から離婚の話なんて、不義理ではありませんか」
「おまえなあ……。契約婚自体が不義理なんだよ! シリウスも帝国留学に連れて行けば良かった! あっちの貴族なんか婚姻と同時に離婚時の目録作ってるぞ。双方納得づくでな」
テレシアは二人のやりとりに吹き出しそうになるのを我慢する。主従というより友人関係みたいだ。
「……あの……妹たちが成人するまで離婚は考えていませんので……その時の話し合いで今後を決めたらいいと思います……」
シリウスに離婚の意思がないなら、今すぐどうこう考えなくていいと思う。
「しかし、結婚相談ギルド会長夫婦が離婚してもいいのですか?」
シリウスはそう言って納得していないし、その点はテレシアも疑問である。
「性格の不一致とか価値観の違いとか愛情の目減りとか、理由はいろいろあるじゃないか。離婚したらシリウスは会長辞めてもらうけど、テレシア嬢は再婚部門の責任者とかになってもらいたいな。あ、不倫以外の離婚理由にしてくれよ」
「再婚の……お手伝い、ですか?」
テレシアは面食らう。
「最近は“離婚は恥だ”との意識も減ってきた。夫婦関係続行が困難な場合は離婚もやむなしだ。でも次の出会いはなかなかない。そう言った者たちには自分たちで縁を掴むべく、積極的にギルドを利用してほしいのだ。君はその斡旋者となれ!」
アンドールは前髪を左手でかきあげキラキラしい金髪を流しながら、右手でびしりとテレシアを指差す。
「なるほど! それなら安心して離婚できます!」
「うんうん、十年後でも君はまだ三十路だ。君を大切にしてくれる男を見つけて幸せになるといい!」
「はいっ、有難うございます! 王太子殿下!!」
劇場型の言動が多い王太子アンドールと、そのテンションに乗っかるテレシアは、立場を超えてウマが合うらしい。
「……どうして俺たちの離婚確定の話で盛り上がっているんだ……」
ぼそりと呟いたシリウスの愚痴は、二人には届かなかった。