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26:不穏な夫婦


「……で、シリウス君よ。おまえが蒙昧だから、いい加減私も忌憚のない意見を言いたくなったぞ。昔はおまえの純情に口出ししなかったけど、はっきり言ってクルハ侯爵令嬢はタチが悪いよ。おまえに結婚適齢期の女性を近づけなかった。誰かに命令したわけじゃない。ただ信奉者の男性に、どこそこの令嬢がだれそれを気にかけているらしいわ、とか世間話に交えて、その二人を会わせるように仕向けた結果、おまえに近寄る令嬢の足止めをしていた。まるで善意だろう? 令嬢がその男性を本当に好きならね」


 アンドールは自分の話にシリウスがショックを受けているかと思ったが、表情に然程変化がないのが意外だった。


「ああ、再会した時、彼女に戸惑ったのはそういう事か……」


「ん? 何か思うところでもあったか」


「シャウラシーナ嬢はテレシアの実家を知らないと言いました。末端貴族だからそれは仕方ないけれど、テレシアに面と向かって言うのは思いやりがない」


「ま、それは貴族社会では別に非難される事じゃないだろ? 侯爵家と男爵家では格が違う」


「そうなのですが。ルーシェ殿下に物申したのも驚きました。彼女はきっと昔は口に出さなかっただけなのでしょう。擦れて気が強くなったわけじゃない。俺が彼女の本質を見抜けなかったんですね」

 

「なんだ、初恋の呪いは解けていたのか」


「……そもそも完璧な女性なんて存在しない。彼女以上の女性は現れないと本気で思っていた俺は、相当視野の狭い男でしたね……」


「国一番の令嬢と謳われて隣国に嫁いだ彼女の自尊心は、すぐに砕かれてしまったらしいよ」


 マシム・テグネロンの自慢の妻は美しいだけだった。元王太子妃候補の彼女の教養は浅く国際的な物事に対して無知で、ボメタイン王国の次期公爵夫人としては薄っぺらすぎるとすぐにマシムは気がついた。それでもシャウラシーナに学ぶ姿勢があれば良かったがそれも無かった。彼女は故郷と同じように社交界での席巻を試みたものの、マナーの違い、交わされる会話の違いで挫折する。ボメタインの貴婦人は外交員でもあった。夫に従っていればいいだけの気楽さは無いのである。


「昔から外国に嫁ぐ令嬢は苦労すると言われているのは、価値観が違うからだ。社交だけやっていればいいこの国の感覚では務まらない」


「不勉強のまま嫁ぐ事に非があるでしょう」


「だからクルハ侯爵令嬢は、利発な愛妾に負けたのだよ。マシムは離婚後すぐに愛妾を正妻にした」


「それは気の毒ですが……」


「その気の毒な出戻り女性は、おまえの正妻の座を狙っているようだがね」


「今更です。俺には既に妻がいます」


「契約したお飾りのな」


「殿下!」


「おまえがクルハ侯爵令嬢と親密な関係だと周囲から知らされる、テレシアがどう思うかだ。しつこく言うが事実は関係ないぞ。なんせ当事者のクルハ侯爵令嬢がおまえとの仲を否定しないからな」





 その日、シリウスは捌ききれなかった仕事は明日に残し、定時で帰宅する。非常に珍しい。家令が目を丸くしたくらいだ。夜遅くでなければ出迎えてくれる妻の姿が見えない。


「テレシアは?」


「奥様は今日、ギルドの試食会で夕食はいらないとお伝えしていたはずですが」


 家令に怪訝な顔をされ、シリウスは思い出す。

「……そうだったな」

「何かご用事が?」

「……いや」


 なんとなくテレシアによそよそしさを感じた原因が分かったのだ。シャウラシーナの事を早く弁明しなければと焦ってしまった。


「シリウスお兄様、どうかなさいましたの?」

「何かございましたか?」


 食事中のシリウスが暗い顔をしているので、気になったミュゲとリラが声を掛けた。


「……最近、テレシアに変化はないか……?」


 言葉を絞り出したシリウスに、双子は食事の手を止めて、互いに顔を見合わせる。


「お姉さまは最近仕事がお休みの時もお出かけして、とても忙しそうです」

「帰ってきても、ずっと部屋に篭っていますし」


「そうなのか?」

 そう言えば食事中も口数が少ない気がする。


「最近はなんだか難しい顔をしている時がありますね」

 リラがここ数日の姉の姿を思い出す。

「今までは仕事で悩んでいても、それも楽しんでいた様子だったので違和感はありますね」

 ミュゲは、より具体的だった。シリウスは考え込む。


(それは仕事以外の悩みがあると? やはりうわさが原因か?)


「お姉様にとって、私たちはいつまでも守護対象なのです。何かあっても相談はしてくれません」

 リラが眉尻を下げる。


「私たちはアークトゥルス家の居候だと自覚しています。シリウスお兄様のお荷物で申し訳ありません」


 ミュゲはずっと思っていた事を口にした。


「お荷物だなんて!」


「ええ、シリウスお兄様は私たちを大事にしてくださって、とても感謝しています。でも攻撃理由を手に入れたい貴族界では通用しません」


 最近は同世代のお茶会に呼ばれる事もある双子。当然男爵令嬢としてだ。伯爵家以上の家には呼ばれない。そして好意的でない招待も多い。ミュゲとリラは姉夫婦の教育を悪く言われないよう、精一杯のマナーで参加する。“親無しの男爵令嬢”は礼儀がなっていないなどとは言わせない。


『名だけの男爵家の令嬢が、高度淑女教育を受けられて羨ましいですわ』

『いつまでお世話になる気ですの?』

『アークトゥルス伯爵家に迷惑をかけているのよ。あなたたちは』


 双子が未成年の間は、シリウス・アークトゥルスが保護者なのは知っているだろうに、ここまで悪意ある言葉に晒されては、いつまでも天真爛漫ではいられない。馬鹿にされないよう学び、信頼できる友達を作る。双子は今後をきちんと考えてはいるのだ。

 実兄ジョーイが卒業したらできるだけ早く共に暮らせるよう、彼と具体的な手紙のやり取りをしている事は、シリウスはおろかテレシアも知らない。ジョーイが男爵家を継げば、すぐに彼の保護下に入るつもりだ。それが正しいのである。


「……貴族界って、何か言われるのか? 君たちの年代でも」


 シリウスの声が低くなる。


「貴族は貴族ですわ。年齢に関係なく」

 リラは済ましている。


(ああ、余計な心配かけちゃったな。シリウスお兄様は淑女の社交界に疎いとお姉様が言っていた通りね)

 ミュゲは思い出した。


「ご心配なく。淑女には淑女の戦い方があるのですわ」

 姉の受け売りを口にしながら、ミュゲはにっこりと微笑むのだった。




「……おかえり」


 薄暗い寝室にこっそりと入ったテレシアは、夫は眠っていると思っていたから驚いてしまった。しかも声はベッドの方から聞こえたのではない。


「びっくりしました。……どうしてソファに?」


 小さな卓上灯だけの部屋でソファに座っているのだ。作業もできない明るさの部屋でソファに座っているシリウスの表情は見えない。


「……遅かったね」


 シリウスはテレシアの問いは無視する。


「あ、ええ、食事のあと、議論が長引いちゃって……」


「今までこんなに遅くなる事なかったから心配したよ」

 シリウスの声は平坦だ。感情が乗っていない。妻の遅い帰宅への怒りを抑えているのかもしれない。


「……申し訳ありません」


「最近、君はすぐ寝てしまうし、話が出来ていないだろう。しばらく日中の報告を聞いていないよ?」


「すみませんが疲れているのです……。おやすみなさい」


 実際テレシアはシリウスを避けている。離婚を視野に入れた今、同じ寝台で眠るのに抵抗がある。ベッドに入って二人並んで話をする必要もないと考えていた。


 明らかに自分を待っていただろうシリウスには悪いが、さっさとベッドに入り限界まで隅っこに横たわる。会話をしたくないという意思表示だ。


 シリウスが大きくため息を吐いて、ベッドに入ってくる。


「これだけは言わせてくれ。なんだか良からぬうわさが流れているようだけど、俺とクルハ侯爵令嬢は何もないからな!」


 それを今夜中に告げるためにシリウスは起きていたらしい。


「……はい」


 テレシアは短い返事をしただけで、シリウスもそれ以上の弁解はしなかった。



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