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26:うわさの二人


「おおテレシア、珍しいな。よく来たね」


 テレシアは元の職場、ワイセン探偵社を訪れていた。


「お久し振りです。ボス。お忙しそうですね」


 ロバートの執務室の机上には書類の束が重なっている。最近は平民の個人事業主の経営書の見直しや提出書類の代行なども行なっている。いかにも元々文官の資格もあるロバートらしい。


「もうおまえのボスじゃないがな」

「確かに。今の私のボスは、畏れ多くも王太子殿下になりますね」

 

 ロバートの軽口にテレシアも軽口で答える。


「出世したなあ。で、今日の用件はなんだ」


「実は……」






「おまえ、ウルブロール侯爵家の夜会で、何やらかしちゃってるんだよ!」


 アンドールに詰め寄られても、特に思い当たる節の無いシリウスは「さあ?」と困惑している。アンドールはそんな部下の手元を見る。


 シリウスの手にはバスケットがあった。先程彼に差し入れられたものだ。


「未婚のクルハ侯爵令嬢が、既婚のアークトゥルス伯爵子息にどうしてそんな物を持ってきたのだと聞いている! わざわざこの王太子執務室までやって来て!」


 アンドールの不機嫌の意味が分からない。


「ああ、夜会の時に懐かしくて少し話したんですが、クルハ侯爵家のリンゴの焼き菓子は絶品だったと言ったからでしょう。それで差し入れを。あ、ちゃんと俺が毒味をします」


 その返事に苛ついた王太子は久し振りにシリウスにデコピンを喰らわせた。


「いたっ!!」

 アンドールの怒りの鉄拳の限界がこのデコピンで、一見地味だが威力は結構高い。これはすごくお怒りだ。


「私は言ったよね!? 安易に近づくなと!」


「はい。承知しています。夜会以来個人的に会ってもいません。疚しい事は何ひとつ」


 わざとらしく、はあっ、とアンドールは大きなため息を吐く。


「その夜会で、おまえは彼女と三曲踊ったらしいな」

「曲調が変わったのでお願いされまして。婚姻中は踊る機会が少なかったそうなのです。あんなにダンスが好きだったのにと、つい気の毒に思ってしまって」


「それで? おまえが令嬢と踊っている間、おまえの嫁さんはどうしていたよ」


「ケルドライ伯爵と踊っていたのは確認しました。帰りの馬車の中で聞けば、デザートを堪能していたようですが」


「おまえが二曲踊っている間、呆然と立ち尽くしていたんだとさ! おまえらが三曲目を踊り始めたから、見かねたケルドライ伯爵がテレシアを誘ったんだよ!」


 不参加のアンドールがどうして事情を知っているのか。そこは疑問には思わない。自分が居ない集まりの場ほど、情報収集を欠かさないのが、この王太子である。


「え……? テレシアはそんな事、一言も」


「どうして放っておいたかなんて、立場がおまえより下の契約妻が文句言えるわけないだろうが!!」


 対等の夫婦のつもりのシリウスは驚く。さすがに他の女性と踊り続けたのはまずかったかと思い、『側にいる約束を反故にしてごめん』と謝れば『気にしないでください』と笑ってくれた。本心じゃなかったのだろうか。

 

「おまえたち夫婦の考えや事情は関係ないんだよ。おまえ、昔から変わらない鈍感さだよな。おまえは嫁さんとは一曲しか踊らなかったのに、クルハ侯爵令嬢と三曲踊ったわけだ。おまえが奥方を冷遇してるとのうわさが広がってるぞ」


「なっ!? どうしてそんなうわさが!?」

 夜会からまだ六日しか経っていない。


「そりゃあ、ルーシェの側仕えのテレシアを良く思っていない、ウルブロール侯爵子息夫人の前でおまえが彼女を蔑ろにしたから、あの派閥が嬉々として面白おかしく広めるよ。そんなつもりじゃなかったとか言うなよ。客観的には、そう映るだろう」


(そう……なのか?)


 唖然としているシリウスに、アンドールはにやりと笑って追い討ちをかける。


「なんでもおまえとクルハ侯爵令嬢は実は相思相愛で、他国の公爵家がむりやり彼女を娶ったために、引き裂かれたという悲恋話になっている。だからおまえが離婚して彼女と再婚するつもりなんだと」


「まさか!!」


「若い世代の中ではあの頃のおまえらの関係はそう思われているらしいぞ。もし当時おまえが積極的に口説いても、クルハ侯爵令嬢はきっとマシム・テグネロンを選んだと思うけどな」


 それはシリウスも思う。元々王太子妃候補のシャウラシーナが、王太子が駄目ならそれに次ぐ相手を選ぶのは当たり前である。それはエルベルと同じだ。

 最高の女性だと思ったシャウラシーナと親しくして、自分の想いに応えてくれると、僅かな希望も抱かなかったかと言えば嘘になる。しかし彼女はマシムと知り合うとすぐにシリウスから離れた。シリウスは失恋しているのである。


「おまえで妥協しようとしたクルハ侯爵令嬢は、隣国の王家に連なるテグネロン公爵子息を知り、あっさり乗り換えた。おまえは一線を引いていたから、彼女に惚れているとは思われていなかった。でもおまえらはいつも近くにいただろ。若い世代は想像で仕上げられた話を真実と思う。女性たちは秘められた恋の話が大好きだからな」


「知らなかった……」

 どこの小説だ。彼女との間に色めいた事は一切なかった。


「面白い事に、連日あちこちで令嬢たちの茶会に誘われているクルハ侯爵令嬢は、彼女たちの間で流布されているおまえとの悲恋を否定しないんだとさ」


「はあっ? そんな馬鹿な!」


「馬鹿はおまえだ。いつまで初恋の彼女を非の打ち所のない女性だと思っているんだ? おまえの隣を維持しながら、より良い身分の男を探していた強かな女だぞ。次の嫁ぎ先におまえを狙ってんだよ。男爵令嬢の現妻なんか蹴落とせると考えている」


 より良い相手を見繕うのは、典型的な貴族女性として当然だ。だからシリウスも彼女の結婚自体は納得している。彼女を好ましく思っていたのは、シャウラシーナが他者の悪口を言わなかった部分が大きい。他の令嬢たちは、集まればひそひそと、何かしらの悪口大会をしていた。

『浅ましいねえ。他人を貶しても自分の価値が上がるものじゃないのに』

 悪口を共有して共同体を作っている貴族女性社会。それをアンドールは嫌悪していた。シャウラシーナはそんな悪口の輪に入らないで、確立した独自の立場を持っていた。それだけでも国母の資質があるとシリウスは考え、王太子も同じような目線で彼女を見ていると思っていたのだが……。


「クルハ侯爵令嬢が既婚者を狙うとは思えませんが」


「彼女はおまえに会って、自分に未練がましいおまえなら落とせると踏んだんじゃないか。なんせ夜会で妻より自分を優先してくれたからな。テレシアと離婚して自分を選ぶと思われたのさ」


「そんなつもりは毛頭ありません!」


「だから感情は関係ない。おまえの行動は周りにそう見られたって事だ。……いいか? クルハ侯爵令嬢を美化するな。彼女はあからさまな悪意は見せないけれど、自分の思うように周囲を誘導するのが得意だ」

 アンドールが今まで通りの王妃像を望むなら、彼女は王妃向きだったと言えよう。


 シャウラシーナは、過去にシリウスとの間に何かあったと令嬢や若夫人に思わせている。肯定も否定もせず、曖昧に微笑んでいるだけ。そうして人目に触れるように、王太子の側に控えるシリウスを白昼訪ねる。それだけで急接近しているとうわさになるだろう。アンドールは話題の渦中の部下を見つめた。


 __こいつは理解しているのだろうか。


 シャウラシーナがテレシアの排除に動いているのだと。




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