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24:お似合いの二人


(これはまた、低俗な悪口ね)


「ええ、こんな高品質のシャンパンが国内で作られるなんて素晴らしいです。ひと月前にヒュアテスキュウ公国の特級品をいただきましたが、それにも引けは取りませんわ」


 シリウスもテレシアも王太子夫妻の側仕えなのだ。いい品物を賜る機会に恵まれているに決まっている。どうしてそんな下品な嫌味を言うのだろう。仕方なくテレシアは反撃してしまう羽目になってしまった。


 馬鹿にした女性がたじろいでいるけれど、エルベルは取り巻きの発言に眉を顰めていた。彼女は知っている。ウルブロール公爵領で醸造するシャンパンとワインは毎年王家に献上しているし、その品を王太子は自分の部下たちにも分け与えていた。だから今年のシャンパンでなくても、テレシアは口にしているはずだ。そうでなくともシリウスは資産家で、自国の最高級品くらい普通に買える。少なくともヒュアテスキュウ公国の特級品よりはずっと安価だ。


 エルベルの意を汲んでテレシアを貶したつもりだろうが、取り巻きの無知が露呈した形で、エルベルは恥ずかしい思いをする。



「エルベル、踊ろう」

  

 静かにワルツが流れはじめ、エルベルの夫が妻を誘いに来た。ウルブロール公爵夫妻が踊り始めているので、子息夫妻もそれに続く。エルベルは微笑んではいるけれど乗り気ではなさそうだし、夫の方も義務感だけで相手をしているように見える。


 公爵子息は容姿もいい方だし身分も申し分ないのに、エルベルからすれば地位も見目も物足りないのだろう。しかし王太子の身分や美貌と比較するのは酷というもの。そろそろ歩み寄らなければ夫婦生活が破綻しやしないかと、関係のないテレシアが心配になるくらい、踊る二人はよそよそしかった。


「そろそろ俺たちも行こうか」


 シリウスが手を差し出したので、テレシアは満面の笑みで手を重ねる。ダンスも随分練習した。シリウスのリードに身を任せればいい。だからうっとりと彼を見つめて、姿勢よく足捌きと流れるような動作を意識する。それだけで優雅に見えるから堂々としておく。


(はあ……改めて見れば本当に貴公子然としているわね。男爵家の私は目の敵にされるはずだわ……)


 テレシアは至近距離で夫の整った顔を見つめる。釣書が途切れなかったのも無理はない。シリウスの妻の座を狙っていた令嬢たちには本当に申し訳ない。だが、シリウスの結婚条件を聞けば、ほぼ全員が逃げたのではなかろうか。

 嫡男なのに“夫婦関係は無し”とは、平民の愛人がいてそちらに子供を産ませて、正式な夫婦の子として育てさせられるのではないか__そう勘繰られても仕方ない。


 最初から条件を提示されたから、テレシアはシリウスの隣に居られる。


 踊り終えると、シャウラシーナが近づいてきた。


「シリウス、お相手してくれる?」

 

 すっと手を差し出す彼女に一瞬シリウスは驚いた顔をしたが、反射的にその手を取った。まず、この国では女性側からダンスを申し込む事はないのだが、彼女の嫁ぎ先だったボメタイン王国はじめ、他国では無作法でも非常識でもない。


 それでもパートナーが隣にいるのなら、同意を得る一声を掛けるのが他国でも良識というものだ。

 自分に一瞥もくれず、シリウスの手を取ってホールの真ん中に移動するシャウラシーナを、テレシアは表情は変えないまま、呆れて見送った。シリウスが自分を無言で放っておくのも無神経だと思った。


 それでも二人が踊る姿はとても美しい。シャウラシーナはダンスが得意なのだろう。まるでシリウスを挑発するような高度なステップを踏む。しかしシリウスはそれに翻弄されずにリードを保つ。


 テレシアは自分の稚拙な動きを、上手くシリウスが誘導してくれていたのだと知る。


(私にレベルを合わせてくれていたのね……)



「久し振りね。こうして踊るのも。やっぱり貴方と踊るのは楽しいわ」

 

 妖艶な美女になったシャウラシーナの微笑に戸惑いつつ、シリウスも「光栄です」と笑みを返す。ダンス中は微笑を湛えるのが礼儀である。


「外国は合わなかったわ……。違いすぎるマナーが多すぎて。やっぱり国内の人と結婚すれば良かったと後悔したの」


「ボメタインは多部族国家です。それぞれの部族の礼節を擦り合わせて独特の作法を作りあげたとご存知で嫁いだのでしょう? 大体チャムク・ミラム帝国のマナーが大陸共通認識なのだから、そちらも学ばれていたのでは?」


 シリウスは嫌味でなくそう言った。知らぬ間に彼の中で、異文化に馴染もうとするルーシェの姿が基準になっているのだ。他国の高位貴族に嫁ぐとはそういう事なのだと考えている。


「まあ、随分多弁で意地悪になったわね」

 少しだけ眉尻を下げ、切なそうな表情を作ったシャウラシーナは、甘えたような、拗ねたような声でシリウスを非難した。


「別にそんなつもりでは……」

 シリウスも対応に苦慮するのだった。



「まあ、相変わらず洗練されて美しいわね」

「隣国でも社交界で輝いていたでしょうに。愛妾が先に孕ったなんて不遇でしたわね」

「でも離婚が決まったと同時に、いくつも結婚の申し込みがあったそうよ」

「それも当然よね。我が国の華だったのですもの」

 シャウラシーナたちのダンスに魅入っていた年配の夫人たちが噂話に興じている。

 近くにいたテレシアは、なんとなくその会話を聞いていた。


「久し振りに見れば、お二人は本当にお似合いね」

 別にテレシアへの当てつけではない。多分近くにいるテレシアに気がついていない。踊る二人は純粋に美しいのだ。


「でもご覧なさい。アークトゥルス伯爵夫人のあの苦々しいお顔を」

「本当だわ。相変わらず感情を隠さないわね」

「仕方ありませんわ。たかが伯爵家ですもの」


 思わずテレシアは義母を目で探した。義母は苛々した顔で自分の息子と侯爵令嬢を見ている。伯爵は他の男性と話しており、息子の動向など気にしていなかった。

 話をしているのは侯爵夫人たちで、“伯爵家”が格下扱いなのは仕方ない。義母の派閥でないから非難の対象なのだろう。あからさまな嫌悪の情は下品と受け止められるので、本来義母は、その手にした扇で表情を隠すべきなのだ。


(それにしてもどうしてあのような顔をなさるのかしら)


 テレシアは、姑がシャウラシーナに挨拶をする時に違和感があったのを思い出す。

 

「無理はないのではなくって? クルハ侯爵令嬢はご子息と仲睦まじかったのに、他国の公爵家に嫁ぎましたもの」

「アークトゥルス伯爵家を蔑ろにされた気分なのでしょうね」

「確かに身分以外が劣っているわけではありませんでしたもの」

「夫に捨てられて、また擦り寄ってきていると感じていらっしゃるのかもね」

「確かにあの馴れ馴れしい態度に、いい気はしませんけどね」


(……え? ではシリウス様の好きな方って……)


「シャウラシーナ嬢とシリウス様って、本当にお似合いよね」


 テレシアが二人の関係を考えていたところに、背後から声が聞こえた。エルベルである。こちらは侯爵夫人たちと違って、明らかにテレシアに聞かせている。

 しかし話しかけられたのではないから、テレシアは振り向かない。皆のダンスを鑑賞している態度は崩さない。


「シャウラシーナ様とシリウス様は結婚秒読みだと噂されていましたわね」


「ボメタイン王国のテグネロン公爵家嫡子マシム様がシャウラシーナ様に横恋慕して、王家を通して強引に結婚したそうよ」


「あれだけ美しい方だから無理はないとはいえ……お気の毒でしたわ」


「シリウス様も随分気落ちして塞ぎ込んでいらしたもの」


「どこのご令嬢が彼を支えるかと思えば、無名の男爵令嬢とは、上手く取り入ったものですわ」


 エルベルと愉快な仲間たちは完全にテレシアを攻撃していた。ここはエルベルの家であるし、ルーシェがいないのだから独壇場である。


「でもこれで、もしかすると……」

「焼け木杭に火が付くかもしれませんわね」

「シリウス様には同情が集まっていましたもの」

「今の奥様は、……シャウラシーナ様と比べたら、ねえ」


 エルベルや取り巻きの若夫人たちは、くすくすと身内だけで笑い、テレシアを侮蔑している。彼女を傷付けるつもりで、わざと交わしていた会話なら無意味だった。


(やはり、シャウラシーナ嬢がシリウス様の忘れられない初恋の方!)


 シリウスがシャウラシーナの誘いを受ける時、テレシアを振り向きもしなかった。パートナーに目線だけでも送って了承を得るのがマナーで、パートナーはそれに対して快く笑顔で応えるものなのだ。それにシリウスは気が回らないほど、彼女に意識を持っていかれたのだろう。エルベルたちのお陰で確信できた。


(引き裂かれた愛する方がやっと独身になったのだから、早く離婚してあげないと!)


 優しいシリウスはきっと自分からは言い出せない。まだ二年も経っていない結婚生活を終わりにする時が来たようだ。

 テレシアは動揺を決意で上書きして、薄い笑みを浮かべたまま、ただ悠然と立っているのだった。



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