23:公爵家の夜会
ウルブロール公爵家の夜会に、シリウスは妻テレシアを伴って参加した。
普段の会食などの装いはメイドたちがしてくれている。アークトゥルス子息家に侍女はいないので、今回はルーシェが自分の侍女を派遣してくれた。
ルーシェ曰く『敵地に乗り込むのだから、しっかり武装しなくてはね。いい? 夜会の装いは戦闘服なのよ。精一杯美しくすれば自身を鼓舞できるものなの』だそうだ。
武人国出身の王太子妃が、社交界で戦うためにそうして気合いを入れるのをテレシアは知っているから、彼女の善意を有難く受けた。適当な格好をして笑われるわけにはいかないのだ。なんせシリウスの母親に嫌味を言われるのは確実だ。洗練された姿を見せて対抗しなければならない。
二人が案内された会場に入った途端、視線が集中する。間違いなくテレシアは値踏みされていた。シリウスの腕に添えていた手に思わず力が入った。それに気が付いた彼が「……出来るだけそばにいるから」と囁く。
最近シリウスは細かい事に目がいくようになった。これはギルドではパーティ中に気を配らなくてはならない事が多すぎて、人間関係に無頓着だった彼の観察眼を鍛えたと言えよう。
「最初から色眼鏡で見られているのは承知ですから」
シリウスにエスコートされてテレシアは笑みを貼り付けた。ルーシェの笑顔を真似て決しておどおどしない。『ハッタリでいいの!』と王太子妃の激励を受けている。
(落ちぶれた男爵家の娘じゃない。自分はアークトゥルス伯爵子息夫人だ!)
公爵家や侯爵家に格下扱いされるのは当然だが、それでも卑屈な態度は取ってはいけない。王太子殿下の近侍のシリウスの配偶者として、毅然としておくのだ。
ひとまずウルブロール公爵夫妻に挨拶に伺う。
「本日はお招きをいただき、有難うございます」
シリウスが公爵に、胸に右手を軽く添え頭を下げて敬意礼をする隣で、テレシアも膝折礼をする。こうして夫が一緒の場合、妻は喋らず添え物として微笑むだけだ。その分、女性の立ち居振る舞いは厳しい目に晒される。
上半身、下半身のブレの無さ、頭の下げ方、姿勢を保つ時間、目線の動き。__実に社交界は大変だ。
テレシアの礼は美しい。彼女を“卑しい者”と馬鹿にしていた連中も目を瞠る。それはそうだ。実は彼女の所作は淑女の最高峰、王妃殿下直伝である。
ルーシェはアンドールの母親である王妃との関係も良好だ。
『この国の礼儀作法を鍛えて欲しいのです』
“鍛える”とはルーシェらしい表現だが、早く馴染みたいとの気迫は本物で、無謀にも王妃にマナーの教授を願った。
義理の娘とは公式の場以外では会わないだろうと、周囲から言われていた王妃は戸惑う。気の強い王太子妃を近づけまいとする王妃周辺の配慮だったのだろう。そこをルーシェは突破する。
“お飾り妻”は要らないと明言した息子が選んだ戦闘国の王女。自分とは正反対の性格のルーシェへの接し方に困惑したに違いない。〈もしかしたら無能王妃と馬鹿にされるのではないかと思っていた〉とは、後の王妃の言葉である。
しかしルーシェは純粋に淑女作法を身に付けたかったので、真剣に王妃に乞うたのだ。ルーシェの願いを承諾しただけでなく『どうせなら貴女たちも一緒に学びなさい』と、王妃自らテレシア側仕えたちに声を掛けてくださったのである。有り難すぎる申し出に、テレシアたちは驚いたのだった。
『次代の王妃の周囲も品位がなくてはならない。わたくしの基盤を固めてくださっているわ。王妃様は男性陣に口を出さないだけで、王家の未来を考えていらっしゃるのよ』
ルーシェに言われてアンドールも母親の見方を変え、『ルーシェをよろしくお願いします。完璧な淑女にしてください』と頼んだのは意外だった。息子にお願いされた王妃は嬉しくて、自然とルーシェを可愛がるようになる。
こうして王妃と良好な関係のルーシェのおかげで、王太子妃の侍女や友人たちが王妃に教育されているのも知らない貴族は多い。
「__本日は皆様の__開催させて__、ご歓談と料理と音楽を楽しんでいただきたいと思います」
しばらくして、ウルブロール公爵の歓迎の挨拶があり夜会が始まる。
テレシアを下級貴族並みのマナーだと思い込んでいた、アークトゥルス伯爵夫妻が一番彼女の姿に驚いただろう。行儀が公爵夫人にも引けを取らないなんて、誰が想像しただろう。
「父上、母上、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
シリウスは両親を見つけると、テレシアを伴い挨拶をする。
「あ、ああ、お前も多忙そうだしな」
伯爵は面食らった調子で息子に答えたが、伯爵夫人はだんまりを決め込んでいる。テレシアを見つめる目は厳しいけれど、作法のダメ出しは出来なくて悔しそうだ。
結婚当初ならともかく、経験を積んだテレシアが今更姑相手に気後れするはずもない。むしろ、こんな風に感情を出してしまう人物たちだったのかと、客観的にそう思う。
「あらシリウス、ここにいたのね。アークトゥルス伯爵様、奥様。お久しぶりです」
伯爵家の様子をそれとなく窺っている周囲の空気に構わず、美しい令嬢が伯爵家に声を掛けてくる。シャウラシーナだ。
伯爵は「おお、クルハ侯爵令嬢。相変わらずの美貌ですな」と目尻を下げた。
「シャウラシーナ嬢、帰国後、落ち着かれまして何よりですわ」
夫人の方も彼女を気遣う。
(おや?)
心の中でテレシアは首を傾げた。伯爵夫人の言葉に、僅かな棘があったような気がしたのだ。シャウラシーナ自身がどう感じたかは分からない。彼女はただ美しい微笑を湛えて、一家の中に入り込む。
「シリウスの活躍は聞いてるわ」
シリウスの「恐縮です」と型通りの返事の後に、「そうなのですよ。最近はなかなか屋敷に顔を見せないくらい多忙なようです」と父親が続ける。
「まあ、奥様だけでも孝行すればよろしいのに」
アークトゥルス家とテレシアの確執は知らないのか、シャウラシーナにはなんの悪意もないようだ。
「妻も忙しいのです。ギルドの役員だし、王太子妃の付き添いも多くて」
「まあ、次期伯爵夫人として、それでいいのかしら」
シャウラシーナは答えたシリウスではなく、伯爵夫妻の方を向いている。
「男爵家の令嬢と聞いているわ。家柄が違うのだから、家政教育を早く受けてもらった方がいいのではないかしら」
(困った! こちらを見てくれない……)
テレシア相手ではなく、伯爵夫妻と話しているのだ。会話に割り込むわけにはいかない。マナー違反だ。たとえ他所の家庭への口出しだとしても。
「俺が領地経営に全く関わっていないのに、若妻だけ家に縛るつもりはありません。両親ともこんなに元気なのですしね」
(シリウス様だけに頑張ってもらうのは心苦しいわ!)
そんな心中は隠してテレシアは笑顔を崩さない。自分を抜きにして会話が進んでいるので、邪魔にならないよう少しだけ後ろに下がった。
「テレシア夫人」
名を呼ばれて振り向けばエルベルがシャンパングラスを二つ持って立っていた。彼女の背後には四人の女性がいる。取り巻きだ。
「楽しんでくれているかしら」
エルベルはすっかり主催者気取りだが、今回は公爵夫妻のお招きなので、テレシアもそれなりの挨拶をする。
「エルベル様、ご機嫌よう。とても煌びやかで素敵ですわ」
「今年ウチで造られた最高級のシャンパンをどうぞ」
「有難うございます」
テレシアはグラスを受け取る。香りを嗅ぐと一口味わう。淡い桃色のそれはとても口当たりが良い。
「とても飲み易いくて美味しいですね。このグラスも美しいです」
「それはよろしかったですわね。こんな高級品を飲めるなんてそうないでしょうしね」
エルベルの取り巻きの一人が言えば、周囲に僅かな笑いが起こった。