18:王太子妃の提案
職員が、ある部屋に案内し後方の扉をそっと開ける。王太子夫妻が中を窺い見ると、並べられた長机の前に女性たちが二、三人ずつ座って何かを一心に作っている後ろ姿が確認できた。
「みんな、何をしているのかしら」
ルーシェの問いに「布で動物のぬいぐるみを作っています」とテレシアが答える。
「月に何度か手芸教室をやっていて、編みぐるみや刺繍の日もあります。今日はぬいぐるみの日です。講師は人形職人の男性ですが、希望者に簡単な物の作り方を教えています」
「子供や親しい者に自作物をあげたい女性が結構おりましてね、手芸教室は毎回盛況ですよ」
テレシアの説明にシリウスが捕捉する。
「ほらね、こんなふうに部屋の使用料を取って貸し出しているんだよ。部屋が余ってるからって、私も知らぬ内にいつの間にかそんな事業を始めていたんだ」
王太子の言葉に「国民の生活に余裕があるからこそよね」とルーシェは返し、「政略結婚の嫁ぎ先が、政治安定しているこのイクリールで良かったわ」と本音をぶちまける。
「ああ、次代も安定した国にしよう」
さらりと王太子が言えば、ルーシェは嬉しそうに微笑んで頷いた。
どうやら二人の間にはちゃんと信頼関係があるようだ。今後もちゃんとお支えしなければと、シリウスは表情には現さないものの、決意を新たにしたのだった。
それからルーシェは「そうそう、貴族のお見合いパーティもあると聞いたのだけれど」と、ふと思い出したように言った。
「ええ、下位貴族の方々が主流ですが……、今でも貴族のしがらみが強くてなかなか難しいです」
ルーシェに答えたテレシアの顔が曇る。“貴族は貴族同士で婚姻”が、結婚相談所ギルドの趣旨に賛同した貴族たちの譲れない条件だ。
実情を述べれば、困窮している下位貴族の子女たちは、実家を支援してくれるなら裕福な平民相手でもいいと考えている者も多い。貧乏貴族は体面なんか考えていられないのだ。それはテレシアが身を持って知っている。短期間とはいえ安酒場で働きもしたのだ。
しかし貴族と平民のセッティングは出来ない。それが設立時の決まり事だからだ。
「“見合い”と名打たない、ただの交流会の企画は駄目なのかい? ほら、商談なんかで貴族と平民が会うじゃないか。あれの規模の大きいもの」
「……それこそ結婚相談ギルドでやれないですよ。どうしたって怪しいと勘繰られてしまう。高位貴族たちの不興を買うのは避けなければ」
王太子の案をすぐさまシリウスは却下した。
(その案は以前出たけど流れたのよね……)
見本市みたいに商品が並ばなければただの会食になるから、結局婚活と見做されるだろうとの結論に至った会議をテレシアは思い返す。
「わたくしの主催で交流会を開けばどうかしら。ほら、王都の子爵以下の貴族の方たちとの正式な顔合わせはまだ無いじゃない。王太子妃が様々な交流を望んでいるって体裁で、商会や貿易商も招いて立食パーティをするの」
ルーシェの思い付きに王太子は考え込んだ。
「……なるほど。その中にギルド会員を紛れ込ませるのか。しかし場所は」
「あら、当然王太子宮のサロンだわ。それならギルドの関与は疑われないし、王城でお眼通りした高位貴族たちの優位性も保てるでしょう?」
(王城での成婚パーティで王太子妃に挨拶した地位の高い貴族たちとの差別化……ん? 区別なのか? 確かに王太子宮なら文句は付けにくいな)
『念の為にいうが、これは差別ではなく区別だ』
シリウスは結婚相談ギルド設立説明会時の、医療ギルド会長の言葉を思い出した。あれは正論だとシリウスも思う。見合いを提供する側は、成婚に於ける困難をできるだけ最初に排除しなければならない。
しかし実際に運営してみれば、下位貴族と平民の身分の垣根は低いと気がつく。準貴族の存在もあるからだろうか。
有力貴族の言う区別など結局は自分基準だ。実状に沿っていない。貴族の身分に縛り付けられているのは彼らで、実際テレシアが男爵位を商人に売ろうとしていたように、下の者は案外緩いのである。
「ルーシェ様、我々はどう動けばいいでしょう」
テレシアは王太子妃を名で呼ぶ。王太子妃自身が相談役のテレシアにそう願ったからである。
そんな二人に関して「私も名前呼びでいいって言ったのに」と王太子は不服気味である。シリウスが結婚した時『アンドールと気安く呼んでくれ』とテレシアに告げたのに、それは未だに叶えられていない。
『あなたの補佐官の俺が“殿下”と呼んでいるのに、妻が名前呼びできるわけないでしょう』
『なんだい、じゃあお前も昔みたいにアンドールと呼べよ』
『煩い爺さん議員たちに小言を言われるのは俺だし、王太子は下臣も諌められないと、殿下も馬鹿にされるのですよ。真っ平ごめんです』
「ギルドに宛名無記の招待状を何通か準備するわ。推薦者に渡して参加を促してみてちょうだい。見合いの席ではないと伝えておいてね」
「見聞を広めるために是非どうぞ、という体裁ですね」
「そうね。本気で貴族相手も視野に入れている平民なら、こんな機会を逃さないでしょう。勘の優れた者なら隠れた出会いの場と気がつくかもね」
ふふふふ……。
ルーシェとテレシアは顔を見合わせて笑いながら小さく頷く。楽しそうだ。
「私とおまえの嫁、気が合うねえ。できればこのままずっと信用できる友人になってもらいたいよ。おまえと離婚してもね」
王太子はシリウスに契約結婚を返上してはどうかと言う。自分とテレシアは上手くやっているし、元々は離婚を視野に入れていなかったので、テレシアを早く解放してあげるべきと言われた時は戸惑った。
今は離婚のすすめじゃなくて、普通の結婚生活をすればいいとアンドールは言っている。つまり子供をもうけるような。だがそれは、好きな相手とじゃなければテレシアだって嫌だろう。
__愛してはいないけれど子供は産んで欲しい、なんて条件。
それこそ親が見繕ってくる政略結婚と変わらない。それが嫌だから契約を納得して受けてくれる女性を娶ったのだ。テレシアが望めば直ぐに解消できる婚姻関係である。シリウス自身は今のところ離婚する気がないのだから、テレシアの一存で続いている結婚生活だ。
__好きな人ができました。離婚してください。
テレシアがそう申し出れば手放すしかないのだ。彼女は不貞を働く女性ではない。その男と愛し合うために自分との関係はとっとと切るだろう。テレシアを奪われるのはなんだか気分が良くないなどと思うのは、自分勝手な感情で傲慢すぎる。
テレシアにとって、伯爵家子息夫人は職業である。そこを履き違えてはいけない。離婚ではなくて解雇になるのだ。
「なに難しい顔してるんだよ」
アンドールの声でシリウスは我に返る。気が付けばテレシアとルーシェは職員と共に歩きはじめており、動かないシリウスを訝しんだアンドールが声をかけたのだ。
シリウスは「別になにも。失礼しました」と素っ気なく答えて、テレシアたちの後を追う。
「なんか感じ悪いな、おい」と王太子はシリウスの態度に若干の刺々しさを読み取って、文句を言いながら彼に続いた。
そもそも結婚はアンドールの指示だ。彼が思い付きで命令しなければ、こんな歪な結婚生活にならなかった。しかし婚姻内容はシリウスの意思である。一番誠実な方法を選んだつもりが足枷になっている気がする。そんな思いが“諸悪の根源は王太子”となり、つい八つ当たり気味になってしまった自覚はあった。