17:王太子夫妻のギルド見学
「存外、歯応えのない方たちでした」
茶会を終えたルーシェはつまらなそうにアンドールに報告をする。
「頭から紅茶を浴びる気満々でしたのに、そこまで気概のある方はいらっしゃらなかったわ」
嫌がらせの定番で、紅茶に虫が入っていたり、しょっぱかったり味のしないスイーツを用意したりする話はたまに聞く。その程度は偶然や失敗の弁解可能な範疇で済む。だが熱い紅茶を頭から掛けるのはテレシアもさすがに見た事がない。もうそれは故意で、立派な傷害になるからだ。
テレシアは男爵代理時代に、とある夜会で、赤ワインを掛け合って更には取っ組み合いとなった、男爵夫人と子爵未亡人の争いは見た事がある。未亡人と浮気をしていた男爵はオロオロとしているだけの役立たずで笑い者になっていた。
あんな冴えない中年太りの男爵を取り合うのかと、まだ十代のテレシアはそちらの方に驚いたものだ。大人の恋愛事情は実に複雑怪奇であると、彼女たちを奇異の目で見ていた気がする。今なら単純な愛憎問題ではなく、プライドやら金銭の事情も含んでいたのかもと思う。
「余程理性が飛んでいない限り、嫌がらせで熱々な紅茶なんてかけないよ。妃に火傷を負わせる馬鹿がいてたまるか」
王太子の言葉も尤もである。そう言えばあの正妻と愛人の戦いは、双方酔っていたから勃発したのだろう。周りの紳士も酔っていて二人を囃し立てていた。多分全員、酒で理性がお出掛けしてしまっていたのだ。
「こっそり毒でも仕込まれてたら、私の連れて来た侍女がすぐ自慢の暗器を持ち出したでしょうに。盛り上がりに欠けたわ」
「いやルーシェ! 毒なんて、それは殺人だからね! さすがにそこまでされる危険があったら、私も茶会なんて絶対許可しなかったから!」
「冗談ですわよ」
「……そうは聞こえない」
ルーシェは挑発して自身を攻撃させるくらいの事はする。今回は双方様子見で、過激な展開にはならないと王太子は踏んでいた。その過激内容すら毒は含まれない。物騒すぎる。
「そうそう、アンドール様。お願いがあるのですが……」
ルーシェの言葉にびくりと王太子の肩が跳ねる。お願いと言いつつ、断らせない気は満々である。わがまま王女のわがままは、宝石やドレスを強請る事でも贅沢な暮らしでもない。好奇心旺盛な彼女の要望は「やりたい」「行きたい」だ。
『この国の事を知りたいの』とふんわりと微笑み、馴染もうとする姿を見せて周囲の好感度を上げている。天然ではない。夫には素顔で接し、自分の意思を押し通す、実は結構我の強い女性である。
行動的なルーシェに『困った奥さんだね』と眉尻を下げつつも、満更でもないアンドールに『最適な婚姻相手でしたね』とシリウスは真顔で言う。
『なんだか含みを感じるのは気のせいか?』とアンドールは不信顔であった。
『部下を振り回す上司は、嫁に振り回されるくらいで丁度いいのです』
涼しい顔で横から答えたのはアンドールの近衛騎士隊長だ。王太子が何かを思いついて急に予定変更するのは日常茶飯事。その都度補佐官は警護体制や時間調整やらで走り回る。そんな姿を目にしている騎士だからこその苦言であった。
「……新妻のお願いには応えたいけど、なんだい」
アンドールの口調は柔らかいけれど、警戒心も露わだ。
「結婚相談ギルドの見学をしたいわ」
「へっ?」
変な声を出してしまったのはシリウスで、しかしすぐに無作法に気がついて、咳払いをした後「失礼しました」と詫びる。
「別にいいけれど、目的はなんだい」
思わぬおねだりにアンドールは面食らった。
「見てみたいだけよ。そんなギルド、聞いた事ないもの。設立者はアンドール様なのでしょう?」
「うーん……、確かに私が言い出したし出資もして、今も総責任者ではあるんだけど、既に私の手を離れている感じだよ。ギルド会長であるこのシリウスの運営手腕に任せてある」
「丸投げだから」とぼそりと呟くシリウスに、「いいじゃないですか。赤字補填は王太子殿下がしてくださるし」と、隣のテレシアが言い含める。
「んんっ! 聞こえているぞ、そこの不敬夫婦!!」
小声だったのに、しっかり本人の耳に入ってしまった。
「今のところ収益が上がっているのですから文句はありませんよね」
開き直ったシリウスは体裁を繕わない。
「アンドール様の主従関係は面白いわ。学生時代からの友人なのよね。一度貴族学園も視察して、フェル王国に学校設立を勧めたいわ」
「そうは言っても、入学する前から茶話会や会食、遊覧会などで殿下と僅かに交流がありましたし、私は年齢や身分で幼少時から側近候補だったのです。純粋に学園で知り合った学友ではありません。やはり王族に侍る人間は限られます」
「シリウスー、じゃあ幼馴染枠でいいよな!」
なぜかアンドールは嬉しそうだ。
「はあ? ……まあ、お好きに」
シリウスはどうでもいい口振りである。
「本当に阿る気も媚びを売る気もないのね。貴方の側近たちは。素晴らしいわ」
ルーシェも一国の王女。持ち上げる人間に囲まれて生きてきた。親に兄姉、いとこくらいしか対等に話せなかった。そんな彼女にはアンドールと下臣の関係が羨ましく見えるようだった。
久しぶりに王太子が顔を出すとの話に、結婚相談ギルドは迎え入れ体制に忙しかった。なんせ妃を伴うのだ。単に創設者の視察ではない。妃殿下が興味を持った私的な訪問である。王太子は付き添いらしい。
『いつもの業務を見せてくれ』
王太子の注文だが、お忍びの警備は公務のものより大変である。王太子夫妻の移動と知られないように目立たない護衛が必要だ。家紋のない馬車から降りた二人は茶毛のカツラを被って平凡なように見せかけているが、品位は隠せない。ギルド側の仰々しい出迎えはないものの、どう見ても高位貴族である。
ギルド前を歩く人々が王太子夫妻だと気が付かなければいいので、二人は足早に建物の中に入った。
「いいわね。この古い感じが逆に荘厳で」
ルーシェは大広間に案内されると感嘆する。今の迎賓施設は時代を反映して機能性、便利性主体で、華美さは控えめだ。それに比べて、かつては各国の王族や要人たちを歓迎するために建てられたこの旧迎賓館は、当時の贅を尽くして煌びやかだ。
「どこも外国に見栄を張っていたからね。豪華絢爛を競っていた時代の遺物さ」
「フェル国は簡素が美徳だから、ここまで壮麗な建築物はないわね」
「君の母国の迎賓館は堅固だよね。要塞みたいで私は好きだけど」
「無骨よね。でも要人の護りに重点を置いてるから」
「うん、それはすごく感じた」
二人は他愛もない会話をしながら施設内を回る。平民や下位貴族の職員が多いので、彼らは緊張しながら王太子夫婦を案内していた。内心、冷や汗ものだっただろう。