16:王太子妃殿下のお茶会
ルーシェのお茶会提案を、王太子は快く許可したらしい。
王太子妃の侍女たちと共に、テレシアも準備に追われる。
「きっと不愉快な思いをされるわ」
アンドールの側近の婚約者の伯爵令嬢が、こっそりとテレシアに話しかけたほど招待客の人選には不安しかない。
国王夫妻の息子は一人なので、余程の事がない限り王位継承権一位なのは揺らがない。ただ、現王の末弟を推す声もあるのも事実だ。アンドールの施政になれば革新化が進むのを危惧している貴族も多いのだ。その点、末の王弟は保守的で変化を好まない。名家ほど今までの踏襲を壊されるのは困るため、結構上位貴族にも隠れ支持派が多い。
それでもアンドールのカリスマ性と、国を豊かにしている実績を前に、王太子の資質を否定する声は出ない。それはアンドールの周囲を固める側近の優秀さも加えられている。王太子が学生時代に友人と認めた彼らは信頼も厚く、アンドールに反対する時は声高に物申すので、逆にそれを許す王太子の懐の深さと、反対意見も呑む思考の柔軟さを示している。結局今のところアンドールには、その地位を脅かす欠点はないのだ。
だからこそ貴族たちは王太子妃は我が家門でとの期待を背負い、アンドールの寵愛を得ようとする令嬢たちの画策が酷かったと、テレシアはシリウスから当時の話を聞いた。
王家主催の夜会でも油断は出来ず、十代前半の時から睡眠薬や催淫剤を盛られる事件があった。誘導された部屋にいた令嬢も薬を与えられていたようで、そちらも被害者であると主張されれば、実害がない分、表沙汰には出来なかったらしい。王族への傷害事件なのに黒幕が有耶無耶にされたのは、大臣クラスの大物が絡んでいたのだろう。
王宮の王太子の私室は警備が厳しすぎたからか、執務室や視察先の寝室に半裸の女性が忍び込む事もあった。
王太子妃の地位狙いの令嬢だけでなく、一夜の関係を望む平民の使用人もいたというのだから恐ろしい。
この国で最高の男に抱かれたい女性は多いだろう。機会があれば。しかし未成年の王子に何て事をするのだ。テレシアは唖然とする以上に嫌悪感を抱いた。
『薬で朦朧としていても、殿下が誰かと部屋に篭る事はなかった。休憩室に女性がいれば嵌められたと気がついて逃げた。それからは身体がおかしくなれば必ず護衛や俺たちに声をかけた。密室に女性といれば“既成事実”にされると、しっかり理解されていたんだ』
__性に興味が出始めた時期を狙われて、きつかったと思う。王都を離れた場所でもはっちゃけなかったのは意志が強い。
そんなふうにシリウスに話を纏められても、肯定するのも如何なものか。テレシアは困って曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
気品ある令嬢や夫人の集まりでも、実態は魑魅魍魎なのだと教えられたテレシアは、細部に注意を払ってルーシェの茶会に挑む。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました」
王太子妃は真紅の細身のドレスを纏っていた。デザインは祖国寄りで、フリルやリボンの装飾は少なく、肩から袖先に向かって布が広がっているのはかの国の衣装の特徴だ。
「まあ、妃殿下。そんなお色のドレスはまだ早いのではなくって?」
挨拶もそこそこに、〈背伸びも甚だしい〉との嫌味を言うのは大宰相の孫娘のウルブロール侯爵令息夫人で、招待客の中で一番の権力者である。アンドールと同い年で公爵家の次女のため、王太子妃候補の一人だった。幼い頃からアンドールと親しくしていて彼への好意を隠さず、他の令嬢への牽制も酷かったらしい。
ルーシェと婚約後も、国内から配偶者を選ぶべきと彼女の生家も祖父も、王家に苦言を呈していた。しかしアンドール本人の意志が揺らがなかった。
『私は君に幼馴染以上の感情はない。それに下手に国内貴族から伴侶を選べば却って揉めると思う。派閥の争いに加担する気はないんだ』
きっちり振られても諦められず、国王を抱き込んで婚約解消を目論んだものの覆らなかった。十八歳になってようやく、成人したてのウルブロール家嫡男と結婚した。既婚者となっても未練がましくアンドールに近寄るのだから、年下夫は面白くないだろう。
この場で一番の危険人物である。
身体に危険が及ばない限り、手出し口出しは無用とルーシェから言われているので、テレシアたちは黙ったままルーシェの後ろに控える。
「真紅はフェル王家の色ですの。そんなに似合わないかしら」
ルーシェは澄まして胸を張る。どうでも良さげだ。
「……柔らかい色の方がお似合いですわ。王太子殿下は可愛らしい装いを好むのですのよ」
アンドールの趣味を知ってますとばかりに口を挟んだのは十六歳の公爵令嬢。
王太子の婚約者がルーシェに本決まりになりそうな時、十歳未満の少女たちもアンドールの茶会に押し込まれた。“年下好き”だと思われてアンドールは業腹だったらしい。曰く『政略結婚の意味がわからん馬鹿ばかりか!』だそうだ。
当時七歳の公爵令嬢も王太子に初恋を奪われたクチだろう。手が届きそうで届かなかった悔しさが残った。
「大人びたドレスでもわたくしより幼く、いえ、お若く見えて羨ましいですわ」
やけに“幼く”を強調しており、貴婦人ぽくカップを持つ仕草は優雅の一言に尽きる。
「可愛らしいドレスはセンジロン公爵令嬢にお似合いだったからではないかしら。アンドール様は、特に衣装の好みはないと思いますわ」
癖のない綺麗な発音のイクリール語で、ルーシェは笑顔で反論した。
「だからと言って、この国に染まりませんとばかりに自国の民族衣装に近いものを、親睦会でお召しになるのは、妃として自覚が足りないと捉えられますわよ」
「そうですわ。民衆に向けて恋愛結婚を演出するなら、我が国の衣装がよろしいと思います」
十八歳の伯爵令嬢も追随する。暗に〈愚民と違い我々は政略結婚だと知っている〉と言っているのだ。
「王族の結婚が政略なのはどこも同じではなくて?」
ルーシェが艶やかに微笑む。
ふわふわした姫にやんわり当て付けたつもりが、返ってきたのは直接的な言葉だった。伯爵令嬢が驚いた顔をする。まだ感情を隠せるほどの社交経験はないらしい。
「元々婚約のお話は、アンドール様よりひとつ年上の姉にきたものですが、それはお受けできなかったのです。なぜなら姉は、王国軍の女性幹部候補でしたから」
「……王国軍の幹部候補?」
二十五才の伯爵夫人が首を傾げた。
「姉は剣技も体術も優れていて既に国軍入りしており、いずれは国の将軍のひとりに降嫁するのが決まっていたのです。だから末王女の私に話がきたのですよ」
「アンドール殿下は、初めは軍人の姫を娶ろうとしていたのですか?」
意外な話にウルブロール侯爵令息夫人は困惑している。
「あら、次期侯爵夫人ともあろうお方がご存知ないとは。もう少し政治経済、各国の情勢に関心を持つ事をお勧めしますわ」
見下すルーシェに侯爵令息夫人は悔しそうに頬を染める。だが仕方ない。この国の女性が政治に関わる事はないのだ。
「王太子殿下は姉を欲したのではなく、フェル王国の軍事力を欲したのですわ。軍事同盟を組むための建前の結婚相手だから私で良かったのです。さすがにその辺りの情報は理解していらっしゃいますよね」
微妙な空気だ。招待された淑女たちは、同盟と婚姻との関連を考えていないみたいだ。
(……いえ、この感じじゃこの方たち、フェル国と軍事同盟を結んだ事も知らないかもしれない。でも、それなら何の“政略”の結婚だと思っていたのかしら。ただ単に国内の派閥の均衡を崩したくないからとか……?)
有り得る。彼女らは社交界でマウントを取る事に心血を注いでいる。それが自身の価値の全てだから。男の世界には口を出さないのが正しい貴族女性なのだ。アンドールは、そんな自国の考えに染まり切った伴侶は要らなかったのである。
「フェル王国の王家の色が真紅なのは、戦争になっても逃げる事なく戦う覚悟の証なのですよ。返り血を象徴しているのです」
「……なっ!?」
「ひぃっ!」
「野蛮な!!」
淑女たちは青褪めた。意識していない素の悲鳴が上がる。
「嫁いだからには、このイクリート王国の王族として戦うつもり。最後までアンドール様の隣に立つ覚悟よ」
ルーシェは口調を変えた。半島のフェル王国は陸から海から、他国に侵攻されては守り切ってきた軍事に長けた国。その誇りは成人したばかりの王女も受け継いでおり、攻撃的な瞳で招待客たちを見回す。
(これがルーシェ妃殿下の本性……なるほど。王太子殿下が心配しないはずだわ)
目の当たりにしてようやくテレシアも納得した。
「こ、こんな乱暴な姫が王太子妃殿下ですって……? 国を乗っ取る気じゃなくって!? アンドール様は騙されているのよ!!」
恐ろしそうに侯爵令息夫人に叫ばれても、「同盟国ですよ」とルーシェは涼しい顔で小馬鹿にする。
「フェル王国の王女を娶る意味は軍事の強化だとご理解していただけまして? そうそう、このドレスを仕立ててくださったのはアンドール殿下よ。妃の初陣用の戦闘服らしいわ」
……え? と、皆の口が形取る。
招待客は、これが親睦会ではないとやっと悟る。王太子は王太子妃に敵愾心を抱く社交界の若手女性と戦ってこいと、自分の妻を送り出したのだ。
裕福を競い合うだけの貴族女性たちの嫌味程度に、戦闘民族の妃殿下が潰されるわけがないと。その意図がはっきりと伝わる。
(王太子殿下って、やっぱり喰えない人ね……)
嫌そうに従っている時のシリウスの顔がふと脳裏に浮かんだ。