15:二人の距離
とうとう他国の王女を迎える日がやってきた。輿入れの馬車が問題なく王都に到着して、シリウスたちは安堵する。他国の海岸に船を着けて、そこから二カ国経由しなければならなかったので警備や調整が大変だったのだ。
通過国への多額の謝礼金は当然の事、花嫁道中の豪華さはイクリール王国の財力を示し、フェル王国との協力関係を他国に示す政治的理由でも重要だった。
多忙を極めていた関係者たちの努力の甲斐あって、アンドール王太子殿下の結婚は問題なく全ての行事を終える。
見目麗しい王太子の結婚にイクリール王国は大いに沸いた。彼に並び恥じらう王太子妃の愛らしさに、お似合いの夫婦だと民衆は大喜びする。景気の良い国らしく立派な結婚式は新聞で大きく取り上げられて、華やかな成婚パレードは各地から人を呼び寄せた。
新王都新聞が号外を配り、文字の読めない人たちも写真を見るためにこぞって手に入れようとする。もちろん王弟殿下を介して王家の思惑が反映しているが、王太子夫妻の馴れ初めや交流が細かく記載され、“ようやく結ばれた二人”などと、まるで政略結婚でないかのような扱いであった。
“多少の脚色”どころではない。アンドールが美姫ルーシェに惚れて“是非妃に”と望んだ事にされていた。アンドールの指示によるもので、九歳の少女相手のロリコン疑惑は、その爽やかな擬態によって払拭させたのだから、恐るべし、王太子戦略。
つまり、シリウスの結婚時と同じなのだ。輿入れする王女を護るため、王太子妃への国民の支持を得るため、“溺愛”を演出する。実際彼はルーシェ妃殿下を大切にするつもりなので、全くの誇張でもない。
「ルーシェです。これからよろしくお願いします」
結婚披露食事会で王太子妃と対面したテレシアは「おや? イメージが違う」と思った。確かに可愛らしくてふんわりとした笑顔が眩しい。しかし時折見せる真顔の彼女の瞳は意志の強さを示している。
果たして本当に、王太子の側近の身内の女性が囲んで守らなければならないのだろうか。そんな疑問がふと浮かんだ。
「シリウス様、ルーシェ殿下からお茶会の開催を打診されたのですが……」
ルーシェが嫁いできて三ヶ月。妃殿下の身辺も落ち着いてくる。そんな折り、テレシアは就寝前にシリウスに相談する。
伴侶の指示でルーシェとの交流を深めていたテレシアに、彼女は『権力のある有力家の令嬢や夫人との親睦を深めたいから、お茶会を開きたいのだけど手伝ってくれるかしら』と持ちかけてきたのだ。
『時期尚早ではございませんか?』
まだこちらの生活にも慣れていないと心配するテレシアの進言に、『だからよ。わたくしを取り巻く環境は早めに把握したいわ』と返したのである。
「新聞では“深窓の姫君”だなんて大々的に報じられていたのに、意外です」
「そんな記事、鵜呑みにしていないくせに」
「でもまだ十八歳の王女様ですよ? まだ王太子殿下の庇護下にいても周囲から文句は出ないはずです」
「君は十七歳で孤軍奮闘していただろ」
自分を引き合いに出されても、妃殿下とたかが一介の男爵令嬢が同列に語られるはずもない。
「次期王妃様ですよ? 早々に神経が擦り切れたら大変です」
「んー、協力を頼むよ」
それだけ告げると、シリウスはさっさと寝台に横になる。目がしばしばしていたから眠気と戦っていたのだろう。
シリウスのその適当な返答に、テレシアも会話を諦めて彼の隣に横たわる。
(協力って……お茶会を阻止? それとも開催? ま、いいか。明日確認すれば)
元々背中合わせに眠っていた二人も、寝相が素になる程には慣れてきていた。基本シリウスは仰向け寝派である。
それなのに。
(またこれは……どういう事!?)
翌朝、シリウスに背中を向けて眠っていた自分の寝相はそんなに変化がない事を、テレシアは起き抜けに確認する。
(また抱き枕状態なのは何故!?)
最近時々この状態で朝を迎えている事がある。なんとなく圧迫感を感じて目を覚ませば、シリウスの右腕がテレシアの腹に回っているのだ。経験的に、彼が疲れて眠りに落ちる時、無意識に温かさを求めているのではないかと思う。
健やかな寝息が頭にかかってくすぐったい。いつもならシリウスを起こさないように、そうっと彼の腕を外してその緩い拘束から逃れるのだけど、ふと、彼の寝顔を見てみたくなった。もぞもぞと寝返りを打ってシリウスに向き合うと、存外近い場所に彼の顔があり、「ふおっ」と貴族夫人らしからぬ変な声が出た。
(あれ? これって正面から抱きしめられている形じゃない?)
しかし自分からシリウスの身体に手を回しているのではない。そう言い訳して彼の寝顔を観察する。
恋人のような近さでないと許されない距離だ。いや、妻だけども!
(お義母様によく似てお顔は整っているけど、眉の形や珍しい深紫色の瞳はお義父様にそっくりなのよね)
この時とばかり美形を堪能する。朝っぱらから眼福だ。
(男ばかりの学生生活と言っても、社交界入りはしていたのだから、さぞモテたでしょうに。初恋一筋とは、本当に真面目な人ね)
容姿に加え、金銭に不自由のない伯爵家嫡男で王太子殿下の近侍。シリウスと結婚できれば下位貴族令嬢にとっては玉の輿。侯爵令嬢にとっても嫁ぎ先に不服はない地位だ。争奪戦が繰り広げられたに違いない。
その気のないシリウスには、ただ煩わしかっただけだろう。
テレシアは対外的に見れば“玉の輿”である。
だが『君とは子作りしない。金はやる。形だけの妻でいてくれ(要約)』なんて結婚条件は、平民だって普通に傷つく。
だから彼は馬鹿正直に手の内を晒して“契約婚”なんて持ちかけたのだ。『これならどう? 損にはならないと思う(要約)』と。金にゆとりがあるからこそ出来る。
(……どんな方なのかな……。ずっと心の中にいる女性……)
契約妻でさえこれほど大事にするのだ。結ばれていたらとんでもない愛妻家になっていたに違いない。
(思ったより睫毛は短いのね)
触れたくなるのを我慢する。彼に触れる資格はテレシアにはない。
__この瞼の裏にいる女性が羨ましいなんて。
気が付いてはいけない感傷に蓋をする。
「ん……」
身じろいだシリウスが突然目を開けた。その濃い紫色の瞳の中にびっくりした顔の自分を認め、テレシアは彼を突き放すと身体を起こす。
「……ぅわっ、ごめん、テレシア!」
一瞬状況を考えたシリウスは、自分が彼女を抱きしめていたのだと確信して謝る。
(柔らかくていい匂いに包まれて気分がいいと思ったら……)
「わ、わざとじゃないんだ!!」
「ええ! わかっていますとも!」
契約違反に抵触すると考えたシリウスと、寝入る彼の姿を堪能していた後ろめたいテレシア。二人揃ってあたふたとするのだった。