14:幼馴染みと遭遇
(金銭面の安心だけじゃない……。契約婚がこんなに居心地いいなんて予想外だったわ。いずれは離婚するのに)
テレシアが暗い気分で俯いていると「歩き疲れた?」とシリウスが顔を覗き込む。心配そうな瞳。公の場所でなくても優しい夫である。
「いえ、大丈夫です」
「そうか? ならいいけど。話の続き、いいかな」
何かシリウスが喋っていたらしく、聞いていなかったテレシアは眉尻を下げた。
「……えっと、すみません。他所事を考えていて……なんのお話でしたっけ」
「だから、殿下は君にルーシェ姫の近くにいてもらいたいんだって話」
「わ、私がですか!? 身分は伯爵子息夫人ですよ!?」
王子妃に侍ろとは。テレシアは王太子の側近であるシリウスのおまけの立場だ。高位貴族令嬢もいるし妙齢の侯爵夫人もいる。その中に混ざれと言うのか。無茶苦茶針の筵なんだけど……。殿方は淑女の立ち位置、序列を舐めていると思う。
「俺たち側近の婚約者や妻が、ルーシェ王女の味方になってほしいそうだ」
「ああ……輿入れ早々は王女殿下を傷つけない面々で囲うと」
「君は頭の回転が早いから会話が楽だ」
シリウスは嬉しそうだ。そういや契約結婚の相手として、即行選ばれたのはそれも理由のひとつだった。
「別に私は利口じゃないですよ。もしかしたら夫が話を端折る癖があるから、状況判断が早くなったのかも」
「うっ、それは……気を付けている……」
「はい、知っています」
仕事絡みの会話が多いからだとしても、シリウスはテレシアの意見に歩み寄ってくれる。名目上だけの妻を決して蔑ろにはしない。
「君たちで慣らしたいんだよ。ルーシェ姫が婚約者に決まった時、国内でそれなりに反発があったからね」
ルーシェ姫は小国でありながら軍事国家と名高いフェル王国の第三王女である。王太子妃選定当時、イクリール国内の有力貴族の中には、王太子と年齢の近い令嬢がまだ婚約者もいない状態で残っていた。どの家も王太子妃の座を狙っていたのだろう。それがまだ十歳にも満たない他国の姫が選ばれた。イクリール国王陛下の肝入りで結ばれた縁だとの事である。
こちらの大陸から海を挟んだ対岸の半島に位置する彼の国は、アンドール王太子とルーシェ姫の婚姻を以て軍事同盟を結ぶ。同盟締結で内陸のイクリールは外海からの援護を得る。軍事力に力を入れたい王太子にとっても不服はなかった。武器の共同開発も行う予定で、それは技術力で優れているイクリール王国の主導となるだろう。
シリウスと結婚したテレシアに対する当たりほどきつくはないだろうが、姫君に恥をかかせるような細かい嫌がらせはある気がする。
「殿下は無駄に女性に親切だから、自分が特別だと勘違いした令嬢たちの諍いとか、食事会や夜会でよく見かけた」
(また無駄って言った……)
「側近にとっては、女性に愛想が良すぎるのも問題なんですね」
「過激派が姫の排除に動くかもしれない」
「私に……密かに王女様の敵対勢力を探れって期待でしょうか」
「殿下は君の観察力や推理力を評価している」
探偵社にいたとは言え、テレシアは主に事務を担っていた。そんな自分にできる事はないと思う。隠密行動で情報収集なら王家の諜報員たちがいるだろう。テレシアが本職に勝る事は決してない。
「そんな本格的なものじゃなくて、ルーシェ王女の本音とか、令嬢や夫人たちの機微を察知してほしいらしい」
「なるほど、結局はルーシェ様の友人になってほしいと」
テレシアの纏めの発言に、シリウスは「そうなのかな?」とよく分かっていない模様。これは王太子にお会いした時に確認しなければなるまい。
「殿下の結婚後もしばらくはゴタゴタするだろうから、今日、二人でのんびり出来て良かった」
「お一人で過ごすお気に入りの場所に連れてきていただいて、すみません」
「どうして謝る?」
「プライベートにも関わらず、形だけの妻に気を配っていただいて……。一人で過ごす安息の場を奪ったみたいで心苦しいです」
虚を突かれたような顔でシリウスはテレシアを凝視した。
「嫌ならそもそも連れて来やしない! 君が俺の趣味に興味を持ってくれたのが嬉しかったし!」
「え?」
「……え?」
首を傾げるテレシアに釣られてシリウスも首を傾げた。
「……何を言ってるんだろな、俺は」
腑に落ちない顔をして呟くシリウスに、それはこっちが聞きたい、とテレシアは突っ込みたかった。
なんとなく言葉が続かなくなった二人は、並んでただ静かに庭園を歩く。
「……テレシア姉様!!」
背後から女性の声で名を呼ばれて驚き、振り向いたテレシアの視線の先には、日傘を差した少女がいた。テレシアは声を掛けた主と、その背後にいる男性を確認すると目を見開く。
「カーディラ! レノ!」
小走りでテレシアに近づいた興奮気味な少女は、そこで我に返ったらしく、シリウスに向かって淑女の礼をする。
「お騒がせして申し訳ありません。アークトゥルス伯爵令息様。わたくし、テレシア様の幼馴染みのカーディラ・レイアーと申します」
「こら、カーディラ!」
慌てて彼女の後を追ってきた男性が頭を下げる。
「妹が不躾な真似をして申し訳ございません」
シリウスが「いや……」と言ったきり、続ける言葉を探していたのでテレシアがあとを引き取る。
「こちら、かつてのレグルスカ男爵領の隣の領地のレイアー子爵家嫡男のレノ様と妹君のカーディラ嬢です」
(隣の子爵家……)
シリウスは、穏やかな顔立ちのこの子爵家令息がテレシアの初恋の男だと知る。
彼女は「お久しぶり、元気だった?」と幼馴染みの兄妹に屈託のない笑顔を向けた。シリウスはレノが懐かしさ以上に切ない顔をしているのに気がついた。
__幼い頃の淡い恋……。
小さい頃の結婚の約束。テレシアの優しい思い出は、この青年にとっては確定していたはずの未来だったのではと思い至る。
「積もる話があるだろう? しばらくそこの東屋で話したらいい」
「いいのですか?」
「ああ」
「ありがとうございます! アークトゥルス様!」
テレシアとカーディラは嬉しそうにダリアに囲まれた東屋に向かう。
「君は行かないのかい?」
シリウスはレノを促す。しかし彼は首を横に振る。
「ご主人が側にいないのに僕が同席するわけにはいきません」
充分テレシアに話しかけたそうな素振りに見えたが、そこは弁えているらしい。
「妹君と仲がいいのだね。二人で庭園とは」
「はは、妹の婚約者が急に仕事になって来られられなくなって、自然庭園を楽しみにしていた妹に代役を頼まれたのですよ。僕は婚約者も恋人もいませんからね」
「妻よりひとつ上なら、二十二か? すぐに結婚を急ぐ年でもないだろう」
「え!? 僕の事をご存知なのですか!?」
レノは心底びっくりしたようでシリウスの顔を見直した。
「初恋の令息だと言っていたよ」
「テレ、いえ、夫人がそんな事を……」
うっかり名を呼びかけたレノは急いで言い直す。
「幼少時に結婚の約束をしたそうで、可愛らしいものだと思ったよ」
シリウスは軽い世間話のつもりで他意はなかった。しかしレノはこれを牽制と捉え、面白くないので意趣返しをする。
「幼い頃でも両家の中では婚約状態だったんです。妹はずっとテレシア嬢が義姉になるのを楽しみにしていました。男爵家が没落しなければ、彼女の隣に立っていたのは僕でした」
シリウスは敵意を感じて眉をひそめた。無自覚に喧嘩を売って反撃されたなんて考えもしない。つい冷たい言葉を発してしまう。
「結局救えなかったのだから仕方ないだろう」
「ええ、地位も金も足りませんでした。十代の小童にできる事なんて何もなかった……」
レノは悔しげに顔を伏せる。若くして地位も金もある伯爵家のシリウスに敵うはずもなかったのだ。
「でも彼女が身売りをしなくて本当に良かったです。有難うございます」
テレシアの身内でもない男に礼を言われる筋合いはないが、自分も疚しい身だ。そもそも彼女の身売りを阻止したのはロバート・ワイセンである。
レノの言葉をシリウスは聞き流した。