13:王太子の結婚について
次の目的地が決まってアーケード街を抜ける前に、シリウスはテレシアを伴いブティックに入り、「日除けに必要だろう」と彼女につば広の帽子を買った。リボンとコサージュ付きの可愛いものだ。ジュエリーより安価だが、取り敢えずプレゼントができて、シリウスの心の中でデートのノルマを達成した。
「これが自然庭園ですか」
なんだか散歩道みたいだとテレシアは思った。奥に行けば樹木もあり、さながら並木道である。
「植物園とは趣が違うだろう?」
「そうですね。温室とかも無いのですね」
「ああ、温度管理が必要なものは無いな。まあ自然に見せかけて、どの季節も鑑賞に耐えうる、緻密に計算された人工庭園だ」
植物園のように個々の名前や説明を書いた木札もない。
「何も考えないで時間を潰せるんだ」
シリウスの癒しの場なのか。所々に屋根付き東屋があるのは有り難いだろう。
「……いつもお疲れ様です」
「本当にね。もうすぐ殿下の結婚式があるし、お妃様の迎え入れに王城はてんやわんやだよ」
「そう言えば、成婚パレードは自動車で行うのですね」
「ああ、帝国から技術者を呼んで徹底的に車の整備を行なっている」
シリウスは伝統に則った薔薇で飾った馬車を推したのだが、圧倒的に自動車派が多かった。薔薇を車に飾ればいいだけだとの意見に反論は消された。
警備体制も従来とは異なる。僅かでも自動車に異常が感じられたら、すぐさま王太子夫婦を車から連れ出し、沿道の人々の避難の誘導をする。
最悪の事態を想定してそこまで徹底するならと、反対派筆頭だったシリウスもようやく折れた。
どうして新しい物に抵抗が少ないシリウスがそこまで蒸気機関が嫌いなのか、テレシアは不思議に思っていた。
最近理由を知る。
それは貴族学園の在学中に、側近候補と共に彼がアンドールと、帝国観光という名の視察に訪れた時の出来事だ。蒸気機関車に乗って驚き、蒸気自動車が街中を走るのを見て純粋に感嘆した。レールの敷いていない所を走る馬車の代わりだ。まさに新しい時代の幕開けだ!と若者たちは興奮する。
そんな彼らの目の前で走行中の車がいきなり爆発した。アンドールの護衛が動く。彼らの行動のおかげで怪我はなかったが、それ以降すっかり蒸気機関に不信感を持ってしまったのだ。
アンドールや他の連中は、今は技術も進歩しているとシリウスを説得するものの、彼の態度は未だ頑なである。
「多分、王太子殿下のご結婚を機に、ギルド利用者も増えると思います。きっと王族の慶事にあやかりたいでしょう」
「……うん、商売熱心だね」
「紹介した方たちが幸せそうなのを見ると心が温かくなります。やり甲斐のある職場を与えてくださって、本当に感謝しています」
最近は集団見合いの他に、個々で紹介するパターンも多くなった。
カゴ作家マキーラ・ビヨンドはギルドに押しかけてきたひと月後、再びやってきた。案の定、その間に元恋人に復縁を迫られたそうだ。結婚を匂わせた優しい態度だった。しかし小金持ち職人の自分に擦り寄っていると感じて、少しだけ残っていた情も無くなる。
吹っ切れたからとやってきたマキーラに、カルフェルグは気まずそうだったけれど、彼女は『あんな情緒不安定な女は断って正解よ』と笑った。
マキーラは集団見合いパーティは望まなかった。仕事面で共感できる誠実な男性を紹介してほしい、と分野を問わず職人を希望する。
鋳金職人、陶芸家と続けて見合いしたが縁がなかった。その次に会ったガラス職人と意気投合し結婚間近である。細かい条件のすり合わせにも、相手の男性は真摯に対応してくれたそうだ。ギルド本部の広間での挙式、食事会の日程も既に決まっている。
「殿下も当初の想像より高い成婚率に喜んでいたよ。ご自分も結婚するから幸せにあやかりたいのかもしれない」
「楽しみです。ご成婚パーティ! 美姫と評判のルーシェ殿下にお会いできるなんて!」
側近のシリウスの妻なので当然テレシアも参加する。みそっかすの男爵代理の立場なら叶わなかった。
「……テレシア、ここだけの話だけど、あまり姫君に……絶世の美女なんて期待はしないでしてあげてほしい」
テレシアはきょとんとしている。
「結婚打診に使われる肖像画は、何割か増し美形で描かれるものだと皆様ご存知でしょう?」
問題ないと言いたげな彼女にシリウスは苦笑する。
「うん、実際可愛らしい姫君なんだよ。でもルーシェ王女はうちの王太子殿下との初顔合わせの時に、悔し涙を流したんだ」
「え? ど、どういう事ですか」
「ほら、うちの殿下は鮮やかな金髪に眼力強めの綺麗な翠の目だ。それに加えて、仰々しい仕草が多くて無駄に輝いているだろ?」
(無駄って……)
シリウスは王太子に対して辛口だ。そんな近侍に対して気分を害さないアンドールは懐が深いと、テレシアは常々思っている。
『どうして肖像画より美しいのよ!?』
思わず口走ったルーシェ王女に、アンドールは『画家が私の崇高な美を表現できるわけないではないか』と、前髪を掻き上げてキザな顔で宣った。王太子十五歳、ルーシェ王女九歳、初顔合わせ婚約者同士の初めての会話である。
『こんな眩しい方の隣に立つなんて嫌! 灰色の髪と青灰色の眼の私なんか相応しくないって笑われちゃう!』
まさかの理由で拒絶。少女らしく美形の王子に惚れてくれればいいものの。どうやら彼女の兄姉は銀髪碧眼で、ルーシェ王女は容姿に劣等感を抱えていたようだ。
『私の隣では誰しもが霞んでしまうのだから、気に病む必要はない!』
アンドールなりに気を遣った発言だったそうだが、そんな事を婚約者に言われて、そうですねとはならんだろう。ルーシェ王女は唇を噛んでポロポロと涙をこぼしたらしい。
この話をあとで王太子本人から聞いたシリウスは、馬鹿か、と思った。多分声には出していないはず。
『わたくしを大事にしてくださるのでしょうね!?』
涙を拭きもせず王女殿下はアンドールに詰め寄った。ここで優位に立とうとしたのはさすが王族だ。アンドールが彼女と同い年なら対応に困っただろうが、年長者の余裕で王女を淑女として扱う。
『もちろんだとも。私の可愛い許嫁殿』
アンドールは席を立ち上がると、対面の席で涙ぐむ彼女に跪き、その小さな手を取って手の甲に唇を落としたのち、彼女の涙をハンカチで拭って微笑みかけた。
『なんとか破談を回避したぞ! 信頼されたと思う!』
アンドールは学友を集めて、偉そうに王女との経緯を説明した。
「俺たち側近候補は一安心したよ。将来仕える王太子夫妻が不仲なんて嫌すぎるもんな」
「王太子殿下の行動は、王女と仲良くなりたいとの本心からですか?」
テレシアが首を傾げるのも仕方がない。アンドールの為人は、はっきり言って掴みどころがない。無神経な発言も多いけれど機微に聡い面もある。どこまでが本性でどこまでが演技か。
「誰だって生涯の伴侶とはいい関係になりたいだろ。成人した途端に他国の王族に嫁がされる少女を、護ろうと思っているよ」
__生涯の伴侶といい関係。
テレシアの心が疼く。シリウスとはいい関係だ。しかしあくまでもそれは表面上であって“生涯の伴侶”にはなり得ないのだ。
シリウスとの婚姻関係はおそらく十年も持たない。後継の嫁に子供ができないのだ。伯爵に無理矢理離婚させられるだろう。王太子だって庇えない。双子の妹の成人までは耐えようと考えていたけれど、ジョーイが卒業する四年後まで持てばいい方だと、ようやくテレシアも現実が見えてきた。
(できるだけ互いに瑕疵がないように別れなくちゃね……)