12:デートに正解など無い
「……何か欲しいものはないのか?」
アーケード街の店舗前でテレシアは時折足を止めてウインドウを眺めはするものの、中に入ろうともしないから、シリウスが水を向ける。
「え? 十分お小遣いをいただいていますし、特には」
本心らしく、テレシアはきょとんとしている。
(デートってこれが正しいのか!? 何かプレゼントするものじゃないのか!?)
生憎、比較的自由な学生時代にもシリウスはデートなどした事がない。貴族学校は子息ばかりだし、町娘と気軽に遊べる立場にもなかった。王太子のアンドールは婚約者がいるから女性に近づかない。その学友兼側近候補が羽目を外せるはずもなかったのだ。
『初恋を拗らせたな、おまえ。政略結婚しかできないぞ』
卒業間近にアンドールが言った。彼に失恋を見届けられたから仕方ない。しかし政略結婚以外の道を選べない王太子に、そんな事を言われるとは思わなかった。彼の婚約者である友好国の王女は高飛車だが、アンドールは彼女を嫌がってはいない。
『大切に育てられた王女殿下だ。王族なんて、どこもあんなものさ』
自分も甘やかされた王子の自覚があるからか、六歳年下の婚約者に対して寛容だった。
王女がこの国に遊びに来た時、王太子はデートと称してブティックへ行き、彼女の気に入った装飾品を買っていた。さすがに自身の店ではなくイクリールのデザインを踏襲する老舗で、王太子には自国の伝統に馴染んでもらいたい意図もあったのだと思う。
この数少ない見本により、シリウスの中でデートイコールプレゼントの図式が出来上がっている。
「……デートとは、何が正解なんだ」
苦悩する哲学者みたいな顔で、仕様もない事をシリウスが口走る。テレシアはぎょっとして彼の顔を見上げた。
(え? デートした事ないなんてのは……二十三にもなって、それはさすがにないわよね!?)
テレシアに戦慄が走る。
「まさか、今までデートひとつした事ないなんて言いませんよね……?」
「悪いか! デートなんてした事ないよ!」
「その顔で!? 社交界では選り取り見取りだったでしょうに!」
テレシアが信じられない生き物を見る目をシリウスに向けると、彼は開き直った。
「好きな女性以外とは出かけたくなかったんだ!」
「じゃ、じゃあまさか初恋もまだとか?」
「好きな人は他の男と結婚したんだよ!」
売り言葉に買い言葉で勢いよく言ってしまったシリウスは、慌てて口を噤むがもう遅い。
「まあ……切ない……。悲恋ですのね」
シリウスの妻は、憐憫と同情を含んだ瞳で慈愛の表情を向けた。この顔は知っている。ロマンス小説を読んで感情移入した時と同じだ。夫を夫とも思っていないからで、いくら偽りの夫婦でも他人顔は面白くない。
「別に。普通に振られただけだ。君こそ好きな男はいなかったのか?」
反撃のつもりが「私の初恋は六歳ですね。隣の領地の子爵令息でした」と、テレシアは懐かしむ穏やかな眼をして微笑んだ。
「ひとつ年上の幼馴染で、大きくなったら結婚しようなんて誓ったものです」
何も考えず突っ込んだのが意外に重い話になったのでは、とシリウスは怯む。
「……それは……男爵家が没落したから叶わなかったんだね」
「幼い頃の淡い恋ですよ。それがずっと続く方が珍しいのでは?」
(そういや殿下の初恋は五歳の頃で、相手は侍女とか言っていたな)
「……そうかもしれない」
(初恋が遅いのも問題なのかもな。淡い思い出にできなかった)
「ロバート所長が独身なら、惚れていたでしょうねえ」
「えっ!?」
「そんなに驚く事でもないですよね。頼り甲斐のある三十代の素敵な男性に、奥さんも恋人もいないとなったら。差し伸べてくれた手に、途方に暮れた少女が縋るのは無理もないでしょう? 妻帯者と最初から分かっていたからそんな気にならなかっただけです」
「そんなものなのか。恋をするのは理屈じゃないのに」
「修羅場が確定している恋なんてごめんですよ。あ、シリウス様、あそこのカフェ入りましょう。ギルドおすすめデートスポットです」
テレシアはシリウスの腕を、くいと引っ張って誘導した。
なるほどとシリウスも納得な、ギルドおすすめなだけはある。食用花やハーブで彩りも良くしたおしゃれなランチは美味しいし、明るい店内は居心地が良い。女性が喜びそうな店に連れて行くのは、まず失敗がない。
結婚相談ギルド名目だけの会長であるシリウスも、統計としてそれは知っている。自身のプランには全く活かせていないけれど。
食事を終えて満足げなテレシアと店を出てすぐに、道で何やら揉めている連中に出くわした。
「ロロちゃん、食事だけでも!」
「いやっ! 離してよ!」
「こいつ、君に一目惚れしたんだよー」
「なっ、頼むから」
「いい奴なんだよー」
一人の女性を四人の男性が囲んで、どうやら今シリウスたちが出てきたカフェに連れ込もうとしているらしい。
(誘拐が今でも!?)
シリウスは驚くが、周囲の人間は彼らをちらりと見るものの足も止めない。誘拐婚は厳しい罰則刑だ。重犯罪なのに周りも無関心すぎる。
顔色を変えて割り込もうとしたシリウスをテレシアが押し留める。
「シリウス様、あれは様式美で、ああいうものなんです」
「なっ!? ……誘拐じゃないと?」
「かつての誘拐婚の模倣と言いますか。ほら、女性を誘うのに仲間の手を借りる。結婚相談所なんて必要ない人種なんでしょうね」
シリウスは困惑してテレシアを見下ろすが、彼女は平然と成り行きを見ていた。
やがてカフェに一人の青年と女性を押し込むと、残りの三人は任務完了とばかりに立ち去る。女性は店から飛び出してこない。
「どういう事だ」
「本気で女性が嫌がれば成立しない誘い方なんです。彼女、最初はびっくりしてましたけど、抵抗が弱くなりましたよね。そこのカフェで食事くらいならと、同意したんですよ」
「そんな誘い方って……」
「ルールがあります。必ず連れて行く店の近くで囲う。私的な空間への連れ込みは厳禁。二人で話し合ってきっぱりと断られたら二度と迫らない」
「無理強いじゃなければ問題ないけど。囲まれた女性は恐怖じゃないか?」
「最近は認知度が高くなって、高級レストランとかだと奢ってもらいたい女性が付近を彷徨いているなんて、眉唾物の話も出回っています」
「へー、世間では何が流行るか分からないな」
女が搾取されるだけの存在じゃなくなり、むしろ男に奢らせてやろうと言うのなら面白い。
「ところで、シリウス様が行きたいところはありませんか?」
「俺が?」
「デートに正解なんてありません。私はシリアス様がどんなものが好きか興味あります。シリウス様の楽しい事を知りたいです」
「俺に合わせると君は嫌がると思う。蜘蛛園や爬虫類園とか結構行く。餌やりもできるけど、食事光景は見た目がグロいし、……デートに向かない」
「……うっ、確かにそれは……」
テレシアは蜘蛛も蛇も蜥蜴も苦手である。まあ大抵の貴族令嬢は昆虫や多足類や爬虫類を怖がるものだ。
シリウスは苦笑いして「都立自然庭園も好きだ。今の時期はダリアが見頃だろうか。珍しい樹もある。行ってみる?」と誘う。季節に応じて花が咲くように手入れされている庭園だ。種類特化していない庭園をそう呼ぶ。
「薔薇園とチューリップ園しか行った事ないので行きたいです!」
テレシアも植物なら食虫植物だって平気だ。動いて身体にくっつく事がない。