11:夫婦でデート!
「テレシア、今日アーケード街に行かないか」
「いいですよ、シリウス様。ではミュゲとリラにも声を掛けますね」
「いや……二人だけで、だ」
「……え?」
早いもので、シリウスとテレシアが結婚してからもう一年近くになる。先月ジョーイは無事貴族学校へ入学した。
『三年間、しっかり勉強します。そして官僚になります』
彼はシリウスとテレシアを前に抱負を述べた。
成人すればシリウスからレグルスカ男爵の名を返してもらう。既に背負う領地もない。だからせめて宮廷貴族と呼ばれる立場になると決意したのだ。
姉の夫に成人まで面倒を見てもらうのだ。寄宿生活で彼から離れても、適当に過ごすわけにはいかない。真面目なジョーイはそう考えている。
実の兄が出ていってしばらくは寂しそうな双子だったが、現金なもので、すぐにジョーイのいない生活に慣れる。今の彼女たちのお気に入り場所は王立図書館だった。
ミュゲは将来司書になりたいと考えているので納得である。
勤勉な性格とは言い難いリラがそれに付き合うのは退屈なのでは、とテレシアは思っていた。しかし姉が思う以上にリラは社交的だった。
リラは読書に飽きれば、図書館に隣接する美術館にも足を伸ばし、訪れる貴族の子女たちと美術館の庭園カフェへ行き交流を深めていた。
レグルスカ男爵家など子供たちは知らないが、リラとミュゲがシリウス・アークトゥルスの義妹と知っている彼らの親たちは、付き合いを制限しない。
「……リラに、たまには二人でデートしてこいって」
「え? すみません。あの子たちったら」
シリウスとテレシアは契約婚だ。しかし妹たちはそれを知らない。
そう言えば『お姉様たちっていつもお出かけに私たちを連れていってくれるけど、二人きりで出かけたのって何回くらいなの?』とリラが問い、『なんだか私たちが夫婦の邪魔しているみたいで気まずいわ』とミュゲも続けたな。テレシアは数日前のそんな会話を思い出す。
仕事絡みでシリウスと出かけるのは明確な目的があるからかまわないが、純粋に遊びに行くとなれば困惑する。二人やジョーイの存在は緩衝材になっていたのだ。
『家族なんだから、みんなでお出かけするの、別にいいじゃない』
テレシアが反論するとミュゲが、飽きれた顔で首を横に振る。
『違うわお姉様。私たちは居候なの。レグルスカ男爵家の人間よ』
『そうよ、シリウス兄様の家族はお姉さまだけよ』
『急にそんな事を言い出すなんて……』
困惑するテレシアに、『ジョーイ兄様にも、そこを履き違えるなって念を押されたのよ』とリラも真剣な顔だった。
……義妹、義弟は家族に入らないのだろうか。それならシリウスの実家もテレシアの家族には入らない……。
(どこかの貴族に、アークトゥルス家のお荷物とか言われたのかもね)
ある侯爵家のお茶会に呼ばれた時、テレシアは貧乏男爵令嬢と蔑まれた。シリウスに婚姻の打診をした家もあったみたいで、見初められた娘をいびってやろうと最初から悪意に満ちていた。
ただ、テレシアの所作は問題ないので、そこは見下せなかったようだ。マナー教師に徹底的に扱かれた賜物である。
『シリウス様にご自分のごきょうだいまで面倒を見させるなんて、厚顔無恥ですわ』
『伯爵夫人の嘆きも理解できますわね。男爵家が伯爵家を乗っ取るつもりかしら』
テレシアの弟妹の立場を分かっていて、この言い草である。ジョーイが成人するまでシリウスがレグルスカ男爵代理を務めているだけだ。伯爵家乗っ取りなんて頭の悪い発言は、単なる嫌がらせだろう。
『うちの娘のどこがこの女に劣っていたと言うの』と、明らかな怨嗟もあった。
高位貴族はもっと分かりにくい嫌味を言うのかと思ったが、直球だったので驚いた。きっと殿方のいない場所での洗礼なのだ。
『シリウス様には本当に感謝しております』『有難い事です』『滅相もない事でございます』
この三パターンの返事ですむのだから、夫人や令嬢たちも大した事は言っていない。恐縮な態度はとりつつ、テレシアは時間が過ぎるのを待つだけだった。
実際、テレシアは〈シリウスの妻である時間〉を彼に買われており、条件に“レグルスカ家への援助”が契約書にきちんと明記されているのだから、なんら引け目を感じる必要がない。契約書の重要性は、そこにいた淑女たちの誰よりも詳しかったであろうテレシアが動じないので、貴婦人たちは悔しがったに違いない。
平民と変わらないだの伯爵子息を騙した悪女だの、誹謗中傷は甘んじて受ける。その非難の大元はシリウスの母、アークトゥルス伯爵夫人だからだ。貴族界でちゃんとした地位を確立している姑に、嫌われた嫁なのだから仕方ないのである。
嫁の弟妹まで育てているシリウスは愚かで、相応しくない嫁を迎えた伯爵夫人は気の毒だと、そんな同情の余波が妹たちに及んでいるのかもしれない。
「いや、デ、デートが不服なら、親睦でも……俺と出かけるのは嫌か?」
テレシアが過去を思い返している無言の時間を、シリウスは気にした様子だった。デートと親睦では意味合いが異なる。そんな夫にテレシアは微笑む。
「いいですね、デート! アーケード街、久しぶりです!」
チャムク・ミラム帝国の大都市には大抵雨風を凌ぐアーケード商店街がある。ガラスの屋根で装飾にも凝っている。留学中のアンドールが感銘を受けたのは地方の小都市にもそれが存在し、港町は安価で塩分に強いメッキ鋼板屋根を使用していた事だ。場所による工夫はその地の文化の豊かさでもあった。
『アーケード街を作るぞ!!』
すっかり帝国かぶれで帰国した王太子に振り回されるのは、いつも臣下たちである。アンドールは優秀なので、きちんと計画書と予算案を提出して会議にかけた。当然管轄は商業省で、大規模な工事に難色を示す。しかし草案として出された完成予想図絵に皆が心を躍らせた結果、許可が降りてすぐ着工に至った。
アンドール帰国後一番に行われた公共事業であり、シリウスも随分駆け回った。アーチ型の天井は淡い水色のガラス張りで、王太子の好みである。
貴族や富裕層を狙った高級店や有名職人の店が連なり、王都民だけでなく地方からの観光客も増えた。地元民もここを歩く時はおしゃれをするようになったのは、地元の品位を下げたくないのだろう。
貴族街に近い場所にある、貴族御用達高級店街には気後れして足を向ける事もない庶民たちも、このアーケード街では気軽に高級感を味わえる。そんな浮かれた庶民に道を譲られながら優雅に歩く貴族たちも、簡単に高価な買い物する姿を見せつけて優越感に浸れるから、好んで利用していたりもする。
「ここは毎日お祭りみたいで楽しいですよね!」
人の往来が国一番なのは確実だ。
「ああ、地方から来ても天候に左右されずに買い物ができると好評だよ。今日は外国人もちらほらいるな」
どうしてもリサーチ気味になるのは王太子側近として避けられない。シリウスはそんな自分に嫌気が差すが、テレシアは気にしていないようで、あちこちの店舗を楽しそうに眺めている。普段触れ合う事がないから発想がないのであろう、貴族なら当たり前のエスコートも求められない。
「テレシア……」
スマートではないけれど彼女の名を呼んで腕を差し出す。そうすれば意を汲んでテレシアは「有難うございます」と、シリウスの腕に手をかける。
うっかり忘れがちだが、人の目がある以上、貴族としての体裁を取らないといけない場面なのだ。
(デートとは気を遣うものだな……)
その通りである。