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「…まあ、そっちはこれで終わり、と」

 次に会う日時を打合せて(それまでに俺は心を決めておくことになっている)、浅田は紙袋を片付け、別の緑のファイルを取り出した。俺を見ながら、ゆっくりそれを俺の方へ押しやって来る。

「これ、お宅に任せますよ。どうします、中、見ますか?」

「…」

 俺はそろそろとファイルを取り上げた。表紙に一行、太い万年筆で『多木路 朗に関する報告書』と書かれている。

 多木路 朗。

 俺はファイルを開いた。

 飛び込んで来たのは数枚の写真だった。黄ばんだ古い写真は若い男女のカップル、同じ男女がもう少し歳をとった頃のが1、2枚、一番新しい写真は、温和そうな紳士と上品そうな婦人、少なくとも中流以上の夫妻らしく、どこか生活感のないおっとりとした雰囲気がある。俺とは縁のないその雰囲気、だが、その2人の写真を見た時、不思議な甘酸っぱさが胸の内に広がった。

「……」

 その写真の下にあった、もう一枚の写真を感慨を持って眺める。

 それは、赤ん坊が這い這いをしている姿だった。白いよだれかけの縁に赤ん坊の名前が平仮名で書かれている。

 『たきじろう』……多木路朗。

 その『じ』の文字の濁点は、洗濯などで消えかけているのだろう、こうも読めた。

 『たきしろう』……滝……志郎。

「会いたい、と言っている」

「!」

 浅田の声に我に返った。浅田はマイルドセブンを燻らせながら、伏し目になっている。

「会って、詫びを言いたい、と」

「………」

「僕も、恩師であり、ひとかたならぬ世話になった人だ。出来るなら、望みを叶えて上げたい」

 手紙と同じように、断定的で鮮やかな語り口が、そこだけためらいを含んでぶっきらぼうに響いた。が、浅田は手紙のように、会え、とは遂に言わなかった。ただ、吸わずに落ちた煙草の灰を、じっといつまでも見つめていた……。


「ふ…う…」

 溜息をついて、頭の下に腕を敷き込んだ。

 恋しいのか、恋しくないのか、俺にはよくわからなかった。生まれてこの方、親と言うものを持った覚えがない人間が感じる戸惑い、そんなものを俺は今、胸の裡に噛み締めている。

 親……。自分がこの世に生まれて来た、その出発点。自分がこの世界で生きていく、その第一歩を準備してくれた人間。他の誰かのように、居なくて清々したとは言えない、小学生の頃1人で眠った夜を覚えている限り。だが、巡り会えて嬉しいと飛びついてもいけない、俺はとりあえずここまで1人で来てしまったのだから。

 リッ、リリリリッ…。

「わっ!!」

 またこの目覚まし野郎、一体何度鳴れば気が済む、と殺気立って飛び起きて、鳴っているのが時計ではないことに気づいた。慌てて部屋の電話を取り上げる。

『滝様っ!』

「わっ…た、高野か?」

『夜分失礼いたします。坊っちゃまをご存じありませんか?』

「部屋だろ?」

『いらっしゃらないようなんです』

「居ない? ったく、あのガキぁ…」

『滝様…』

「あ、悪い悪い。何の用なんだ?」

『今、新日本タジックにおります。英様が事故に遭われたとかで』

「事故ぉ?」

 ったく、夜中に阿呆な奴が多くて困る……ぼやきかけた俺は、続いたことばにぎょっとした。

『それがどうやら仕組まれたようなのです。詳細は後ほど』

「わかった…周一郎を探して…とりあえず……待てよ、どうしてお前、そんな所にいるんだ?」

 しかもこんな時間に。

『坊っちゃまのご指示です! とにかくお願い致します!』

「わ、わかった!」

 電話が切れるや否や、コートを引っ掛け部屋から飛び出した。途中で気づいて駆け戻り、カーディガンを掴む。時間は真夜中もいいところ、午前2時53分、さっきの様子じゃ、あの阿呆はあの格好のままってことも有り得る。

「ったく、何処にいやがるんだ……くそっ、これだから無駄にでかい家は困るよなっ!」

 階段を駆け上り、手当たり次第にドアを開けて回る。ぐっすり寝ている屋敷の者には申し訳ないが、非常事態だ、目をつぶってもらおう。

 4つか5つ、いやもっとか、ドアを開け放ったところで何かの声が俺を呼んだ。俺の守護霊も、たまにはまともなことをしてくれるらしい。残りのドアには見向きもせず、かつて朝倉大悟が使っていた部屋、今では周一郎の第二の書斎と言うか本箱と言うか、とにかく物置一歩手前と化している部屋に飛び込む。

 居た!

「周一郎!」

「え……? …滝…?」

 叱られた子どものように、冷えた書斎の椅子に身を寄せてうとうとしていたらしい周一郎は、ぼやっとした眼を上げた。やっぱりパジャマのまま、ガウンの一枚も羽織っていなかったが、何かの調べ物をしていたのは本当だったらしく、膝と足元に本を広げたままだ。

「ほらっこれ着ろ! で、目を覚ませ!」

「は…い…」

 もう一つ目が覚めていないのだろう、大人しくカーディガンに腕を通しながら頷いた周一郎は、次のことばで瞬時にして正気になった。

「英が事故ったそうだぞ!」

「っ!」

 大地震が来た、と言っても、これほど鮮やかな反応があるかどうかは疑問だ。びくっとした周一郎は、カーディガンを羽織るや否や側の電話に飛び付いた。内線で数回のコール、相手が出た途端、ぴしりと一声、命を下す。

「出る! 用意をしてくれ」

「え、おい」

 逆に俺の方が訳がわからないまま、急ぎ足に部屋を出て行く周一郎について行こうとして、鋭い視線で睨まれた。

「来ないで下さい」

「へ…」

「いいですね。今夜、ここから出ないと約束して下さい」

「あ…あ、うん」

 相手の顔色の悪さと切羽詰まった声音に気圧されて、思わず頷く。ほっとしたように周一郎が頷き返し、身を翻す。たちまち階下で慌ただしい物音が響き渡った。

「な…何…なんだ」

 呆然としたまま呟いて、はたと我に返る。

 周一郎は、ここに居ろ、と言ったよな? ここ、ってのは……やっぱり、この書斎……なんだよな……?

「書斎だし……トイレってここにはない…よな………ん?」

 辺りを見回した俺は、周一郎が座っていた場所に落ちている白い紙に気づいた。近寄って見るが、何の変哲もない、ただの白い計算用紙……。

「っっ」

 中身を覗いた瞬間、体が硬直した。

 そこには次のように書かれていた。

『朝倉周一郎殿


 墓の御用意は済まれたとか。

 近日中に、貴殿の命運が尽きる事を、

 ここにお知らせしておく。


                 九龍』

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