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『そして、別れの時』〜猫たちの時間13〜  作者: segakiyui
12.夢を抱いた男

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4

「周……?」

「座っていて下さい」

「はい」

 声が命じるのに慌てて腰を下ろす。椅子の背に隠れて、小柄な姿は見えなくなった。

「……この間は…すみませんでした」

 声は低く謝った。

「この間…だけじゃない。今まで、御迷惑おかけして…すみませんでした」

 語尾が微かに震える。

「けれども…それでも…僕はあなたに…居て欲しかったんです。嫌われてもいいから、側に居て欲しかった」

「周一郎…」

 思い出が蘇る。

 出会ったのは1月、凍えるほどの寒気の中、豪奢な屋敷の少年主人、黒く深い瞳は人の心の闇を見透かす……。

「あなたは……いい人で…………僕とは違う世界にいて…」

 京都の事件は桜の時期、記憶を失い別人になった周一郎は、無邪気に俺に笑いかけた。

「巻き込んじゃいけない、と何度も思ったけど…」

 月の下、魔術師は妖しく嗤う。白い日記は持ち主の心を写して、ぱっくり口を開けた傷の痛みを思い起こさせる。

「それでも、僕は……」

 ドイツ。初夏の古城の迷路だけが、踊った人々の末路を見ている。そして青灰色のルト、迷う人間を闇に導き、光を誘う……。

「あなたに側に居て欲しかった」

「………」

「……嫌われてもいい…なんて、嘘…ですよね」

 周一郎の声が頼りなく、甘みを帯びた。

「僕は…あなたに碌なことをしていないから、嫌われても仕方がないけど……」

 ことさら冷たい仕草は、俺を事件に巻き込むまいとした思いやりだった。英と企業攻略を着々と進める周一郎の眼が、時折淋しそうに俺を探し求め、諦めて、背を向ける。

「それでも…嫌われるの…って……結構、辛いですね」

 山奥の陽子伝説は、鮮血を伴って現代に甦った。俺を失うことに怯えた周一郎は、次に俺が死んだとされた事件で半狂乱になった。側に戻ってきたことに安堵して、2人で探偵まがいをやったのは、高多とるりを巡る愛憎劇、スペインで半死半生になった周一郎は、それにも増して凄惨な過去に傷ついている自分を曝け出した。大悟の姿は指令となって今も周一郎の内側に深く彫りつけられ、それは時折、汚れ切った人間を直視させるルトの視界に重なって自分の汚さを突きつけてくる……。

 それら全てに、周一郎は深く深く傷ついていた。そして、俺はそれを知っていたのだ、おそらくは、誰よりも。

 俺は眼を閉じ、息を吸い込んだ。やれやれ、もう一回、教えてやらなきゃならんのか。

「俺がいつ、お前を嫌いだと言った?」

 ふっ、とたじろいだ気配があった。

「いつ、お前が気に入らん、と言った?」

「……」

 考え込む気配、思い出そうとする空気。

「俺はわからん、と言っただけだろ? 暗殺予告にしたって、あんなことをしなくても、お前が居てくれって言うのなら居た、と言ってるんだ」

「僕、が……?」

 困惑し、必死に記憶を探る様子、そうだ、思い出せ周一郎、そして考えろ。

 暗殺予告状なんぞなくっても、俺はやっぱりお前のそばに居たに決まってるんだ。当たり前だろ、放っとけるかよ。あんな不安そうな顔をしたお前を放っといてみろ、俺はこの世に転生を指示した運命とやらに、腹の底から罵られちまう。

「じゃあ…滝さん…」

「うん?」

「じゃあ…………僕……」

「何だ? 新しい住所か? ちょっと待て、教えてやる」

 ったく、それを教えとこうと思って、今朝訪ねたんだぞ、わかってんのか? いそいそと立ち上がり、ボストンバッグから住所のメモを取り出そうとする、矢先。

「あ、知っています」

「は?」

 俺は動きを止めた。

「…だから……知って…います…」

 ぼそぼそと、周一郎にしては歯切れの悪いことばが戻ってくる。

「知ってる?」

「はい…」

 ますます声は小さくなった。おそらくは赤面しているに違いない、それが何を意味しているのかにようやく気づいて。

「…くっ」

 座席に腰を落とす。込み上げてくる笑いを抑えきれない。

「滝さん…」

 むっとした声が響く。何を今更取り繕ってる。

「はっ…はははっ…」

「滝さん!」

「あははっ…はははっ…」

「滝…さん……もう…」

 周一郎は苛立たしいとも甘えているとも判別のつかない声音で、俺を制した。

 窓の外、次の駅が近づいてくる。カタン、と席を立つ気配があった。

「立たないで下さい」

「?」

 俺も立とうとしたのを素早く感じ取って、周一郎が話しかけてくる。

「また、すぐ会えます…よね?」

 優しいまろい声だった。

「ああ」

 答えた俺の声に安心したように、周一郎は席を立った。黒のスーツ上下、足元に青灰色の猫がまとわりついている。猫はひょいとこちらを向き、にゃあう、と鳴いて尻尾を軽く左右に揺らせ、くねらせた。あばよ、そう言いたげに片目を閉じて向きを変え、車両を出て行く周一郎の後に続く。と、入れ違いに一群の大学生風の連中が入ってこようとして、近くにいた駅員に遮られた。

「あ、ちょっと申し訳ありません。この列車、この車両は『貸切』でして」

「えー?! どーしてえ?!」

 甘ったるい声で抗議しようとした女の横をすり抜けようとした周一郎が、体を捻る。

「申し訳ありませんが、とにかくこの車両は本日『あの方』専用なんです」

「はあ?」「なにそれ」「どう言うこと?」

 駅員の指が俺を指す。

「へ?」

 振り向く女の不審そうな声、体を捻って離れる周一郎の頬がわずかに赤くなった気がする。ピンっ、とこの時ばかりは俺の頭に閃くものがあった。

「とにかく乗らないで、他の車両へどうぞ、はい」

 不満たらたらの客を、自身も不服そうに誘導していく駅員に、急いで座席に埋まり込みながら、俺はにやにや広がってくる笑いを堪える。

(そうか、周一郎の奴…)

 道理で誰もいないはずだ。それほどまでして、素直な自分を隠したかったのか。

 そうっと窓からホームを眺める。

 車両から降りた周一郎は、振り返らずゆっくりと、ホームの雑踏に紛れ込んで行った。

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