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「滝さん?」
「………時間が…経ち過ぎたんだ」
「……」
「親子にはいつでも戻れても、家族には戻れんさ」
血の絆は思い出せても、空白の時間は思いだけでは埋められない。重ねてきた日々こそが、互いを互いと認めさせる。交わしていない想いは取り戻せない、それがどんなに切なくても。ふと、百合香の顔が記憶の底から浮かび上がり、過っていった。初恋…だった。再び巡り逢えはした。けれどもついに、心は結べなかった。
浅田は笑い返した俺の顔を、不思議な目の色で見ていた。
「今…わかった」
「え?」
「僕が、どうしてお宅を憎めなかったか」
振り返る俺の目を眩そうに避け、銀縁眼鏡を押し上げながら、浅田は淡々と続けた。
「お宅は僕の『生きがい』だったンですよ」
「?」
「父母や千夏のためには、一刻も早く見つかって欲しかった。けれども、決して見つかって欲しくもなかった。お宅が見つかった時点で、僕はあの家から完全に孤立してしまう。だから見つかって欲しくなかった、永久に」
浅田の髪を風が乱す。それを直そうともせず、
「見つかったら、人知れず殺そうか、と思ったこともあった。けれど………おかしなもンです。見つけた途端、会いたくてならなかった。僕がずっと気にしていた人間、待っていたのはどんな奴だったのかを、知りたくてたまらなかった……」
「浅田…」
「お宅が出てくるのをいつも恐れていて、そのくせ、お宅が出てきてくれるのを一日千秋の思いで待っていた……なンのこたない…僕にとっちゃ、お宅こそが中西だったンです」
浅田は目を上げた。自嘲気味に笑った顔が歪んでいた。
「だから、浜津がじれったかった。中西の影に縛られてて、そのくせ中西に惚れ込ンでいて、自分てものをどんどんなし崩しに消してって、最後に抜け殻になってっちまうだろうあいつを、見てられなかったンですよ……気づかなかったンだ、僕は。……お宅が解して見せてくれるまで…。は………何のこたない…僕も」
ふいと子どもじみた表情で俺を見た。
「僕もただ……お宅を探していられりゃ…良かったンだ」
「……見つかったろ?」
俺は無意識に口走った。ぴくんと浅田が眉を上げる。
「俺はこの通り見つかって、多木路の方もケリがついたろ?」
「そう…です。だから、なンか、気が抜けちまって…」
「『だから』、もう人のために走るこたないさ」
「え…?』
「あんたが何が欲しいのか、そんなことは俺にはわからん。けれど、ケリはついたんだ。で、あんたは浜津じゃない。次の目標ぐらい、見つけられるだろ?」
「………。……滝さん……お宅って人は……」
掠れた声で、言いかけてやめる。
(最近、このパターンが流行ってるのか?)
首を傾げる俺に、浅田はにっと笑った。初めて会った時のふてぶてしいような笑みだった。
「そう…ですねえ。次の目標……『差し当たり』お宅をベストセラー作家にのしあげる…てのはどうです?」
「夢がデカすぎるぞ。素材を見て、物を言えよ」
「言ったでしょう? 僕はお宅の視点に惚れてるって。それに、僕は自分の勘を信じている。ちょっとは自惚れさせて下さいよ、あの作家を掘り出したのは僕だ、ってね」
「知らんぞ、落ち込んでも」
俺は毎回、自分の勘を信じて散々なことになっている。
「構いませンよ、今ンところ、ね」
列車が入ってきて、俺はボストンバッグを持ち上げた。
「じゃ、また、向こうで」
「ああ」
笑う浅田に手を振り、列車に乗り込む。中はガランとして人っ子一人いなかった。動き出す列車、窓の外に、浅田が、やがて住み慣れた街が流れて行く。
「ふう…」
(ついに周一郎は来なかったな)
吐息して、荷物を網棚に上げる。
「結局、ボストンバッグ1つ、か」
呟いて、思わず苦笑した。
コートは出がけに羽織ろうとして、朝倉家の門のところでひっちゃぶき、ただの布切れと化していた。季節は春に向かっている。慌てて買うこともあるまい。
向こうでは、浅田が小さなアパートの部屋を用意してくれているはずだった。朝倉家での贅沢に慣れた体が、そうスムーズに環境に順応出来るとは思っていなかったが、何、元々そういう暮らしだったのだ、騒ぐほどのことじゃない。
ただ一つ気がかりなのは、周一郎と和解できていないことだが……。
「滝さん」
「えっ?!」
座りかけた俺は、ふいに聞き慣れた声を耳にしてぎょっと腰を浮かした。キョロキョロ辺りを見回す。と、さっきまでは気づかなかったが、数列前の席に誰かが座っているのが見えた。




