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『そして、別れの時』〜猫たちの時間13〜  作者: segakiyui
11.俺の死んだ日

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 屋敷の中は静かだった。もう用はないらしい、と判断した警察、木暮に慈、木暮の配下、お由宇、と主だった面々がほとんど出て行ったのだから、静まり返るのも無理はなかった。

 俺はと言えば、卒業式を明日に控え、それでもベッドに眠る周一郎を放って置けず、こうして更けて行く夜、何をするでもなく、周一郎の部屋に居る。

「ったく、お由宇の奴、教えてくれりゃいいものを……」

 ぼやくまいと思っても、つい口に出る。今日が2月28日で例の暗殺予告日、警官の1人ぐらい残しておいてくれと言った俺に、お由宇はにっこり笑って自信たっぷりに断言した。

「大丈夫よ」

「大丈夫っても、今日だぞ、予告日」

「じゃあ、あなたが寝ずの番でもすることね。結構、『犯人』が自首してくるかも知れないわよ」

「は?」

「じゃ、ね。おやすみなさい、志郎」

 ポカンとした俺を放って、お由宇は不貞腐れている厚木警部の隣のシートに滑り込み、ツートンカラーのパトカーは降り始めた雪の中を静々と遠ざかって行ったのだった……。

「何が大丈夫だ。一緒に俺も殺されたら、きっと化けて出てやる」

「ん…」

「ととっ」

 声が耳についたのか、周一郎が呻いて身動きし、俺は慌てて口をつぐんだ。せっかくおとなしく寝てるのを起こしちまったら、それこそ大変だ。寝かしつけるのに子守唄を100曲近く歌わなきゃならんだろうし、生憎、俺にはそんなにレパートリーがない。

 幸いにも周一郎は目覚めなかった。助かった。夜の夜中に、下手なカラオケ・バーの真似事をしなくて済む。

 汗に濡れた髪を少し掻き上げてやったが、身動き一つせず周一郎はひたすら眠り続けていた。まるで、今まで眠れなかった分を取り返そうとでもするような深い眠りに沈み込み、おそらく、自分がいつから眠り始めたのかも覚えていないに違いない。

「…10時過ぎ…か」

 俺は時計を確かめた。後2時間。2時間で、こいつを縛っている目に見えない鎖が解ける。その時まで眠り続けてくれればいい、と俺は思った。そうすれば、安全圏に入ってから声を掛けて起こしてやれる。よく眠ってたぞ、やっぱり俺は睡眠薬らしいな、なぞと笑いながら。

 不思議と怖さはなかった。周一郎の命を狙っている犯人が気分を変えて、いつ、俺を先に料理しようと飛びかかってくるかも知れないのに。周一郎がぐっすり眠っている、そのことが全てうまく行っている証拠、そんな気がしていた。

 ただ俺は待っていればいい。こいつが十分に休息し、もう一度、あの冴えた、妙に人を魅きつける強いものを秘めた深い黒の瞳を開くまで。

(そうだ、それまで俺は、ここにいてやればいい)

 それは、周一郎を追わなくちゃならない、と確信していたのと同じような、どこか深い所にある予感だった。目的地は遥か、周囲は暗闇、けれど俺にはわかっている、そこには必ず道がある、と。

 ふと、頭の隅に銀の光が弾けた。銀の月光、銀の雪、走る銀の矢、青灰色のルト。

『ルトは、この別荘に随分早くから現れていたみたいね。きっと慈の動向を探っていたんでしょうけど……あなたが来てからは、あなたの側にまとわりついてたでしょ? 小木田のフォローもあったし、大忙しだったんじゃない?』

 お由宇のことばが谺する。

 そのルトも、珍しく周一郎の枕元近く、掛け布団に潜り込むように丸くなって眠っていた。さっき、かなり派手な音を立てたのだが、ぴくっと片耳を震わせただけ、やっぱり疲れ切っていたのか、目を開けようとはしなかった。

「…ったく……いいのか、『二人』してそんなにぐっすり眠って……。『俺が犯人』だったら、どうする気だ?」

 呟いてはみたものの、こうまで無防備に自分を晒されては、たとえ俺が犯人だったとしても、襲うのに勇気と根性がいるだろう。

 銀の連想は、プラチナブロンドの慈に移った。


 今朝、別荘を出て行った慈は、出て行く前に話したいことがあるから、と別室へ俺を誘った。

「話さなくてもいいことだとは思うんだ……けど、あなたには、言っておきたくて…」

「?」

「僕……自分の髪や眼の色がずっと嫌いだった」

 陽光の中、眩そうに細めた淡い色の瞳が、きつく激しい色を宿す。

「滝さん、白夜、って知ってるでしょう?」

「ああ」

「夜のくせに、いつまで経っても白々と薄明かりがあたりに満ちていて、ドロドロした人の心をちっとも受け止めてくれない……そんな夜だったよ、朝倉大悟と会ったのも」

 慈はその頃、日々の暮らしの糧を道行く人々から巻き上げていた。スリ、かっぱらい、置き引き、詐欺、時には体を使っての美人局に売春。生きて行く金を得るために必要な悪事の全てを、慈は周囲に蠢く人間から学び取った。

 そんな時、たまたまカモにしようとした相手が朝倉大悟、自分を餌に食いつかせるところまでは慈のペースだったが、大悟は慈の手練手管には乗らなかった。逆に、慈の、人の心を読む速さ、行動の機敏さ、判断の的確さを指摘し、自分の下で働いてみないかと持ちかけてきた。いずれは、やがて朝倉周一郎が率いる朝倉財閥の影の一員として。大悟の話にも惹かれたが、慈は大悟自身により魅かれた。温かい腕と人を包む大きさ、一族の主としての力強さ、闇に君臨することをこそ良しとするふてぶてしさ…。

「大悟は、僕に繰り返し、日本での生活を話してくれた。僕は大悟に焦がれて、彼の仕草一つ一つ、考え方の一つ一つ、全てを自分のものにしようとした。けれど大悟には、周一郎がいたんだ」

 大悟は、日本の生活を話すと共に、周一郎のことも話した。自分と同じ、夜の闇をこそ住み処とする少年について。不思議な優しさを込めた口調に、いつしか慈は、まだ見ぬ周一郎を羨望し、憧憬を抱くようになっていた。

「憧れて、けれど決して重ならないもう一人の自分のように憎んだ……周一郎は大悟と同じ夜を持っている。けれど、僕はいつまで経っても夜にはなりきれない……いつまでも薄白い白夜でしかないっ…」

 きり、と噛んだ唇の薄紅の濃さが増す。慈はしばらく沈黙し、やがて弱々しく笑った。

「憎み切れもしない……焦がれ死にもできない……それでも僕は、抱き止めてくれる夜の闇が欲しかった」


 故国へ帰ると慈は言った。木暮と共に、自分の生まれた白い夜に還るのだ、と。

「ふに…いん…」

 唐突に、寝惚けた声をルトが上げ、我に返った。

 時計は10時半を示している。まだ1時間半、待っている間の時間はひどく長い。

(父母が俺を待っていた時間も、こんな風に長かったんだろうか)

 周一郎の寝顔に、ゆっくりと重なるもう一つの光景があった。


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