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『そして、別れの時』〜猫たちの時間13〜  作者: segakiyui
8.京都舞扇

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5

「…」

 答えはなかった。しばらくのためらいの後、打って変わって淡々とした声が響いた。

「昼間はどうもすみませんでした」

「昼間? ……ああ、必要のどうの、ってのか?」

「はい。滝さんには関係のないことだったのに、僕一人で興奮してしまって……実は何を言ったか、よく覚えていないんです」

 嘘つけ、と俺は小声でぼやいた。覚えていない人間が、夜にわざわざ謝りに来るのかよ? ったく……お前らしくないぞ、周一郎。俺にわかるような繕い方してどうするんだ?

「巻き込んでいるのは僕の方なのに、いつもご迷惑かけてすみません」

「いいよ。どーせ俺は『厄介事吸引器』だ。今さら抵抗する気はないさ」

 くす、とドアの向こうで小さな笑い声が響き、俺はほっとするより、ぞっとした。それは、俺が出ていくと言い出してから初めての、全く無防備な、明るいと言ってもいいほどの笑い声で、以前聞いたことはあっても、大抵俺と一緒にいるプライベートタイム、少なくとも、こんな所、こう言う状況で上げられる笑い声ではないはずだ。

「周一郎?」

 不安になって振り返り、ドアの向こうへ声をかける。

「そこに立ってるの、寒いだろ? 入れよ」

「いいんです」

 向きを変えて僅かに押したドアは、必要以上の意固地さで押し戻された。声も硬くなり、同時に艶を失った。

「今度の一件だって、滝さんは本当は関わりがなかったのに……」

「おい、誤解するなよ!」

 俺は殊更、声を張り上げた。澱んだ不安がむくむくと頭を持ち上げてくる。何かわからないが…よくない。このドアが邪魔だ、そんな気がする。開けたい。開けてしまいたい。開けてしまって、たぶん俯いているだろう周一郎を覗き込んで、つまらん心配をするんじゃない、と言ってやりたい。コンと頭を軽くどついて、俺にとっちゃいつものことなんだ、子ども(ガキ)が大人の心配するんじゃない、と言ってやりたい。

「俺が勝手についてきたんだからな! お前が負担に思うことは、これっぽっちもないんだからな!」

「…」

 微かに笑った気配があって、俺はますます不安になった。澱んだ沼が辺りに広がる。周一郎は端っこに立っていて、俺に近づこうとどんどん深みへ歩いてくる、そんな感じがする。気づいてないのか、周一郎。足元は底なし沼になってるんだぞ。

「……滝さん……」

「うん?!」

 声を張り上げて俺は応じた。低めると、何か唯一の糸が切れそうな気がした。

「慈から聞いたんでしょう? 僕が何をやってたか……」

「慈が言ったのか?!」

「うん……滝さんにも一通りの背景は教えたって…」

 あのガキァ! 可愛い顔してきついことをやってくれるじゃねえか! 殺気立つ俺の耳に、妙に優しい周一郎の声が届く。

「…彼の言った通りなんです。僕は2年前には多木路夫妻のことを知っていた……あの時連絡を取れば千夏さんも生きていたし、あなたをこんな目に合わせることもなかったでしょう? それだけじゃない、慈の存在を消そうともしたし、小木田源次の爆死も、僕の……朝倉周一郎の指示だ…」

「周一郎…」

「それに、厚木警部との会話も聞いていましたっけ……その気になれば、僕は何だって出来るんです。あなたが考えもつかない残酷なこと……も…ね…」

 頼りなげな声音は、ほとんど、甘えている、と言ってもよかった。

「…僕は大悟から人を陥れる手解きをされて、自分もそれに慣れている…けど………人を守る術は……知らない……」

 声は苦しげに語尾を震わせた。

「だから…………滝さんに、あんなこと言う資格は………ないんだ…」

 ドアが邪魔だ。

 俺は唐突に、その結論に辿り着いた。

 とにかく、ドアが邪魔だ。

 周一郎の傷がどーの、慈の阿呆がどーの、はどーでもいい。とにかく、何がなんでも、ドアが邪魔、だ。

「周一郎」

「……」

「ドア、開けろ」

「…」

 いやだ、と小さな呟きを耳にした気がした。が、俺はそれを無視した。

「ドアを、開けろ」

「……」

「聞こえてねえのか? ドアを開けろって言ってんだ」

 知らず知らず、声が殺気を帯びた。体を起こす。びくりとも動かないドアを睨みつける。

「開かないなら、俺が開けてやる」

「い…やだ…」

 ためらいがちに、周一郎は拒んだ。

「俺が、ドアを、開けたい、んだ」

 一言一言区切って口にする。想いは、たちまち胸いっぱいに溢れて、俺の心を支配した。

 お前がドアを開けないのはお前の勝手だ。けれど、俺はドアを開けたいんだ。それがお節介なんだろーとは想像がつく。このまま、お前がドアを開けてくるまで待つってのも、一つの手だろう。

(けど、それじゃ、遅すぎるんだ)

 俺はノブに手をかけた。くるりと回し、ゆっくり押す。抵抗なく開いていくドアの向こうに、少し後退りした周一郎の姿があった。サングラスも嵌めていない無防備な子どもの顔で、俺を見る。初めて安堵が湧いた。間に合った、という想いがあった。京都でも、『マジシャン』の一件でも、俺はいつも崖っぷちの周一郎を捕まえ損ねていた……が、今度こそ。やっと、俺は間に合った。

「周一郎」

 びくん、と叱られた子どものように、相手を身を竦めた。その瞳にゆっくり笑いかける。手を伸ばす。握った拳で、コン、と軽く額を叩く。目を細め、受け止めた周一郎に、

「あのな、俺は器用な人間じゃないから、上手く言えんが……その、たとえこっちに、キングギドラやバルタン星人やガメラやモスラがいたところで、結局俺は、ドアを開けてたんだからな」

「………」

 きょとん、と周一郎が俺を見た。

「つまり……その……このドアが邪魔だったんだ。うん。単に。そう。それだけのことで……」

 くす…っと周一郎は唇を綻ばせた。くすくすくすくす、楽しそうに笑い続ける。

「本当に…あなたって人は…」

「だ、だから言ってるだろっ、上手く言えんっ、て!」

 照れ隠しに喚いた俺は、周一郎の視線を避けた。ひどく幸せそうに笑いながら、周一郎はぽつりと言った。

「…嫌われても……いいや…」

「え?」

「いえ……その……ぐっっ!!」

 鋭い音が響くのと、周一郎がことばを途切らせて声を上げ、体を硬直させるのが同時だった。振り返る俺の目に、右胸から紅の飛沫を散らせて倒れる周一郎が映る。ざわっと外の針葉樹がざわめいたようだ。

「周一郎!!」

「ルト……っ追え…っ……」

「周一郎っ!!」

 抱き起こした俺の腕で、周一郎は微かに呟き、そのまま意識を失った。


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