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浅田が来たのは、その日の午後、そろそろ3時を回ろうかという時刻だった。
「滝さん」
「どうも…」
「どうしたンです? いやに疲れているようですが…」
「いや、そのちょっと、屈折した人間と屈折した話をしたもんで…」
「は?」
訝る浅田に、俺はほんの数時間前のことを思い出していた。
「木暮?」
お由宇の不思議そうな目に、もじもじしながら俺は頷いた。
「彼がどうかしたの?」
「いや、その、木暮と慈は、つまり……恋人…同士だったわけ、だろ?」
「そうよ」
「で、普通、恋人ってのは、大切なものだよな、男女の場合」
「男同士でも、そう呼び合う以上は同じでしょうね。想うこと、それ自体に性別はないんだし」
「そこが引っ掛かるんだ」
「え?」
「慈は、暴行を受けた後でも、木暮に抱きついたんだろ? 自分を襲った奴らと同じぐらいの男なのに」
「それだけ、木暮に心を許していたってことになるのかしらね」」
「百歩譲って、慈が何か意図があって木暮にしがみついたにせよ、それは木暮が自分を受け入れてくれると思ってたからで、つまりは、それだけ木暮を信頼してたってことだよな?」
「人のことになると、そこまで分かりがいいくせに、どうして自分のことはわからないわけ?」
「ほっといてくれ。…で、つまり、普通の恋人同士なら、もう片方が死んだ場合って、残った方はかなり悲しむもんだろ?」
「……」
「特に慈の場合、『そんなこと』があっても、まだ木暮を求めたわけだし、その相手が殺されるだけでもショックだろうし、おまけに遺体が見つかっていないってのは、かなり拘っていいよーな気がするんだが…」
俺の脳裏に、朝の慈の様子が浮かんだ。確かに沈んではいたが、窶れた様子はなかった。ほとんど一心同体の相手を亡くした人間にしては、妙に醒めている気がした。もし慈にとって、木暮がただの道具としか見えていなくても、もうちょっと悲しみようがあるような気がする……たとえ、あの朝倉大悟に認められたほどの切れ者だとしても。
「…いえ…切れ者なら、なおのこと、取り乱してもいいはずだわ…」
「え…?」
お由宇が考え込んだ顔で呟き、俺は相手の眉根を寄せた顔を見た。
「だって…少なくとも、慈と木暮の結びつきの強さは周囲も知っていたはずだもの。取り乱さない方が……ひょっとしたら……そう…かも知れない。そう考えれば、全部辻褄が合う…」
「お由宇?」
黒い眼がきらきらと光を放ち始めていた。緋い唇がゆっくり両端を上げていく。
「そう…木暮…だったのよね、死んだのは。…悪くない考えだわ」
「おい…何のことだよ」
「木暮、拳法を齧ってるって言わなかった?」
「ああ、言ってたが…それがどうした? 大体、お前、あいつのことを知ってるのか?」
「ま、ね」
お由宇はふっと瞳の光を弱めた。どこか遠い目になって、
「よく知ってるわ。香港では知られた名前よ」
「香港?」
「言わなかった? 私、日本へ来るまでは、香港にいたの」
さらりと流したことばが僅かに憂いを帯びた気がした……。




