5
「……」
厚木警部は、周一郎とルトの繋がりを、ほぼ確信しているようだった。あとは自白と立証、そう言いたげな容赦のない口調で、ことばを続ける。
「あなたにとって、滝君はかけがえのない人間、ですね? だからこそ『ミス・キャスト』と知りながら、舞台から完全に降ろしてしまえなかった。が、今、滝君はこちらの手にある。彼の無実を証明するには、ただ一つの方法しか残されていないはずだ。……『ルトの証言』しか、ね」
「…ふっ」
ふいに周一郎が笑って、厚木警部は面食らった様子だった。
「佐野さんの言いそうなことだ。彼女の入れ知恵でしょう?」
「…」
「甘い、と伝えて下さい」
周一郎の声は、依然、笑みを含んでいる。
「僕が朝倉周一郎だと言うことを忘れたのか、と。『僕』が滝さんの『共謀者』を仕立てたらどうする気です?」
「え?」
(え?)
俺は息を呑んだ。
「滝さんは所詮、朝倉財閥には用のない人間だ。僕にしてみれば、滝さんを切り捨てることぐらい、いつでも出来る。朝倉周一郎には、ね」
周一郎は例の能面じみた笑みを浮かべているような気がした。
「今、滝さんに『共謀者』が現れれば、あなたは滝さんを捕まえるしかない。そして、これ以上、僕を追うこともない。悪くない案だ」
「君と言う人間は…」
「僕より、佐野さんの方が気になるでしょう、滝さんの無実については。それに、あなたもわかっているはずだ、滝さんに人殺しはできない……僕にはできても」
くすっ、と魔的な妖しい笑い声が響いた。
「殺ってもいない人間を捕まえなくちゃならない、そんな事にならないように、気をつけるんですね、厚木警部?」
「……失礼する」
「どうぞ」
完全に厚木警部の負けだった。朝倉周一郎の真価をまざまざ見せつけられて引き下がっていく警部の足音を聞きながら、俺は周一郎の言ったことにショックを受けていた。周一郎が、俺を切り捨てるために『共謀者』を仕立て上げる。この辺がおめでたいのかも知れないが、そう言う可能性については思いもつかなかったのだ。が、考えてみれば、慈に朝倉の地位を揺さぶられ、小木田源次の爆死に奔走し、ルトとの繋がりを嗅ぎつけられかけている周一郎が、俺の方だけでも厄介事を切り捨てようとするのも無理のない事だろう。
(そうかあ…)
俺は溜息をついた。やっぱりいつものように、しなくてもいいお節介をしているらしい。
(俺ってのはそう言う存在なのか)
その辺の自覚がまるっきりないから、結局、厄介事を大きくしちまうだけなんだろう。
「……滝さん…」
「っ」
隣室から低い呟きが聞こえ、俺は狼狽えた。居るのがばれたか、と立ち上がりかけて、続いたことばに首を傾げる。
「お帰りなさい、滝さん」
「?」
「………おはようございます………おやすみなさい……。滝さん……」
「??」
何言ってやがんだ、あいつ?
「…いやだ…」
声はふいに頼りなく響いた。
「……そんなの……いやだ…」
まるで、ほんの子どものように、駄々をこねたような声。どこか潤んで流れ落ちる。あまりにもつらそうなので、何か一言、声を、と思って踏み出した足は、見事に椅子に引っ掛かった。
「わたっ!!」
ボスッ! ドタ…ガッ……ドスンッ!!
「あ…つつつ……つ……? ……あ……。…あ…あははっ…」
「…いつから…そこに居たんです…?」
境のドアを開けた周一郎が、立ち竦んで俺を見つめている。掠れた声で問い掛ける。瞳が大きく見開かれて、サングラスを通しても相手の驚きがよくわかる。引き攣り笑いをした俺は、自分の脚を呪いながら、もそもそ立ち上がって周一郎と対峙した。
「いつからって…その…」
「いつから?」
「えーと……つまり…………最初、から…?」
すっ、とまともに周一郎の頬から血の気が引いた。あまりにも激しい反応に呆気に取られる俺を、射抜くように凝視しながら、
「…それで…?」
「それでって…」
「どう…思ったんです…?」
尋ねることそれ自体が苦痛であるかのように、眉を寄せる。吐き出したことばが苦い丸薬でもあったかのように、唇を噛む。それでも、眼は俺に据えられたままだった。
「どうって……うん…その…………一応、ショックは受けた」
俺だって人並みの感受性は持っているんだ。多少反応速度が遅くて、回復速度が速いかも知れないが。
「……でも、ま、いらんってのを無理に押し付けるこたないし……お前が俺を必要じゃないって言っても、それをどうこう言うわけにはいかんし………ま、ドジだからな、うん、やっぱり側に居ると困る時もあるだろうし。あははっ」
笑いたくはないが、笑うより仕方ない。所詮俺は、悲劇のヒーローにはなれない性質なんだろう。
「……僕に、あなたが、必要ない、…って…?」
精巧な紙細工が握り潰されたような、歪んだ笑みを浮かべて周一郎は答えた。
「う…ん…?」
違う……んだろーか……?
「僕が……そう…言ったって………?」
「……う……ん…………??」
なんか……やばい。こいつ…泣き出しそうな顔になっている。初めて見る、幼い、引きつれた……が、崩れる寸前、周一郎は見事に立ち直った。ぷいと顔を背け、吐き捨てるように一言、
「勝手にすればいいんだ」
「え?」
「どこへでも行けばいいでしょう! いくら僕があなたを必要としても、あなたには僕は必要じゃないんだか……!!」
「周一郎…」
迸るような自分の声に我に帰ったのか、俺を振り返った眼は責めるような色で一杯だった。そのままくるりと背中を向け、今度は振り向きもしないで部屋を出ていく。
「…何だ……? あいつ……?」
責めたいのは俺だろうが。泣きたい思いになるのは俺の方だろうが。なのになぜ、周一郎の方がいじけるんだ? 切り捨てると言われたのは、俺だぞ? で、なんで言った方が、突き落とされたみたいな顔になるんだ?
「…えーと……その……?」
カリカリと頭を掻いた。こーゆー時は、追った方がいいのだろーか、追わない方がいいのだろーか。
「その表情から察するに……分かってないんでしょ、やっぱり」
「!」
戸口から声が聞こえ、俺は顔を上げた。
「お由宇!」
「あなたの鈍感さにも困ったものね」
黒のコートに雪を止らせたお由宇が、髪を払いながら、そう吐いた。




