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「…慈君」
「何?」
慈から壁の写真群に目を遣る。
「君ならどうする、この写真」
「え?」
「どうしても連絡を取り合わせたくない2人が居て、片方がある場所にメッセージを残している。ところが、どんな運命の悪戯か、もう一方がその場所へ行くことになった。そんな時、君ならメッセージをどうする?」
「どうする…って…」
慈は考え考え答えた。
「メッセージがあるのは、置いた人間と君しか知らない。メッセージが渡れば最後、もう一方の人間は、君が今まで重ねていた偽りに気づくと分かっている場合」
「それは……僕なら、メッセージを隠すか、棄てててしまう……!」
「君だけじゃない」
俺は振り向き、俺が言おうとしていることに気づいたらしい慈に笑いかけた。手を伸ばし、赤ん坊の俺の写真をそっと叩く。
「普通の人間ならそうするさ。なのに、写真はここにある。俺がこの別荘に来ればすぐわかる。周一郎はいつでも写真を処分出来たはずだ。なのに……あるんだ、ここに。手もつけずに、な」
周一郎もどこかで知っていたに違いない、親を求める気持ちを。心のどこかで分かっていたに違いない、自分の手が、いつか遮ることの出来ない瞬間に、俺と実父母が巡り逢ってしまう、と。巡り逢いとはそういうものなのだ。人智の及ばない、どこか遠い時の彼方で結び合わされた糸が、現在どれほど絡まり縺れあっていようと、人はいつか、己に相応しい出会いを見つける。その一瞬にこそ、己の生き様を試される。
すみません……と記憶の隅で、泣き声が謝った。すみません、滝さん……。すみ…ません……。
あの、毒殺されかけた夜に、周一郎は何に対して謝罪していたのだろう。千夏が逝ったのも知っていた。実父母が、遮ってもなお、俺を捜し続けているのも知っていた。それら全てを知っていて、なおかつ、口を噤み、目を閉じる自分も知っていた。そうしてルトは突きつける、その己の姿さえも。
(……ったく、バカが)
ほらな、と俺は呟いた。
ほらな、これがお前だよ、周一郎。冷たい仮面を被って見せる。冷ややかな声音を作り上げる。人の手を振り払い、ルトの闇の視界に踏み込んでいく。……違う、だろ? お前はそれを望んじゃいない。お前が望んでいるのは無邪気な笑みと、無防備に振る舞える瞬間だろ? 自分の汚さに傷付かなくて済む一時だろ? 暖かい部屋でうとうとする、そんな優しい甘さだろ?
(分かってるんだ)
俺は写真を再び、コン、と曲げた指の関節で叩いた。
こんなに優しいくせして、何が『氷の貴公子』だ。騙されるかよ、この俺が。伊達に4年間、一緒にいたわけじゃないんだ。つくづく、お前ってのは大馬鹿野郎だよ。
「滝さん…」
「ん?」
「じゃあ…憎くないの…? 周一郎さん…」
「憎くないね、『かあいい』もんだろ。それに…それだけ、俺が必要だったってことだろ? 喜んでいいことで、憎く思うことじゃないさ」
そりゃ、あの憎まれ口はどーにかならんのか、とは思うが。
「お人好し、だね」
「あ…あのな…」
「木暮も…そうなんだ」
慈は、どこか虚ろに笑った。ブルー・アイを暗く翳らせて、
「……滝さん……僕のこと…知ってるでしょう?」
「…」
「僕ね……4…5人におもちゃにされたんだ。逃げられなかった…殺すって言われて、怖くて…言われたままに……」
白い頬に血の紅が昇る。噛み切るような激しさを込めて、
「無茶苦茶になってしまいたかった。だから、木暮が来た時、しがみついて、抱きついて……木暮が僕を見ていたの、知っていたし、僕がこんな目に遭ってるの見て、きっと…」
唇を噛む。青い瞳がぎらぎらと光る。きれいな青だけに一層酷薄さを増した眼に、嘲笑が滲む。
「抱きたい、と思うだろうと『計算』してた。泣きついて、首に手、回して……連れて帰られた時、抱いてって…忘れさせて…って………何も考えたくなかった。自分が惨めで哀しくて、木暮を操ることで満足しようとして………でも……木暮、気づいていた」
ふっと瞳が潤んで光を失った。低い声で、
「僕抱いた後…初めてじゃなかったろ…って……それなのに、……僕のやったことぐらいわかってるのに……木暮、黙って、僕…温めてくれて……それ以上、何も言わなかった。責めなくて……一言も責めなくて、ただ、僕が泣き止むまで抱いててくれて……その時、木暮がいればいいやって……他に何もいらないって思ってたのに……」
慈はしばらく口を噤んだ。やがて、ぶるっ、と首を振る。その一瞬で、今までの気弱さを振り捨てるように、俺を見上げた。
「人間って、欲が深いや、滝さん。そうでしょう? 今、僕、朝倉財閥が欲しい」
いつの間にか、元通りのしたたかな眼になっている。
「本当はね、周一郎さんも欲しいけど………一つの城に二人の主人は不要だものね。手加減しないよ、滝さん」




