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「あちちちちっ…」
向かいの部屋のドアを開けようとして、俺は思い出したように痛み出した頭の傷に呻いた。強がって出て来ず、大人しくベッドにいれば良かったと思ったが、今更戻るのは格好悪い。廊下でしばらく耐えてから、半開きになったドアの前に立ち、ノックをしようとしてドキリとした。
(え?)
ドアの隙間、ほぼ真正面に、周一郎が横になっているベッドがある。周一郎は目を閉じており、まだ目覚めていないようだ。
俺がドキリとしたのは、それじゃない。
周一郎の側、枕元に慈が座っている、その様子なのだ。
慈は周一郎のベッドの横に膝をつき、両腕をベッドに載せ、その上に顔を預けて周一郎を見ている。プラチナブロンドの眩い容貌が、カーテンを引いて薄暗くした部屋の中で、仄かに輝いているように見える。
慈はどこか切なそうな眼になっていた。焦ったいような苛立たしいような、そのくせ甘い翳りを帯びた眼で、じっと周一郎の寝顔を見つめている。やがて、慈は少し腰を浮かせて周一郎に屈み込んだ。ためらうように目を伏せ、そっと唇を寄せていく。
「わ…わた? わたっ……わたたたたっ!!」
狼狽えた俺は後退り、見事に自分の足に躓いた。ふわりと体が浮く。大抵は重力の法則に従って、そのまま後ろへ倒れて行く……。
「ぎゃわっ!!」
死んだ。完全に死んだ。頭の中は真っ白、続いて真っ黒になり………次に目が覚めた時には再びベッドの中、側の椅子に周一郎が居た。
「お…周一郎」
「……一体、何をやってるんです?」
周一郎は苛立たしくてたまらないと言いたげに、眉根を寄せて問いかけた。目元には例のサングラス、冷たい口調でことばを継ぐ。
「自分のドジに自覚がないんですか? 27年ドジり続けて、まだわからないんですか? あなたのドジは1、2度死んでも治りそうにありませんね」
「あ…あの…」
「一度切ったところをぶつけるなんて、マゾでもなければ出来ませんよ。ドジの上にマゾなんて、人間じゃないんじゃないですか」
「お…おい…」
「どうしてベッドで大人しくして居てくれないんです? 敵はあなたに焦点を絞ってきているってことぐらい、わからないんですか」
「そ…その…」
「つくづく、理解が悪いんだ、あなたって人は。殺人犯の汚名を着たまま、死にたいんですか?」
罵倒され続けて、さすがに俺でも腹が立った。
「そーゆーお前こそ、さっきは半泣きになってたくせに、よくそこまで言えた…………え?」
まるっきりの当て推量は的を射抜いてしまったらしい。周一郎がかあっと見る見る赤くなっていくのが、夕方近くの薄明かりでもわかった。サングラスの奥の眼が殺気立って俺を貫く。
「え…本当なのか?」
「………わかっているなら…」
ぷい、と周一郎は顔を背けた。相変わらずきつい声で続ける。
「もうバカなことをしないで下さい。それでなくても、あなたはドジなんだから」
「周一郎…」
「…」
背けた表情はわからない。けれども、椅子の肘を掴んでいる手が白く色を失っていて、喚き出したいほどの激情を必死に抑えているのがよくわかった。
憎まれ口。胸に溢れるほどの心配を、心配だ、と言い切れない周一郎の、精一杯の対応。
「………悪かったよ」
「!」
ぴくんと周一郎は体を震わせた。ゆっくり振り返る。その一瞬、サングラスを通さない、そのままの周一郎の瞳が見えた。こちらを凝視する透明感のある黒い瞳。夢の中の10歳の周一郎の背中が二重映しになる。俺は繰り返した。
「悪かった。心配してくれたんだろ?」
「………」
再び薄く、周一郎の頬に血が昇った。唇を噛む。やがて、ことさら淡々と、
「事情は? わかってるんですか?」
「ああ。大体のところはお由宇に聞いたが……あ、お前、体、大丈夫か?」
「大丈夫です。あなたみたいにバカはしませんからね」
「……」
わかってはいるが………この憎まれ口はやっぱり心臓に悪い。
「概略を……話しましょうか?」
「ああ、頼む」
「場面は、木暮が、ウェイターからシャンパンを取ったところからです……」
 




