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「お、俺には動機がないっ!」
「ところがね……広間を出て行くあなたと木暮の雰囲気が、どことなく険悪だったという証言があってね。あの騒ぎが起こる前、部屋の前を通りかかった物好きな客の一人も、中で声高に言い争う声が聞こえていた、と言っているわ。広間を出て行く直前、あなたが木暮に向かって、殺気だった様子で『九龍』と呼び掛けたのを耳にしたと言う人もいるし………『九龍』って言うのが、何日か前から周一郎の命を狙っていた殺し屋らしい、と言うのも調べればすぐにわかる………そこから導き出される結論は」
「結論は?」
「『九龍』を雇ったのが実は『あなた』で、金のことか何かで揉めて相手を消してしまった。或いは相手が周一郎を狙っている『九龍』と知って、周一郎を守るために先手を打った」
「あ…あのなあ…」
俺はあまりのアホらしさに果てそうになった。
「後者はいいとして、何だよ、どうして俺が『九龍』を雇うんだよ。第一、俺がどうして周一郎の命を狙うんだよ?」
「最近、あなたと周一郎がしっくりいってなかったのは、朝倉家の誰もが認めているわ。屋敷を出て行くの行かないの、かなり拗れていたんでしょう? それに、周一郎の命を狙ってって言うのは、似たようなことを前日にしてるじゃない」
「前日?」
俺は眉を寄せた。前日って言うと……ひょっとして……。
「そう、周一郎の毒殺騒ぎ。あれだって『その時』一緒に居たのは『あなた』だけだわ」
「俺のカップにも毒は入ってたんだぞ!」
「らしいわね。でも証拠としては残ってないし、考えてみれば、自分に疑いをかけさせないためのカムフラージュかも知れないわね。毒に気づいた周一郎があなたが飲むのを止めそうだし、止めなくても、あなたは飲まなかったかも知れないし、ね」
「…そうだ!」
俺はあることを思いついて顔を上げた。あたりまえだ、こんなところで殺人犯になってたまるか。
「木暮は、毒殺じゃなかったかも知れないだろ? ひょっとしたら、死因は違ったかも知れないぜ? 死体を詳しく調べたら新たな真実が見つかって」
「それがね」
「うん?」
「だめ、なの」
「だめ?」
「死体がない、のよ」
「は?」
俺の頭の中で、死んだ木暮がむくっと起き上がり、ドアを開けて出て行くシーンが浮かんだ。
「言ったでしょ、窓が開いてたって」
「ああ?」
「私達が、厨房からの知らせで駆けつけて飛び込んだ時、部屋にはあなた一人がのびてたのよ、頭を殴られて、ね。肝腎の死体はどこにもない。血痕は残っているのにね。だから言ったでしょ、シュールだって。密室殺人が行われて、次の場面じゃ、犯人がひっくり返って死体が消えていた。どう言う意味だと思う?」
「お前にわからんものを俺に聞くな」
「とにかく、死因はおそらく毒殺、ひっくり返っている犯人と思しき男は、動機もチャンスも揃っている。はい、犯人は誰でしょう」
「すみません、俺が……違う、違うっ!!」
つい、その場の雰囲気で項垂れかけた俺は、慌てて首を振った。ズキィン、と頭の傷が痛み、包帯を押し除けようとでもするように頭が膨れたり萎んだりしたが、今はそれに構っていられない。
「俺は殺ってないっ!!」
「わかってるわよ」
「へ?」
あっさりとお由宇が答え、俺は拍子抜けして相手を見た。
「あなたにそんなことが出来るようなら、周一郎が自分の危険も顧みずに、あなたを庇うことはないでしょ」
「俺を…庇う?」
「まさか……気付いてないって言うんじゃないでしょうね」
「え? その…?」
「周一郎が毒殺されかけた時に、なぜ人を呼ばせなかったか、わかってないって言うんじゃないでしょうね?」
「えと……つまり……俺は…その……あいつが居てくれって言うから…」
「………」
お由宇は、これが金星人だとよ、と言われたような目をして俺を見た。
「………どういう頭の構造をしてるわけ?」
「どう言うって…脳味噌があって………頭蓋骨があって………」
「つくづく鈍感なんだから」
「悪かったな! どーせ俺は鈍感だよ! 叩けばポコポコ言う頭だよっ!!」
「あのね、志郎」
ブチギレかけたが、お由宇が静かに穏やかに切り出して座り直す。
「はい」
「その時、人を呼んでいたら、どうなったと思う?」
「どうなったって…」
「屋敷中、大騒ぎになれば、慈と木暮も内々に済ませられなくて、警察を呼ぶ羽目になったでしょ。この辺りの地元警察が、俺は殺ってない、で納得したとは思えないし、よくてもじっくり事情聴取、悪くすれば重要参考人として引っ張っられるでしょ? 下手をすれば、周一郎殺害未遂の犯人よ?」
「う」
「木暮や慈が出来る限り警察を介入させないように動くだろうと見込んで、2人だけに毒殺の一件を話し、あなたは無闇に動き回って騒ぎを大きくさせないように引き止める。周一郎にしてみれば、その夜手当を受けた方がずっと楽だったはずだわ。それにね、志郎」
「…はい」
「周一郎は、ここへあなたを同行させると決まった途端に、私に連絡を取ったのよ。もし何かが起こって、あなたが巻き込まれかけたら、助けに来て欲しい、って」
「え? でも、お前とあいつは……?」
「そう、普段は敵同士ということになるでしょう。その仇敵に、あなたにとって一番いい方向に動いてくれるだろうというだけの理由で、周一郎は頼み込んだのよ、あなたを守ってくれって」
「……」
「私と叔父が来たのは……こともあろうに地元警察を押さえつけてまで、だけど……木暮に呼ばれたということもあるし、周一郎の尻尾を捕まえるためでもあるわ。けれども、周一郎の依頼、でもあるのよ」
お由宇は不思議な目をしていた。そして俺は、そのことばの奥に『滝さん』と優しく呼び掛けてくる周一郎の姿を感じ取っていた。飛びついてはこない、振り返りもしない、けれど、見えない翼と両腕が、そっと俺を包み込んでくる、まるで大切な宝物を守るように。
思わず舌打ちした。
「…ったく、あの、バカが」
傷ついているのはお前だろ? 淋しいのは、俺じゃなくて、お前だろ?
なのに、ったく、何をしてやがんだ、冷たい表情の裏で。
知っていたよ、とどこかで声がした。そういう周一郎の優しさを、俺はよく知ってたよ。だから、俺は、悪態をつきながらも、お前を放って置けなかったんだ。
俺は頭の痛みに眉を顰めながら、のろのろと立ち上がった。
「どこへ行くの?」
「ちょいとあいつの様子、見てくる」
「自分も半病人のくせして」
文句をつけるお由宇に振り返り、俺は答えた。
「知らなかったのか? 俺の頭はスポンジだったんだぞ」
「知らなかったわ、穴だらけだったなんてね」
「あ」
気力が一気に果てた。




